過去の人たちと遭遇する夢と、夢でだけ時々訪れる街

昨日もまた日が暮れる前に急激に眠くなり、早々に横になってそのまま13時間ほど眠った。延々と見た夢の中で、元夫を含む過去にこの世界で出会った人々と遭遇した。今ではまったく音信不通になっている人たちだったが、夢の中では「ああ、久しぶり」とごく普通に言葉を交わしていた。感情の動きは特にはなかった。 すっかり過去になってしまった人たちが何人も夢に出てきたので、目が覚めた後に「いよいよ死ぬのかな」などと思い、ひとりで笑った。まるで、10年程前までの人生をざっと総まとめされたみたいだった。ある意味では、当時のわたしは既に死んだので、あながち間違いではない。 夢の中でだけ時々訪れる街がある。日本の地方都市の、それも郊外の風景のようでありながら、チェコの田舎にあるような教会の屋根も見える場所だ。昨日もまた、わたしはその街にいた。その辺りは駅から遠くて、バスの本数も少ない。わたしはいつも「さあ、今日はどのルートにしよう」と思いながら歩いている。 夢の中のわたしは急いではいないので、困惑も焦りもなくのんびりと歩く。時おり、地方都市によくある大型店舗の建物と看板が見える。周囲には畑や林が広がっている。…

骨董品を扱う夢と、たくさんの人が訪ねてくる夢

昨夜は19時頃に寝てしまった。真夜中に一度目が覚めたものの、すぐにまた横になり、そのまま朝7時まで眠った。 濃密な夢をたくさん見たので、もっと長く眠りつづけていたような体感がある。もしくは、一週間ほどまったく別の世界で生きていたみたいだ。実際に、わたしたちは夢を見ている間、異なる世界に生きている。それは、固形物である肉体と、わたしという個を離脱した”世界”だ。 一度目を覚ます前に見ていた夢の中で、わたしは骨董品を運ぶ仕事をしていた。扱っていたのは希少価値の高い古代の美術品類だったと思う。人から人へと骨董品を運んでいたが、ストーリーは覚えていない。どこかの場面に父方の祖母がいたような気がする。 別の夢では、わたしは自宅だという広い部屋にいた。夢の中だけの知人が二人宿泊中で、わたしは彼らにコーヒーを淹れようとしていた。そこでインターフォンが鳴り、かなり前に働いていた職場で同僚だった女性が訪ねてきた。さらに、部屋にも何人かの人が現れて、わたしは「なんだか急に忙しくなったな」と感じていた。…

高層ビルのエレベーター、知らない街、古いレストランの夢

昨日朝方に見た夢。 わたしは、高層ビルの上層階にある飲食店で催された懇親会のような集まりに遅れて到着した。集まっている人々の中には、何年も前に働いていた職場のメンバーもいた。たくさんの人が食事をしながら楽しそうに話をしていて、店のスタッフは忙しく動き回っていた。しかし、わたしはその集まりには興味がなかった。 わたしは何人かの人と少し言葉を交わして、すぐにその場を去った。満員のエレベーターは猛スピードで下降し、あっという間に地上に着いた。さらにそのまま滑るように横へ移動しはじめ、なぜか道路の上をしばらく走った。そこは、見たことがあるようでないような未来的な街で、車のような乗り物がたくさん行き交っていた。 そのからどのように場面が切り替わったかは覚えていないが、わたしは古いレストランに入店した。臙脂色の絨毯が敷かれた薄暗い店内を進みながら、どのテーブルにするかしばし迷った。大きな窓に面したカウンター席に知人(という設定の知らない男性)が座っていて、わたしは待ち合わせだったことを思い出し、彼の隣の席に着いた。…

女性の話、二つの仕事、バランスの変化

昨日見た夢。わたしは、どこか知らない国で知らない女性の話を聞いていた。彼女は看護師として病院に勤務しながら、在宅訪問セラピストとしても活動しているとのことだった。そして、最近はこれまでとは異なる依頼が増えてきて、二つの仕事のバランスが変化しつつあると言っていた。 彼女は、手帳を示しながら「14日に再び予想外の展開が起きると思う。そうしたら、さらにバランスを変えていく。」と言った。わたしは、彼女が仕事について話す時の波長の違いから、在宅訪問セラピストの方が今はよりおもしろいのではと感じ、それを彼女に伝えた。彼女はにっこり笑って同意した。それぞれ理由や意味は異なるけれど、彼女にとって今はどちらの仕事も必要だという結論で、わたしたちは一致した。…

植物には動物の存在が必要なのだと夢の中で教わる

5年前の今日に見た夢を、Facebookが思い出させてくれた。 わたしは、古い木造家屋の縁側で、隣に座る人から話を聞いていた。その人はわたしに、植物の育成には動物の存在が必要なのだと言った。植物だけが隔離された土ではなく、様々な動物が関わる土で育つ方が、植物のエッセンスが増すらしい。動物の皮脂や汗、垢、皮膚や爪の破片など(夢の中では山羊や牛の頭と耳がクローズアップされていた)が土に落ち、それらが情報として植物に伝わるのだと教わった。 バイオダイナミック農法で作られる調合剤には、牛の角や頭蓋骨、小腸や腸間膜などが用いられるそうだ。夢の中ではそういった詳しい話はなく、ただ、四足動物の頭部からは特に重要な情報が土と植物に行き渡るとだけ教えてもらった。 温かい日差しの中で、外の景色を眺めながら、そんな話を聞いているのはとても心地よかった。そばには大きな黒猫がねそべっていて、尻尾がぱたんぱたんとわたしの膝を繰り返し叩いていた。周囲には農場と牧場があり、牛や山羊たちがのんびりと草を食んでいた。…

個々の肉体を通って流れる「母」という名のひとつの川

今日もまたいくつも夢を見たけれど、ストーリーは忘れてしまった。ただ、ある夢の中で浮かんだフレーズだけははっきりと覚えている。「人の中には母という名で呼ばれる川が流れている。人と人との間を渡って脈々と流れている。それを解放することが癒しであり、自立の源である。」と、わたしが誰かが言っていた。 個別の肉体を持つわたしたちの中を「母」と呼ばれる同じ川が流れているらしい。そして、その川を「母」と呼ぶことは、時に勘違いの元でもあるようだった。自分の中にも、他者の中にも、その川があることを認め、それを解放し解放されることが、本来の癒しだそうだ。 等しく流れるひとつの川とは「命」かもしれないね。…

夢はすべてがリアル

昨日は12時間以上眠り、あまりにたくさんの夢を見たので、目が覚めた後もしばらくこの物質世界に戸惑った。起きてからもまだ意識は夢で見た情景を追っていて、物質世界の方がむしろ虚構のように感じられた。固形物としての肉体と個性を超えた夢の世界は、いつも本当にリアルでおもしろい。 以下は昨日見た夢の記録。 わたしは夕暮れの町を自転車で走っていた。父方の祖母が経営していた喫茶店の近くということだったが、見たことのない街並みだった。自転車の前輪がパンクしたので、自転車屋を探したが見つからなかった。わたしは地図を見ながら「確か(自転車屋が)このあたりにあったのに」と思っていた。日が暮れてきたのでタイヤ修理はあきらめた。タイヤがパンクしたままでも自転車は問題なくスムーズに動いた。途中、道の傍に大きく茂ったバラの木を見つけたわたしは、自転車を降りて、咲きそろった大輪のピンクのバラを手に取りながら眺めた。 そしてまた、知っているようで見たことのない町並みを自転車で走った。走りながら同時に鳥瞰図が見えていた。灰色の雲に覆われた上空に、大きな西洋風の城のシルエットが浮かんでいた。それはまるでファンタジー…

祖母が営んでいた喫茶店の夢と、遊軍になるという夢

今朝見た夢の中で、わたしは父方の祖母(既に他界している)が以前営んでいた喫茶店にいた。そこには、とっくの昔に他界した祖父と叔父もいた。叔父が椅子の上に置いた洋酒の瓶が床に落ちて割れてしまった。洋酒の甘い香りが空気中に広がった。父だか祖父だったかが「そんな不安定な場所に置くからだよ」と言っていた。 また、別の夢では、わたしはどこか知らない日本の田舎町にいた。そこには二人の知人(彼らは古い友人同士)がいて、一人がもう片方のことを「あいつは遊軍になるそうだ」とわたしに言った。わたしは「そうか、彼もいよいよ積極的に移動して新しい可能性を探っていくんだな」と思っていた。…