隕石がやってきた

ポーランドの友人から、Leszek Możdżerの新作CDアルバム2枚と、2つの隕石がギフトとして届いた。隕石が手元にやってきたのは初めてだ。 既に贈る予定だったギフトと一緒に、わたしからも彼女へ美しい石を贈りたくなり、まるで銀河が点在する宇宙のような色のアフガナイトを購入した。 彼女とはまだ一度しか会ったことはない。だが、今回わたしが、立て続いた家族の死と、厄介な親族との交渉事と、実家の処分を終えた後、鬱状態に陥っていた間に、「あなたの状況を思えば不思議ではないよ、返事は無理をしなくていい、でも、もし話がしたい時があればわたしはいつでもここにいる」と言ってくれた人だ。…

冥王星が水瓶座へ

ある人との対話の中で語った、冥王星の移動から見る地上世界の情勢変移が割とうまくまとまったので、ここにも書いておく。 冥王星という、西洋占星術に用いられる主要な天体の中で太陽から最も遠い惑星が、昨年から今年にかけて、星座間を行ったり来たりしながら次のサインへ移動しようとしています。冥王星は、短期的な移ろいとは異なる、根本からの変容と徹底を象徴します(時間をかけて成される根源的な破壊と再生の象徴)。 冥王星は2008年から山羊座を進行していました。現在は、山羊座と水瓶座を行ったり来たりしながら、いよいよ本格的に水瓶座へ移動していきます。今は、これまで約16年ほど続いた時代が終わりを迎え、次の約20年間へと移行する時代の節目です。 特に昨年と今年は、「過去15~6年の間に起きた根本的な変容と刷新の中で、未だ解消されずに残っているが、これから先には不要なもの/そぐわないもの」がいよいよ破綻・終焉を迎える時期です。 長く続いた既得権益や、歴史的経緯や慣習によって守られてきたこと、閉ざした風通しの悪い仕組みには、刷新せざるを得ない機会が押し寄せるでしょう。過去の経験や習慣にこだわる態度は行…

久米島、畳石

昨夜もまたGoogleマップで沖縄の離島を見ていた。久高島と、もうひとつ、その名に惹かれて気になっているのが久米島だ。そして、久米島の畳石の写真を見て驚いた。以前に夢の中で訪れた、六角形の大きな石が敷き詰められた海岸にそっくりだった。 神と神の対面、白蛇の姿をした龍神、石に刻まれた半人半魚夢の中で、わたしは東アジアのどこかにある国の聖地を訪れていた。そこは巨大な岩の中にある空間で、奥には小さいながらも豪華な祭壇が設けられていた。そして、色鮮やかな衣装を身に着けたシャーマンがいて、特別に許可された祭儀を担う人々が集まっていた。 わたしは、その地の神に願い事をしに来た人々を案内する通訳的な役割を担っているようだった。橋本聖子氏がメンバーの中にいた気がする。事前に交渉は成立していたが、相手側は直前になって、何かが足りないので神を呼び出すことはできないと言い始めた。その裏には政治的な駆け引きがあるようだった。 わたしは「話が違うではないか」と怒り、それならば、わたし個人のために神を呼び出すようにと要求した。そうして儀式がはじまった。 相手側の神は半人半魚の姿をしていた。わたしはわたしで、自分…

海の印象

普段わたしは眠れないということが滅多にないのだが、一昨夜は横になったまま一睡もできず(せず)に朝を迎えた。とはいえ気分の落ち込みや無気力感はなく、頭は少しくらくらしたけれど、そのまま仕事をし、通常より多くの人とやり取りを交わした。そうして夕方から7時間+7時間眠った。 一昨日は夜通し横になったまま、次に日本へ行く時にはどういうスケジュールで滞在し、どこを訪れようかと思いながら、地図を眺めていた。そして、ふと沖縄が気になり、よさそうな海岸や離島を探しているうちに、久高島へ行くのもいいなと思い立った。そして今日は、夢の中で美しい海を訪れたような感覚、あるいは海そのものの印象が残っている。 昨年12月半ばにすっかり燃え尽きてしまって、しばらく鬱状態に陥り、また風邪をひいて発熱したりもして活動が落ちていたが、今日は心身ともすっきりしている。ようやく絵も再開できそうだ。思えば、誕生日前の1~2月は毎年活動が低下する。これもわたしのバイオリズムなのだろう。…

古い日本の城郭のような建物、布団の中の死体の夢

太く丈夫な植物で作られた大きなジャングルジム(のような入口)を登ると、古い日本の城郭のような建物に辿りついた。わたしは、ガラス造形作家の知人とともに上階へ向かった。最上階にある床張りの部屋で、知人は素っ裸になってくつろいでいたが、わたしはあまり居心地がよくなかったので、その建物から出ることにした。 わたしは急勾配な木の階段を下り、一階の回り廊下を歩いた。建物の中は薄暗く、どこかしら不気味な雰囲気が漂っていた。廊下に面した各部屋には一組ずつ布団が敷かれ、いくつかの布団の中には死体が横たわっていた。どうやらそこは霊安室あるいは墓場のようだった。わたしは急ぎ足で廊下を抜けて建物の外へ出た。…

新しいパスポート

昨日は、プラハの日本大使館で新しいパスポートを受け取ってきた。来週はまた電車に乗って、個人データの更新のため移民局へ行かねばならぬ。十年など瞬く間だ。 日本大使館があるマラー・ストラナも観光客で溢れていた。2023年に海外からチェコを訪れた人の数は、コロナ禍前を上回ったそうだ。昨年10月に日本からやってきた幼友達にプラハの街を案内したが、確かに、2018年に別の友人を案内した時よりも明らかにどこも混雑していた。中心部では予約無しでは席が見つけられないレストランやカフェも多かった。 2020年に母が亡くなり、さくらをチェコへ連れて来ることを決意して、わたしたちはプラハを離れ、現在住んでいる街へ引越した。それ以来、プラハを訪れるたびに、あの時のあの決断は実によかったと実感している。…

社会的自己の崩壊と自分の顕現

一日に2つ以上の外出を伴う予定をこなすことが難しくなってきた。ある予定のために出かけた際に、ついでに別の場所にも出向いて他の用事も済ませようとすると、途中から脳が明らかに疲労しはじめて、ひどい時には帰宅後(あるいは翌日以降)文字通り何もできなくなってしまう。 主目的の行先がオフィスであれ、美容院や歯科クリニックであれ、人と顔を合わせる用事の場合は特にそれが顕著で、だから例えば「歯科治療の後、ついでに大使館へも立ち寄って用事を済ませよう」とすると、大使館を出たあたりで疲労困憊していることに気づく(実際に先日ヘトヘトになった)。 電車に乗って遠出をする必要のない自宅近辺での用事や、徒歩で移動できる程度の距離内であれば、複数の予定も何とかこなせるが、プラハのような街では場合によっては混雑した地下鉄やトラムを乗り継いで移動しなければならないので、尚更疲労するのだと思う。 そんな自分を省みていたら、「順調に壊れてきたな」という言葉が頭に浮かんで、なんだか可笑しかった。社会的な自己がどんどん破綻して、以前は出来ていたことが出来なくなっているが、その反面、自分がますます剥き出しになっている実感…

"She is a lucid girl."

空にくっきりと大きな二重の虹が出ていた。そこは、わたしの母と彼女のパートナーが長く暮らしていた家の近所のようだったが、実際の街並みとは異なる知らない場所だった。たくさんの電線が邪魔をして虹の全貌が見えなかったので、わたしは空が開けた場所を探して走った。 まったく知らない少し年配の男女がわたしと一緒に歩いていて、彼らもわたしの後を追ってきた。やがて、畑が広がる少し開けた場所にたどり着き、わたしは虹を眺めた。そばにはビニールハウスがあり、畑にはさまざまな作物が実っていた。 そこにまた、前の夢に現れたアーティストだという大柄な赤毛の白人女性が登場した。彼女は、わたしに同行していた年配の男女に向かって「She is a lucid girl」と言った。'She'とはわたしのことだった。年配の男女は、自分たちは彼女(わたしのこと)の親ではないと言っていた。 わたしは「自分はもうgirlという年齢ではないのだけれどな」と思っていた気がする。もしかすると、年配の男女がそう言っていたのかもしれない。そのあたりで既に夢からは半分覚めかけていた。…