地球の外へ飛び出すには

物質的な肉体は地球に属しており、地球の外へ飛び出すようには出来ていない。そうしたごく限られた範囲でしか通用しない肉体ごと他の惑星に移動したいというのは、新しくもなんともなくて、むしろ古い(頭の固い)考えだよな、とふと思った。肉体は地球からの借り物なので、それは地球に置いたまま、意識が移動/移住すればいい。 ロバート・モンローなどが探究していたのもそういうことだし、おそらく古代文明においてもそのために様々な取り組みが成されていたのではないかと思うので、肉体は地球に置いたまま意識のみ地球外へ移動/移住するというのも、そう新しい考えではないけれど。しかし、物質的肉体ごと地球外へ移動することに執着するよりは、進歩的な気がする。 結局、肉体とその属性だけが「自分」だと思っているから、地球の外まで物質的肉体を連れて行きたいと考えるのだろう。脆く儚い物質的肉体とそれに付随する小さな自分に執着すること自体が、わたしにとっては古い(頭が固い)と感じられるのだな。…

記憶の中の風景

13~4年ほど前に受けたヒプノセラピーの中で、「過去の記憶」として見た風景と場面を今でもよく覚えている。わたしはどうやら男性で、民族衣装のようなものを身につけ、小さな白い馬を連れて旅をしていた。そこは人の生活の気配などまったくない広大な荒野で、はるか彼方にはそれほど高くはない山稜が見えていた。 わたしが属する部族の間では、ある種の人々は定期的に生活の場(村)を離れ、一人で荒野に出て静寂を過ごさなければならないという伝統があった。それは、自然と一体化し、また自分自身に還るために必要な儀式だった。 自然にできたと思われる大きな岩の中の洞窟のような空間に横たわり、岩の隙間から見える夜空を見上げていた場面が特に印象に残っている。空には無数の星が輝いていた。自然と一体化し、自分自身に還るとは、星と繋がることでもあった。旅の友である白い馬は傍らで静かに佇んでいた。ただただ静かで安らかだった。 後になって、あれはいったいどこだったのだろうと思い、アメリカやカナダの荒野の写真を探してみたことがある。しかし、わたしが見たはるか遠くの山の稜線はそれほど高いものではなかった。今日になってふと、ラップラ…

空の上で

夢の中で、大きな船で生活しながら旅をしていた。確かに船だったと思うけれど、窓の外に見えるのは海ではなく、空の高いところを移動しているようだった。船の中には人がたくさんいて、客室内は随分散らかっていた。廊下には掃除係らしい人たちがいて、わたしは「散らかっていて申し訳ないなあ」と思っていた。 その後わたしは、夢の中では知り合いらしい知らない女性とともに、セルフサービス式の食堂のようなところで食事をしようとしていた。ショーケースにカラフルで美味しそうなデザートがいくつも並んでいたのを覚えている。 夢の中では、地上にいるよりも、空の上や雲より高い場所にいることが多い。宇宙船の中にいることもある。身体を使って起きている間も、船のようにも見える自宅の窓や屋上から空を見ていることが多く、用事がある時にしか地上には降りないので、似たようなものかもしれない。 以前ある人から「あなたの前世は(浮浪雲の)雲みたいな人だったのかもね」と言われたことをふと思い出す。これまで複数の人から「(ある土地の)上空にいるイメージ」だとか、「龍のように雲に乗って流れている」とか言われてきたが、わたし自身にその自覚がな…

更年期というゆらぎ

ホットフラッシュ/のぼせと同時に、寒気/悪寒が繰り返しやってきて、暑い(熱い)のに寒いという複雑な状態を味わっている。慢性的な疲労感と倦怠感、身体のあちこちの痛みなど、日々どこかしらが不調である。更年期、つまりホルモンバランスが大きく揺らいでいるのだろうから、仕方ないとあきらめて、心身になるべく負荷をかけないよう過ごしている。おかげで、毎日自らの身体の変化につきあっていくだけで精一杯だ。 次に日本へ行く時には、漢方相談をしてみようかと考えている。昨年9月に受けた人間ドックの検査結果はすべて良好だったので、身体そのものの状態に不安は無いが、更年期特有の症状や不調を和らげてくれる漢方があるなら試したい。以前に日本で定期的に婦人科検診を受けていた頃は、PMSの緩和に向く漢方を定期的に処方してもらっていた。 こちらでも、プラハなどの大きな都市では中医学のクリニックをちらほら見かけるけれど、何となく気乗りがしなくて試さずにいる。幸いなことに、現在私は体調の揺らぎに合わせてスケジュールを柔軟に変更できる環境にいることもあり、まだそこまで深刻な苦痛や不便を感じてはいないというのもある。 以前、…

旅先で母と

夢の中で、母とともにどこか旅先にいた。幼友達とその母親も一緒にいた気がする。母は病気なのか随分痩せ細っていたけれど、自分の足で立って歩いていた。とはいえやはり彼女は疲れている様子だったので、わたしたちは幼友達母娘とは一旦別れて、先に滞在先へ戻ることにした。わたしは母の身体を支えながら、大きな道路を渡ってゆっくり歩いた。夢に母が現れたのはちょっと久しぶりだった。…

サーミのトナカイ座

以前から一度訪ねてみたかったフィンランドのラップランド地域イナリにあるサーミ博物館SIIDAとサーミ議会&文化センターSAJOSへ、夏に行ってみようかと思い立ってから、改めてサーミ人の神話について調べている。しかし、サーミの神話/ラップランド神話については、日本語の情報がほとんど見つからない。サーミの神話は、当然ながら北欧神話とは別物で、フィンランド神話とも系統が異なる。英語で書かれた本は見つかるので、良さそうなものがあれば読んでみようと思う。 わたしがサーミ神話に興味を持ったきっかけは、サーミの世界にはトナカイ座があるという話を偶々目にしたことだった。アルクトゥルスとシリウスがこのトナカイに向かって矢を放ったが、矢は北極星に当たって跳ね返り、彼らの息子と娘がイナリ湖に落ちてしまった。このイナリ湖に落ちた男と女がサーミ人の祖先になった…という話があるらしい。地名にあるとおり、この神話はきっとイナリ・サーミの人々によって語り継がれてきたものだろう。 このトナカイ座は、かなり大きいアステリズムだ。カシオペアがトナカイの角、双子座がお尻、オリオン座が蹄、そしてアルデバランが鼻にあたるとい…

ラップランド(サーミ・ランドあるいはSápmi)、イナリへの旅を考えはじめる

日本にいる友人が、夏至の頃にアイスランドへ行くそうで、予定があえばどこかで会いたいと連絡をくれた。同じ日に、彼女が北欧神話とサーミ族についてツイートしているのを見て、フィンランドのラップランド地域、イナリ(Inari)にあるサーミ博物館へ一度行ってみたかったことを思い出した。 6月後半から8月にかけては、欧州中の人々がこぞってヴァケーションに出かけるので混雑するし、どこもハイシーズン料金になるので、通常は旅は避けている。しかし、友人に会う予定が入るようであれば、それに合わせてラップランド方面へ行くのはありかもしれない。 ただ、10月から開催されるアクセリ・ガッレン=カッレラ展に合わせてまたフィンランドへは行きたいと持っている。いくら飛行機で2時間とはいえ、そう何度も行くのはちょっと大変だ。 もし10月以降に日本へ行く予定ができるなら、その乗り継ぎに合わせて滞在を計画することもできるけれど…などと、俄かに今年の予定を考え始めることになった。 そうしているうちに、フィンエアーがイースターの時期と夏のイベントシーズンに、ラップランド方面へのフライトを臨時的に増やすというニュースが飛び込…

海王星プロジェクト

松村潔氏が言うところの海王星プロジェクトで、5月半ば頃までに世界卵を完成させるのは、ヘリオセントリックでは海王星は5月に牡羊座へ移動するからだと、さきほどようやく気づいた。数ヶ月前からあまりに忙しい日々が続いていたので、あまりチェックしていなかった。 昨年、日本にいた最後の直系血族が死んで、残っていた遺産はすべて手放し、それと同時に、この身体とそれに付随する地上存在としての自分の居所は整備したので、準備は既に終えた気がする。しばらく前から既にやり残しは無いと感じているし、なんというか、すべて満たされていてどうとでもなれる。 物理的な死はまだしばらく先に予定しているけれど、「これでいつでもすっきり死ねるね」という安心感に満たされている。そして、ごく身近な人は、このわたしの言葉をなんとなく理解しているようだ。 自己遍在化は、行き来するのではなく、拡大というのもわかる気がする。そして、地上ではちょっと影が薄くなるというのはいいことだ。…