個々の肉体を通って流れる「母」という名のひとつの川

今日もまたいくつも夢を見たけれど、ストーリーは忘れてしまった。ただ、ある夢の中で浮かんだフレーズだけははっきりと覚えている。「人の中には母という名で呼ばれる川が流れている。人と人との間を渡って脈々と流れている。それを解放することが癒しであり、自立の源である。」と、わたしが誰かが言っていた。 個別の肉体を持つわたしたちの中を「母」と呼ばれる同じ川が流れているらしい。そして、その川を「母」と呼ぶことは、時に勘違いの元でもあるようだった。自分の中にも、他者の中にも、その川があることを認め、それを解放し解放されることが、本来の癒しだそうだ。 等しく流れるひとつの川とは「命」かもしれないね。…

夢はすべてがリアル

昨日は12時間以上眠り、あまりにたくさんの夢を見たので、目が覚めた後もしばらくこの物質世界に戸惑った。起きてからもまだ意識は夢で見た情景を追っていて、物質世界の方がむしろ虚構のように感じられた。固形物としての肉体と個性を超えた夢の世界は、いつも本当にリアルでおもしろい。 以下は昨日見た夢の記録。 わたしは夕暮れの町を自転車で走っていた。父方の祖母が経営していた喫茶店の近くということだったが、見たことのない街並みだった。自転車の前輪がパンクしたので、自転車屋を探したが見つからなかった。わたしは地図を見ながら「確か(自転車屋が)このあたりにあったのに」と思っていた。日が暮れてきたのでタイヤ修理はあきらめた。タイヤがパンクしたままでも自転車は問題なくスムーズに動いた。途中、道の傍に大きく茂ったバラの木を見つけたわたしは、自転車を降りて、咲きそろった大輪のピンクのバラを手に取りながら眺めた。 そしてまた、知っているようで見たことのない町並みを自転車で走った。走りながら同時に鳥瞰図が見えていた。灰色の雲に覆われた上空に、大きな西洋風の城のシルエットが浮かんでいた。それはまるでファンタジー…

祖母が営んでいた喫茶店の夢と、遊軍になるという夢

今朝見た夢の中で、わたしは父方の祖母(既に他界している)が以前営んでいた喫茶店にいた。そこには、とっくの昔に他界した祖父と叔父もいた。叔父が椅子の上に置いた洋酒の瓶が床に落ちて割れてしまった。洋酒の甘い香りが空気中に広がった。父だか祖父だったかが「そんな不安定な場所に置くからだよ」と言っていた。 また、別の夢では、わたしはどこか知らない日本の田舎町にいた。そこには二人の知人(彼らは古い友人同士)がいて、一人がもう片方のことを「あいつは遊軍になるそうだ」とわたしに言った。わたしは「そうか、彼もいよいよ積極的に移動して新しい可能性を探っていくんだな」と思っていた。…

痩せ細った知らない男性と共にいた夢

今日もまたいくつも夢を見たが、どれもほとんど覚えていない。記憶に残っているのは、知らない場所で、知らない男性と共にいたシーン。彼は顔も身体も骨が浮き出るほど痩せ細っていたけれど、わたしと話しているうちにみるみる生きる力を取り戻していった。その様子はまるで、枯れた植物が再生するかのようだった。彼の窪んだ大きな目が、最後には喜びで輝いていたのを覚えている。 ここ数日、地球からは金星がプレアデス星団を横切っていくように見えている。金星はスサノオの、プレアデスはアマテラスの象徴だ。…

5体の女性のミイラが祀られている夢とスサノオ、ミトラ、アマテラス

今日見た夢の記録。 わたしは、知らない場所の知らないカフェで昼食をとっていた。経営者やスタッフは日本人のようだったが、客席にはさまざまな国の人々がいた。食事を終えて、支払いのためにレジに並んだところ、レジの背後の壁の上部に5体のミイラが祀られているのを見つけた。いずれも女性のミイラだった。5体並んだミイラはすべて、即身仏のように色鮮やかな衣装を纏っていた。左端のミイラだけが、保存状態が違ったのか、生前の顔つきまで想像できるほどはっきりと形状を保っていた。わたしは「ああ、ここの人たちは先祖代々これらを受け継いでいるんだな」と思っていた。恐怖感はまったくなかった。 支払いを済ませたわたしは、地下にあるトイレを利用した。妙に広々としたトイレの中でふと「代々受け継がれてきたミイラが祀られているということは、ここにはきっと、ずっと昔からの思念や怨念も引き継がれて留まっているのだろうな」と思っていた。 昨夜もまた、スサノオと金星について思い、最近見た印象深い夢の示すところを問いかけてから眠りに入った。そして、上記の夢を見た今日、改めてスサノオについて調べたところ、松村潔氏の著書の中にこんな記…

立て続けに中国奥地の夢を見る

夢の中でわたしは中国内陸部らしき地にいた。そこにはたくさんの歩兵が集まっていた。服装や装備から察するに、彼らはかなり古い時代の人々だった。ある者はモンゴルから来たと言い、またある者はウイグル族だと言っていた。頭を丸めた人が多く、力強い目付きと、小柄ながらもたくましい体つきが印象的だった。彼らは歩兵でもあり、功夫の達人のようでもあった。そこは赤く乾いた土が延々と広がる平原で、わたしの足元はうっすらと靄がかかっており、どうやら歩兵たちは目の前にいながら、別の次元に存在しているらしかった。「歩兵」という言葉を思いながら、目の前には見たことのない漢字が浮かんでいた。確か「冠」に似た漢字だったと思う。 一昨日は、中国の奥地という設定の場所(地図では西から東へ向かっていた)へ向かう夢を見た。中国人という設定の男性が運転する車の中から、飛ぶように流れていく景色を見ていた。時速は200km以上、300kmに近かったかもしれない。高速道路の周囲にはひたすら深い森が続いていた。やがて奥地の小さな村に辿り着き、車を降りて、民家が並ぶ細い通りをさらに奥へ向かった。突き当りには、深い森に囲まれた神社か廟のよう…

音楽家の服を借りる夢と、坂道を登る夢、帰ろうという意識

今朝方見た夢の中で、わたしは知らない男性の服を借りて身につけていた。上下とも黒の洋服で、男性はステージの上で楽器を演奏する音楽家だった。その後、わたしは母と共に自転車のようなものを手で押しながら勾配の急な坂道を登っていた。手すりがなければ登れないほどの坂だった。周囲には、他にも複数の女性たちが朗らかに談笑しながら坂を登っていた。坂を登りきったところで、わたしはATMへ現金を引き出しに向かった。誰か(女性)にお金を貸すことになっていた気がする。 どう話が繋がっていたかは忘れてしまったが、どこか知らない場所で目を覚まし(時計を見たら朝7時だった)、ああ、帰らなきゃと思っていたシーンを覚えている。布団の中で横になっていたら、現実のパートナーの、姿ではなく気配のようなものが思い浮かび、そこへ戻ろうと思っていた。…

桃の絵と翁の笑顔

昨日見た夢の中で、わたしは昔の日本または台湾に似た田舎町にいた。まばらに並んだ古い家屋や建物の中に、煤けたコンクリート壁の上部に桃の絵が描かれた商店があった。 軒先では、老夫婦が野菜や食品などを並べていた。確か、猫もいたような気がする。せっせと動き回っていた老男性は「商売が苦手な’先生’(どうやら女性らしい)が販売しやすいように」と店の準備をしていた。 店は老夫婦のもので、’先生’と呼ばれる女性は、金儲けでなく何か別の目的のために、その店で売り子の真似事をしているようだった。’先生’の働きによる売上は無いに等しく、むしろ、彼女がやりやすいよう店支度するので、店には赤字が出るようだったが、老夫婦は他にも収入があるのかまったく気にしていなかった。 外壁に描かれた大きな桃の絵と、腰が曲がった小柄な老男性の屈託のない笑顔が印象に残っている。それは、翁の能面を彷彿させる表情だった。…