大宇宙と小宇宙
自我は被膜であって、覆われている中身ではない。 その外側だけでなく、内側にも、宇宙(理)が層を成している。…
夢の中で、しばらくぶりに今はなき昔の実家を訪れていた。2階には、昔と同じように母の部屋とわたしの部屋があった。わたしはどこかから到着したばかりのようで、自分の部屋にバックパックを置いた。母もまたどこかから帰ってきたばかりのようで、彼女の部屋にはたくさんの服や小物が散乱していた。 わたしは母の部屋を片付けることにした。散らかった服をハンガーにかけ、窓際のテーブルや戸棚に置いてあるものを整理した。手のひらに乗るくらいの大きさのアラーム付きデジタル時計があり、わたしは「母はこれを持ち歩いているのだろうか」と思った。いつもと同じように、母の姿は見えなかった。 廊下には母が使用したらしい全身鏡があった。その鏡はかなり古いもののようで、動かそうとすると部品が次々と外れてしまうほどがたがただった。廊下の隅にあった小さな戸棚もかなりくたびれていて、扉を開けると背面の板が剥がれ落ちた。どの家具もすっかり古くなくなってしまったのだなと思った。 その後、わたしは自分の部屋で何かして、階下に降りたように思う。1階には祖父母がいたことも覚えているが、いつものように彼らの姿は見えなかった。…
夢の中で、車線がいくつもある近代的な道路を渡ると、古い小さな建物がひっそりと軒を並べる通りがあった。そこだけ時が止まっているかのようだった。その通りを左手に歩いていくと、魚屋の店先にオットセイがいた。どうやらその魚屋で飼われているらしい。 さらに歩くと、小さな居酒屋のような店があった。 中に入り飲み物を注文した。 古い木造家屋を改造したようなその店にはカウンターしかなく、数人が座っただけで満席だった。 やがて多くの観光客がやってきて、窓の外には行列もできていた。 わたしは店を出ることにした。店員の女性がすまなそうに話しかけてきたが、私は喉が渇いていただけで食事をするつもりはなかったので大丈夫だと伝えた。 どうやらわたしは以前からその店のことを知っていて、その女性とも顔見知りのようだった。…
2022年7月に訪れた能登島の海の水を描いたのはこれで4枚目だが、まだまだ描きたい。 同じ写真を切ったり大きくしたりしては何枚も描きたくなる。 描くことそのものよりも、何を描くかを決めることのほうが難しく、いつもそれに時間がかかる。 描き始めたら、仕上がるまでひたすら描くだけなのだが。…
Sea, Notojima Island Pastel on Pastelmat…
Waterscape, Rybník Rožmberk, August 2022 6x6 Driftwood Pinhole Camera Ilford Delta 100…
自我は被膜であって、覆われている中身ではない。 その外側だけでなく、内側にも、宇宙(理)が層を成している。…
身体が眠っている間、精神は肉体という制限を超えて自由に旅をしている。そうして精神は、個々の分離や時空の制限を超える体験、地を這う肉体に閉じた自我の理解を超える体験をしている。実際の感覚としては、精神が肉体という枠からはみだして自由に広がっていくようだ。 だから、夢を見ている時に無理やり起こされるのは不快だ。せっかく肉体という枠をはみだして地上の自我を超える宇宙を味わっていた精神が、突如また肉体に引き戻され、閉じ込められてしまうからだろう。時にはショックのあまり、目覚めた後も呆然として、一体何が起きたのかとひどく動揺してしまうこともある。 夢を途中で妨害された時のあのショックを味わうたびに、現実と夢、ひいては生と死(眠りを肉体の仮死状態としてみなした場合)を切り離し、一方だけを重視するのは間違っていると思う。夢を単なる脳のはたらきとしかみなさずに軽視するのは、半分しか体験していない=半分しか生きていないようなものだ。 眠りの間に見ている夢そのものは、肉体に属する個の自我を超える体験だが、目が覚めた後に残る夢の記憶は、既存の知識や経験に基づいて“理解したがる”自我によって編集され…
わたしが、現在所属している企業のはじまりからこれまでの動きを眺めるたびにおもしろいなと思うのは、この組織が、個人の都合や目的を超える“何か”の意志によって動かされているように感じられる点だ。 もちろん、最初に発案者がいて、そこに参加し協働したい人々が集まってきて現在の状態があるわけだが、その最初のアイデアすら、“見えないどこか”からもたらされたもののように思える。アイデアそのものがまず在って、それ自体が発案者を通して発現することを選んだという風に見える。 そして、そのアイデア自体が、その時々の必要を選んで引き寄せ、課題や変化の機会をもたらし、用が済んだものは手放していく。まるで姿の見えない赤子が中心にいて、その赤子の意志がすべてを動かしているようだ。わたしもまた、その意志によって呼び寄せられ、自発的にその展開に巻き込まれている。 だから、わたしは、自ら望んでこの組織に所属していると自覚すると同時に、“個を超える大きな意志をもつ何か”が、わたしをその一部分として選んでここに配置し、機能させているとはっきり実感している。 どんな組織も実は似たようなもので、それぞれに集合体として…