あれから9年

9年前の今日、私は初めてチェコにやってきた。あの時にはまさか自分がこの国に定住することになるとは思ってもみなかったけれど、初めてこの地に足を踏み入れた時から説明しがたい居心地の良さを感じていたのは確かだ。…

幻のように

ああもうほんとうにみんな死んでしまったのだという実感は何度でも不意にやってきて、そのたびに、存在も時間もすべてが夢だったように感じられる。そうしてあれらはいったい何時、何処だったのかも曖昧になり、今確かに自分が居るはずの此処が何処なのかさえ朧げに揺らぎはじめる。みな瞬く間に消える幻のようなもの。 何のため四十八年過ぎたのか頭かしげてみてもわからず ― 山崎方代…

大きな白い狐の面

夢の中で古い大きな木造家屋の中にいた。日本家屋のようだったが、その場所自体はこの世のものではない感じが漂っていた。室内に置かれた箪笥や棚、机、椅子、炬燵などの家具もみな随分長く使われてきた古いもののようだった。人の気配もあった気がするが、誰がそこにいたかは思い出せない。 家の中をうろうろしているうちに、その家屋は隣同士の建物と繋がっていることに気づいた。どうやら並んで建っているすべての建物は密かに繋がっていて、大きな一角を成しているようだった。きれいに磨かれた板張の廊下を歩いていくと、突然雰囲気が全く異なる空間に足を踏み入れた。 そこは、何かしら信仰のために作られた場所のようで、どことなく大陸風の雰囲気を感じた。右手には短い段の先に幅の広い廊下が続いていた。左手には入場受付のような窓口があり、職員もいるようだった。そして、入り口と廊下の境目の天井近くに、大きな大きな白い狐の面が掲げられていた。 昨夜眠りにつく前に、偶々目にした伏見稲荷大社に纏わるエピソードをいくつか読んだところだったので、夢の中で伏見稲荷さんに繋がった/訪れたのかもしれない。…

名字の遍歴

結婚後、チェコではチェコにおける氏名で署名を求められるようになり、サインの練習の必要を感じている。チェコにおけるわたしの新しい名字はちょっと長い上に、ハーチェクが1つ、チャールカが2つあり、筆記体ではまだスムースに書くことができない。先日も、保険の手続きに出向いた際にチェコの名字で署名を求められ、ゆっくり書きつつも間違えそうになって思わず苦笑し、担当者も笑いながら「大丈夫、合ってる」と確認してくれた。 一般的に婚姻前の氏はmaiden nameとかoriginal family nameとかと呼ばれるが、わたしの場合、一度目の婚姻相手との離婚時に婚姻時の氏(つまり元夫の氏)を名乗ったまま単独で新しい戸籍を作ったので、旧姓をmaiden nameと呼ぶのは違う気がする。 また、わたしの両親はわたしが10代の頃に離婚し、わたしは旧姓に戻った母の戸籍に入ったので、この時にもわたしの氏は変わっている。出生時は父方の氏だったので、birth nameはひとつだ。しかし、family nameはと問われると、生まれた時の氏と、両親が離婚した後の母方の氏の両方が頭に浮かぶ。 チェコの行政機関へ…

ヴロツワフからの帰り道

ターボルからヴロツワフまでは車で約4時間半(約320km)とそこまで遠く離れてはいないけれど、国境を超えると風景も気配も明らかに違っていた。同じチェコ国内ですら、ターボルがある南ボヘミア州と、ポーランドとの国境に接するチェコ北東部のフラデツ・クラーロヴェー州とでは、地形も眺めも雰囲気も随分異なる。 ヴロツワフの水は美味しく飲めたものの、南ボヘミアの軟水に比べると硬い(実際に中硬水らしい)ようで、普段使っている石鹸の泡が立ちにくかった。地続きの隣国でも、当然ながら土が異なれば水も違うし、歴史と文化、風習の違いが、街並みや建築様式の違いにも現れる。 ポーランド西部のヴロツワフから、チェコ北東部のフラデツ・クラーロヴェー州、中央ボヘミア、そして南ボヘミアと、車窓を流れる風景の移り変わりを楽しみながら、無事ターボルの自宅に帰ってきた。…

冥王星の移動

あと30分ほどで、冥王星はようやくジオセントリックでも水瓶座に完全に移動する。2008年から続いてきた冥王星山羊座時代が完了し、ここから19~20年間続く時代が始まっていく。ジオセントリックで冥王星が水瓶座を運行するのは2043年9月まで。その後冥王星は一旦逆行して水瓶座に戻り、2044年6月には魚座へ完全に移動する。 2008年、わたしは企業勤務に加えてオーラソーマカラーセラピストとしての活動を開始し、元夫と離婚した。東京での生活が本格的に始まった時期だ。あれからわたしはさまざまな職を転々としながら、機能不全に陥っていた自尊心を回復し、自己を何度も壊しては再構築して、母との関係も再構築した。そうして流れに運ばれるように日本国外へと移住し、しばらく後に母の死を看取った。さくらをチェコへ連れて来て、現在暮らしている町へ引っ越し、唐突に絵を描き始めた。やがて母のパートナーも実父も亡くなり、日本に残っていた遺産をすべて手放した。そしてチェコの自宅を購入した。こうして振り返るとなかなかの激動だった。 これからの20年はどんな時間になるのだろう。わたし自身は長年の重荷も精神的負担もすべて消え…

空を眺め、空を描く人

絵画作品と作者をランダムに紹介し続けているFacebookページで、とても惹かれる作品に出会った。作者名で検索するとすぐに本人のアカウントにたどり着いた。その人のタイムラインにはやっぱり素晴らしい油絵作品が並んでいて、さらに、ずっと眺めていたくなるような空の写真もたくさん投稿されていた。 他の作品や写真も見たくて過去の投稿を遡っているうちに、残されたコメント等から、その人が6年前に他界されたことを知った。それでも、作品も写真も変わりなくそこに生き続けていて、わたしはその美しい絵と写真、そしてコメント欄に残された言葉を通して、その人本人にも出逢ったような気がした。…

身体の快適

わたしは、10、20代と生理が不安定で、何ヶ月も、半年以上も生理が来ないという状態もよくあることだった。生活がほんの少し安定した30代半ばから婦人科で医師に相談するようになり、不定期ながらも生理が来るようになった。40代で弾き出されるように日本国外へ移住した後、40代後半から定期的に生理が来るようになった。自分に合う生活と環境をようやく見つけて身体も安心したのだと思う。 生理周期など無いともいえるような状態があまりに長かったので、40代も後半になってきっちり周期的に生理が来るようになったことには未だに驚いている。身体は実に正直で不思議だ。身体は一番身近な自然なのだと常々実感する。 いや、不思議というのはちょっと違うかもしれない。わたしの場合、自分自身を植民地化し続けるような在り方と生き方を徹底的に放棄した後、ようやく精神と身体が無理なく一致する状態に落ち着いたのだろう。身体が無理なく快適でいられる状態は、精神が快適で無理なくいられる状態。逆もまた然りだ。…