Liberation

2020年以降次々と家族が亡くなり、大量の手続きと死後の整理に追われ続けてきた。やらなければならないことが多くて実に大変な数年間だったが、思えばわたしのネイタル火星の上をトランジット冥王星がずっと行ったり来たりしているので、この火星がリミットを超える馬鹿力を発揮して、全て乗り越えてきたのだと思う。 今週からまたわたしは日本へ向かい、まだ残っている母方・父方、両方の遺産をすべて手放すための手続きを一気に済ませる予定だ。 ちょうど逆行中のトランジット冥王星が再びネイタル火星にぴったり重なっている。 これでいよいよ本当に全部終わりにする/できるのだろう。 ヘリオセントリックには逆行はないので、冥王星は1月後半以降ずっと水瓶座を運行している。しかし、意識(ヘリオセントリック)がどれだけ先に進んでいても、この物質世界の物事はやはりジオセントリックであり、何度も逆行しては、地上における遣り残しを徹底的に終わらせるために動くしかない。ここ数年は特にそのことを実感している。 思い返せば2008年、ちょうど冥王星が山羊座に移動した頃、わたしは元夫と離婚し、一人で東京へ引っ越した。あの時には母に住所…

記憶を呼び起こす絵

Distant Storm, 2024Distant Storm Pastel on Pastelmat 18x30 cm⁡⁡Cesta ke hvězdámR. Rorýs ある友人がこの絵を見て「記憶を呼び起こすような」と表してくれた。 また、別のある人は、故郷で見た風景を思い出すと言った。 わたし自身、いつかどこかで見た記憶の中の眺めを思い出させるような、あるいは、どこかにあるだろう遠い共通の記憶が蘇るような絵が描けるようになりたいので、そのように言ってもらえて嬉しい。…

未来を思い出す

テッド・チャン著『あなたの人生の物語』を読み終えた。 わたしが自らのUFO遭遇体験や、過去世のような夢を多々見てきたことや、未来を予見したかのような白昼夢やビジョンをいくつも体験してきたことを話した時に、それを聞いていたある人がこの小説を思い出した理由がわかった気がする。 表題作の中で描かれている世界は、わたしがしばしば抱いている感覚に近いものがあり、主人公には親近感すら抱いた。「まだ訪れていない未来を懐かしく思い出す」ようなあの感覚は実によくわかる。 わたしも地球上で肉体を持つ人間なので、当然ながら逐次的認識様式の中で暮らしているが、同時的認識様式を垣間見るような体験を幾度も味わっている。そのため、時は過去から未来に向かってではなく、未来から過去に向かって流れているように感じているし、過去も未来もすべての時は同時にある(あるいは時は円環である)のだろうと思っている。ただ、肉体がそれを認識できないだけのことだ。 この小説を読み始めて割とすぐに、J. L. ボルヘスの作品の世界に似ていると感じたが、実際にテッド・チャン自身が別の著書の中で、ボルヘスからの影響について書いているよう…

さくらの感触

夢の中で、ソファの上で横になってうとうとしていたら、足元の方からトテトテトテとさくらがやってきた。そしてさくらは、わたしにぴったりくっついたまま背を向けてどさりと横になった。さくらの頭の毛が顔をくすぐり、わたしは懐かしいその感触がとても嬉しかった。…

近くの街の一軒家を見学している夢

夢の中で、自宅から電車で15分ほどの街にある一軒家を見学していた。その家は売却に出されていて、わたしたちは近くに工房を持つ友人から紹介を受けてそこを訪ねているようだった。チェコによくあるタイプの古い平屋建ての家で、中の状態はよく保たれており、雰囲気や居心地も悪くなかった。Vが「もしここを購入するとしたら、今住んでいるフラットはどうする?」と言い、わたしは「両方所有すればいいんじゃない」と答えていた。…

アルデバラン

今朝目覚める前、赤い巨星がぐんぐんこちらに近づいてきて、頭のすぐ上まで迫ってきた。赤橙色のガスが激しく渦巻きながら轟々と燃えている様子がはっきりと見えた。そして「アルデバラン」という名が浮かんだ。これまであまり意識したことはなかった星だが、どうやらアルデバランが何か伝えに来たようだ。恐怖はまったくなかったので、アルデバランを頭上に受け入れろというメッセージだと受け取った。 別の夢では、見知らぬ大きな港にいた。停留している大きな船は鯨を捕獲して戻ってきたらしく、これから鯨の解体が始まるようだった。さらに、港の上にはペンギンを解体しようとしている人たちもいた。わたしはさすがに見ていられなくて、目を背けた。 昨夜は屋上からペルセウス座流星群を眺めた。空には時折薄く曇がかかり、遠く南の方では大きな雷雲が西から東へと移動していて、ひっきりなしに雷が光っていたけど、それでもいくつもの流れ星が見えたし、ひとつだけひときわ明るい火球も見ることができた。…

次の章へ

人との対話の中で、自分がまたもや人生の大きな転換期の最中にあると話した後、過去10年ほどの出来事を振り返り、10年前には現在の自分の生活など想像もできなかったと改めて思った。10年前、わたしは東京で派遣社員として働きながら暮らしていて、海外旅行もしたことがなかったし、絵を描くことなど考えたこともなかった。 2014年11月、思わぬところからもたらされた資金を使い、長年現地で暮らしている友人を頼ってポルトガルを訪れた。思えばあれがはじまりだった。その旅の中でわたしは、「自分はこれまで一体何をしていたのだろう、なぜ社会で生き残らねばならないと思いこんでこんなにも苦しんでいるのだろう」と思い至った。 旅から戻った後の展開は坂道を転がるようだった。身の回りのあらゆるものが嘘(自己欺瞞)ばかりだと気づき、モノも、人間関係も、仕事も手放した。実際のところ、鬱状態に陥って仕事には行けなくなった。文字通りその日に着るものが見つからない状態になるまで、ひたすら断捨離をした。10ヶ月後には仕事を辞め、少しでも本望ではないことは一切やらない、それでダメなら野垂れ死にすればいいと覚悟した。 30代の頃に…