不満足のままでいたい人もいる

わたしの母のパートナーには長年別居したままの妻がいる。過去には女性二人の間で激しい衝突もあったと聞いた。母が死んだ後、わたしは彼に率直に「なぜ、あなたの妻はそれでも尚あなたとの離婚を拒否するのか」と尋ねたことがある。彼はにやりと笑って「愛されてるからや」と言った。 わたしはぎょっとしたけれど、彼もやはり依存と執着を愛だと勘違いしている人なのだとわかった。彼だけでなく、彼の妻も、わたしの母も同じだった。だから互いにずっと依存しあい、執着しあってきたのだろう。 本人たちが依存と執着の中にいたいのだから仕方ない。母は自らの依存に気づきながらも、そこに留まったまま死んでいった。彼女がそれを選んだのだし、それでよかったのだろうと思っている。 わたしは自分が巻き込まれないよう彼らの物語から距離を置いてきたが、彼ら自身の選択を否定はしない。人はみな生きたいように生きる。人は人、自分は自分、それだけのことだ。…

2020-09-24 母を看取った後の日本滞在日記

7月上旬に日本に到着してからずっと怒涛の日々が続いている。母を在宅で介護して最期まで看取り、彼女を見送った後は、膨大な量の死後整理と相続、実家を親戚に明け渡すための物理的な整理、そして、柴犬さくらのチェコ移住準備を進めてきた。 そして、チェコでは、プラハを離れて南ボヘミアへ引越すための準備が進んでいる。わたしが日本にいる間に、チェコの新居が見つかった。長らく家を探してきた街とは異なる別の土地だが、なぜか惹かれる場所なので、ほぼ即決した。この数ヶ月間、実に多くの変化が起きた(まだまだその最中だ)。 チェコに帰ったら、これまでとはまるで違った生活が始まる。…

2020-09-16 母を看取った後の日本滞在日記

母の在宅看取り介護の途中から撮りはじめたフィルムが、現像からあがってきた。同じカメラで撮った中で最も多くの良い写真が撮れた一本かもしれない。在宅看取り中の母の姿や、最後の笑顔、そして死の直後の顔など、どれもがリアルに思い出されると同時に、まるで物語の中の絵のようにも感じられる。四十九日が過ぎた。時折こうしてふと母の不在を実感する。…

2020-09-06 母を看取った後の日本滞在日記

唐突に「渡りに船」という言葉がサインのように何度も浮かんだ。そして、その意味するところがわかった。一見すると不都合だったり不愉快だったりする出来事は、実は渡りに船なのだ。だから、それに乗じて逃げればいいし、脱すればいいし、壊せばいい。 今日は、わたしの母のパートナー(内縁の夫)の娘さんに会った。互いに小学生だった頃以来、三十数年ぶりの再会だった。わたしたちは共に、幼少期から思春期にかけて両親の問題に巻き込まれた者同士(しかも、そこには同じ人物が関わっている)ということもあり、話がはずんだ。彼女はわたしに「父のような男性は、女性に無償のケア労働を平気で無限に求めてくるので、しっかり線を引いてください。ぜひ距離を取って、ご自分を守ってください。」というメッセージをくれた。…

2020-09-03 母を看取った後の日本滞在日記

7月上旬から母の死の瞬間まで毎日在宅看取りの日々が続き、その後すぐに葬儀、たくさんの死後事務、複数の相続手続き、母のパートナーのサポートなどに追われ、本当に休む暇がなかった(その状況は現在も続いている)。 そう遠くない将来に実家を明け渡して、ますます物理的に日本を離れることになるので、必要なものをチェコへ運ぶ準備や、税務申告の準備にも取り掛かっている。そんな最中にふと、本当に母はもうこの世界にはいないのだと実感した。 今日、わたしはとても象徴的な決断をしたところだ。…

2020-08-31 母を看取った後の日本滞在日記

母の死後の様々な整理に取り組みながら感じているのは、何事も、始めたり集めたりするよりも、終わらせて手放す/捨てる方が、よほど労力と時間がかかるということだ。モノも、コトも、関係も、常にきちんと終わりを終わらせ、片をつけておかなければ、やがて重たく膨れ上がって手がつけられなくなる。 そして、改めて思うのは、結婚/離婚、不動産/金銭権利の分割など、法的な手続きは自分が動けるうちに済ませておくべきだということだ。ずるずる後回しにしていると、結局自分が苦しむことになる。事実にしっかり向き合い、自ら取り組んで、関係も物事もきちんと片をつけておくのは本当に重要だ。 「ある」ものを「ない」ことにしても、そのツケは必ず自分に返ってくる。「ある」ものは「ある」と認め、向き合い、受け入れていくしかないし、そうすれば、自ずと解決していくものだ。自らの影も同じこと。自分の影に無自覚なまま「ない」ものとして生きていれば、その影は常に他者として目の前に現れ続ける。 情が邪魔をするなどと言うが、その根底にあるのは自己同一化だろう。誰かや何かへの情(執着)とは、自分が「ない」ものにしている自らの影の投影であり…

2020-08-25 母を看取った後の日本滞在日記

「あの人のようには絶対になりたくない」と思っている相手の性質や傾向は、実は自分の中にも確実にある。だからこそ「ああはなりたくない」と思うのだろう。そして「絶対になりたくない」という思いが強ければ強いほど、実は、自分もその人とまったく同じ考え方や言動をしているという事実が見えなくなる。 「絶対になりたくない」と拒絶され排除された自分の一部は影となり、その人の人生を支配する。そうして内的に分裂した人は、無自覚なまま自分の影に支配されて、自分にも他人にも支配的・暴力的な生き方を繰り返し、自分も他者も痛めつけつづけていく。共依存や虐待が連鎖するのもそういうことだ。…

2020‐08‐20 母を看取った後の日本滞在日記

いよいよ実家にある母の持ち物の整理に取り組み始めた。クローゼットも、押し入れも、箪笥や引き出しの中も、あらゆる収納スペースにぎっしりとものが詰まっている。どこもきちんと整理されてはいるが、余剰スペースがほとんどない。 母は、商売をしていた頃(わたしに対する暴力が最も酷かった頃だ)、たびたびデパートに出向いては、高価な衣類を大量に購入していた。彼女は当時を振り返って「あの頃のわたしは買い物依存だった」と言っていたが、実際は晩年までずっとその状態だったのではないかと思う。 彼女は、家のあらゆる収納スペースを埋め尽くしたように、自らの時間も埋め尽くそうとしているように見えた。いつも依存的な人を引き寄せては、他者の世話を焼き、面倒を見ていた。その上、ゴルフ、登山、スポーツジム、麻雀、社交ダンスと、常に動き回っていて、静かに一人で過ごすことはなかった。 母が暮らしていた空間を整理しながら、そして、その生活/人生を振り返りながら、やはり彼女は自らの自己欺瞞と本当の感情から目を背け続けていたのだと思う。空間も時間も埋め尽くすことによって、彼女はずっと自らの強烈な欠乏感や虚無感から逃げ続け…