ヘルシンキのカフェで

先月ヘルシンキでお会いした方とは、2018年にプラハのアンティークショップでばったり出逢った。その後、彼の同行者だった人とは、柴犬と共に暮らしているという共通点もあって時折メッセージを交わしていたが、彼とはまったく交流はなく、かれこれ40年ほどフィンランドで暮らしている方だという以外、わたしは彼について何も知らなかった。 今回初めてゆっくりお話をして、彼が一時期京都大丸に勤務していたことを知った。同じ時期に、わたしは大学生として京都大丸の近所に住んでいて、高島屋でアルバイトをしており、卒業後も近くで働いていた。わたしたちは「きっとどこかですれ違っていたはずですね」と笑った。ヘルシンキのカフェで、30年近く前の京都の街並みや生活が記憶の中から蘇るおもしろい時間だった。 彼は20代前半に貨物船で欧州へ渡り、あちこちで働きながら長らく転々とした後、条件が偶々一致してフィンランドに定住することになったそうだ。「当時はロンドンに住みたかったんだけどね」と言っていた。わたしも「ポルトガルへまた行きたい」などと言っていたはずが、あれよあれよという間に条件が整って、急流に運ばれるようにチェコで暮ら…

Eero Järnefelt - Koli, 1917

Eero Järnefelt (1863–1937) Koli, 1917 この作品は凄まじかった。じっと眺めていると、自分もコリの丘の上に立っているような錯覚に陥った。この色彩のなんと素晴らしいこと!…

ヤルヴェンパー美術館

この日は、エーロ・ヤルネフェルト(Eero Järnefelt)の作品を観るためにヤルヴェンパー美術館(Järvenpään taidemuseo)を訪ねた。ヤルネフェルトもまた、20世紀初頭にトゥースラ湖(Tuusulanjärvi)周辺に集まった芸術家コミュニティのメンバーの一人であり、この美術館には彼の作品が数多く所蔵されている。こじんまりとした美術館ではあるが、傑作がずらりと並ぶ展示は圧巻だった。中でも、「フィンランドの原風景」と言われるコリ(Koli)の風景を描いた作品はあまりにすばらしくて、できることならずっと眺めていたかった。…

Järvenpää

ヘルシンキから電車に乗って、約30分ほどでヤルヴェンパー(Järvenpää)に到着した。ここでは確かにペッカ・ハロネンの絵の中のように雪が積もっている。駅のすぐそばには、作曲家ジャン・シベリウスの銅像が立っている。彼が妻アイノや家族とともに暮らした家「Ainola(アイノラ)」はここから2㎞ほど南、トゥースラ湖のそばにある。…

車窓から

知らない土地で電車に揺られながら窓の外を流れる風景を眺めるのは楽しい。家族の死、大切な存在の死が続き、悲嘆に暮れる暇もなく死後のさまざまな手続きや実家の処分、厄介な親族との話し合い等に追われて、精神的にひどく疲弊していたが、この旅の間に少し回復できた気がする。…

Järvenpääへ

1月17日もヘルシンキは晴れ。昼過ぎの気温は-6℃と前日よりもあたたかい。公園はたくさんの鳥たちでにぎやかだ。ヘルシンキ中央駅内にあるカフェで軽く腹ごしらえをしてから、電車に乗ってヤルヴェンパー(Järvenpää)へ向かう。…

Pentti Sammallahti写真展 - Me Kaksi

19時過ぎにAteneumを出た後、フィンランド写真美術館K1で開催されているPentti Sammallahti写真展『Me Kaksi』を訪ねた。閉館まで一時間もなかったが、会場内に人の姿は少なく、ゆっくりと作品を見て回ることができた。 地上のあらゆるものは留まることなく変化し、生まれては消えていくが、写真の中には永遠に終わらない別の“時”が流れている。静かな、それでいて温かい写真作品を見ながら、静かに泣いた。予定されてはいなかったはずだが、会場には写真家Pentti Sammallahti氏本人がいらっしゃっていた。…

Pekka Halonen - Jään ja lumen peittämä kallio, 1911

Pekka Halonen (1865-1933) Jään ja lumen peittämä kallio, 1911 そして、この作品は凄まじいほどにすばらしかった。あまりのすばらしさに目が離せなくて、見ているうちに呼吸を忘れてしまいそうになり、何度も何度も溜息をついては、近づいたり遠ざかったりしながら何十分間も眺め続けた。この絵の前から離れたくないほどだった。…