疲労からの回復と母と祖母が暮らす隠し部屋の夢

週末から寝込んでいたので、いつも以上にたくさんの夢を見た。久しぶりに、扉を開けた先にある隠し部屋のようなところに母と祖母が暮らしているのも確認し、やっぱり彼女たちは北斗七星にいるのだと実感した。今回見た空間は、複数の部屋が連なっていて、いろんなタイプのベッドがいくつも置かれていた。 いつも通り、日本滞在から戻った後はPMSも月経もあちこちの痛みが強くて、あまりの辛さと倦怠感に土曜日から寝込んでしまった。さらに右のピアス穴の周辺が腫れて痛みも出ていたのが、いよいよ血と膿が流れ出てきた。これらの出血を経過すればやっと回復できそうだ。 結局、今回もまた蓄積した睡眠不足と疲労から回復するのに3週間近くかかっている。身体に無理を重ねて大きな負担をかけると、回復にも同じだけの時間、あるいはそれ以上の時間を要する。…

悲嘆を通過して

2023年7月にさくらが旅立った後、わたしはしばらく完全な悲嘆状態(鬱状態)に陥った。その最中も、少し立ち直ってからも、自分が抱えるあまりに大きな喪失と、その悲しみ、痛みを、きちんと聞いてもらった相手は、共に暮らしているV以外いなかった。 幼友達にはメッセージを通して話を聞いてもらってはいたけれど、口頭で話す機会は無かった。昨年10月に訪れたブルターニュで、現地に暮らす友人と食事を共にした際、さくらのことを話しているうちに涙が溢れて止まらなくなった。彼女にただ話を聞いてもらい、素直に泣くことができて、とても救われたのを覚えている。 しかし、そのブルターニュ滞在中に、母の内縁の夫が急逝したため、またわたしは多忙な状況に追われることとなり、自分の悲しみや痛みを感じて言葉にする時間がなくなってしまった。今年の年始に一人でヘルシンキで短い休暇を過ごし、その後数ヶ月の鬱期間を経て、ようやく悲嘆を通過できたのだった。 今でもこうして書いていると涙が込み上げてくるけれど…ね。…

父の車の給油を手伝う夢

夢の中で父の車の給油を手助けしていた。そこはがらんとした妙にだだっ広いコンクリート造りの給油所で、経営者は高齢の女性らしかった。父の車はあまりに古いため、給油にはエクステンションホースが必要で、他の給油所ではもう対応していないようだった。 わたしは長い長い給油ホースにさらにエクステンションホースを取り付ける手伝いをした。ガソリンタンクは、停車位置からはいくつかの段差を上ったところにあるようだったが、ホースの先は死角になっていて見えなかった。父は車から少し離れた場所で暢気に煙草を吸っていた。 わたしは父に「今はまだこの給油所があるからいいけれど、経営者も高齢のようだし、ここが閉業したらあなたはもう給油ができなくなる。そうしたら車を換えるしかないかもね」というようなことを言った気がする。彼は生前と同じようにのらりくらりとしていて、話を聞いているのかどうかわからなかった。 夢の中でもわたしは現実と同じように、父が聞いているかどうかは気にもせず、「おそらく聞いていないだろうし、やりたいようにやってください」と思っていた。既に亡くなった他の人たちとは違って、父の姿はうっすらと見えていた。多…

実家の床に虫が湧いている夢

夢の中で、以前の実家に似た建物を訪れていた。わたしの滞在用に残してあるという家具のないがらんとした部屋に入ると、床の木材の隙間から大量の虫が現れてうろうろしはじめた。わたしは床の上にあった「さくら」だという小さなぬいぐるみを手に取り、部屋を出て、母と祖母に「虫が大量に湧いている、何とかしないと」というようなことを言った。夢の中では、床の上を這っているのはナメクジだと思っていたけれど、見た目は黒っぽくて複数の足がある小さな虫だった。やがて何かしらの専門家らしい眼鏡をかけた女性がやってきて、部屋の中を確認しはじめたあたりで記憶が途切れている。 母と祖母が夢に現れたのはちょっと久しぶりだった気がする。いつものごとく彼女たちの姿は見えなかったけれど、それが彼女たちだということははっきりわかった。夢の中で既に死んだ人たちに会う時、その姿形は見えることがない。 先月日本で申請した母方の祖父・祖母名義の不動産の相続登記が無事に完了し、すべてを相続した親族から登記完了証を受け取ったという連絡が届いた。これでわたしは、母方・父方どちらものしがらみと重荷から完全に解放された。これまでの人生の大半を…

会いたい人に偶に会うだけでいい

毎度のことだが、日本滞在から戻った後は、PMSの身体的症状が強く現れていつも以上に辛い。身体のあちこちの痛みと倦怠感、のぼせるような感覚も強くて、物事に集中するのも難しい。そうして毎回、日本に滞在していた間にどれほど肉体的に無理をしていたかを思い知る。 思い返せば、まだ日本に実家があった頃も、わたしは毎回睡眠不足に陥っていた。実家に滞在していた間は母や彼女の内縁の夫の生活ペースに合わせるしかなかったし、扉だけで仕切られたワンフロアの室内で常にテレビが点けっぱなしになっているような環境では、静かに休むことはできなかった。 これまでの日本滞在の中で、睡眠と休息が十分にとれてリラックスできていたのは、2022年に一人で熊本に5日間滞在した時だけだったかもしれない。行きたい場所はあったけれど、予定は決めないままの自由な一人旅だった。 日本以外にもあちこちへ一人で旅をしてきたが、旅先で眠れないということはなく、何処にいても眠りたいだけ眠ってのんびり過ごした。しかし、日本滞在中はそれが難しい。ということは、わたしは日本では常に緊張状態にあるのだろう。日本ではいつも手続き等複数の用件に追われる…

光と大気と水と

昨年からパンフレットの絵を描かせてもらっているオーケストラの次回演奏会のメインテーマは、アントニーン・ドヴォジャークの交響曲第9番「新世界より」だが、聴けば聴くほど具体的な風景からは遠のいていく。ノスタルジアの後に訪れる強烈なEmergenceを描こうと思うと、特定の風景ではなくなるようだ。形よりも、光や大気の動きが強く感じられ、J. M. W. Turnerの特に後期の作品に近いイメージが浮かぶ。 具体的な風景は描きたくないが、モチーフは必要なので、光と大気と水が融合するような眺めをゆっくり探していこうと思っている。ある特定の色は既に明確に浮かんでいるが、これはわたしの共感覚がもたらす印象だろう。…

全ての重荷から解放され、鬱状態を抜けて、次章へ

日本からチェコに戻って三日目、まだまだ蓄積した肉体疲労からの回復途中で休むこと以外何もできていないけれど、精神的には以前と違って重さはまったくない。 振り返ると、2020年夏に日本で母の死を看取ってからの数年間、わたしは云わば長い鬱状態にあったのだと思う。程度の波はあったものの、シャワーや歯磨き等の基本的な生活動作すら困難な時期も多かった。それが、今年3月頃から厚い雲が晴れるのように心身が軽くなり、生活に困難を感じることもなくなって、何をするのも楽になった。 2020年夏に母を実家で看取り、膨大な量の死後事務と遺品整理を一人で片付けて、さくらを連れてチェコへ戻ってきた後、コロナ禍ということもあって、わたしは引きこもり状態になった。誰にも会いたくなくて、外に出るのが億劫で仕方なく、さくらの散歩にすら行けない日も多かった。Vには本当によく助けてもらった。 2023年、母から相続した不動産の譲渡が完了し、母の納骨を終えてチェコに戻った直後に、さくらが突然旅立った。わたしはしばらく完全な鬱状態(悲嘆状態)に陥った。数ヶ月を経て、少し動き出せるようになり、パステル画を通じて出逢った画家を訪…