処分予定だった封筒の中から75万円を見つける夢

夢の中でわたしは何かの組織に属していた。周囲には同じ組織に属しているらしい知らない人々が複数いて、わたしはその場所へ出張に来ているようだった。段ボール箱の中に投げ入れられた処分予定だという書類の中から、わたしは一つの封筒を取り出した。 封筒の中からは、わたしの父の名と、母の内縁の夫の名が記された出資かあるいは貸付に関すると思われる記録書類とともに、75万円分の札束が出てきた。それは当初必要とされたものの結局は余ったお金で、最終的にはわたしが受け取ることになっていた。…

夢の旅先

夢の中でいつも知らない旅先にいる。眠りにつく前に「今日はあの星へ行こう」と決めているので、眠っている間にその星かあるいは関わりのある何処かへ旅をしているのだと思う。当然ながらそれはまるで未知の世界なので、夢の記憶は地上にある既知の情報や想像できる範囲のイメージで編集されている。 今朝の夢の中でわたしはトルコかあるいは中東のどこかのような場所にいた。やはりわたしは旅の途中で滞在先へ向かっていた。淡いエメラルドグリーンの壁にピンクの装飾が施された建物の中を歩いていたのを覚えている。周囲はたくさんの人で賑わっていて、外にはモスクか寺院のようなものが見えていた。 わたしはホテルの入口またはエレベーターを探して歩いていた。建物はかなり巨大で、広々とした通路には延々とトイレの入口が並んでいた。エレベーターの前でどうやら同行者らしい女性に遭遇した。そして、彼女と同じ滞在先を予約しておけば便利だったなと思っていた。 そして、彼女がずいぶん薄着なことに気づき、そういえばここはかなり温かい場所なのだったと気づいた。わたしはロング丈のコートを着てスーツケースを手にしていた気がする。夏物の服は持ってこな…

空港で日本の住所が思い出せない夢

夢の中で空港らしい場所にいた。わたしはどこかに向けて出発しようとしていた。出発するにあたり、あるブースで住所を書く必要があったが、わたしは自分の日本の住所が思い出せず何度も間違えては修正した。あまりに修正したので新たな用紙に書き直そうとしたが、係員からはそのままでいいと言われた。 何度修正しても住所(番地)は思い出せなかった。そしてふと自分はもう日本には住所はないのだったと気づき、友人宅の住所を拝借して記入しようかと考えていた。 空港だというその近代的な建物は見晴らしのいい場所にあり、周囲にはなだらかな起伏のある草原が広がっていた。建物の中は徐々に混雑しはじめた。ベンチが並ぶあたりでは大きな集団がハンバーガーのようなものを食べていた。犬を抱えて歩いている人もいた。わたしは人混みの中を縫うように移動した。…

三人の父と菩薩の顔が刻まれた小さな石橋

夢の中で、高層ビルの最上階からエレベーターで地上へ降りた。すると隣に父がいて、わたしたちは共に歩いた。夢の中の父は実際よりも老いていて、腰はすっかり曲がり脚が不自由なようだったが、まるで古い機械を直すように自らの手で骨盤をコツコツ叩いて調整しながら驚くほどの速さで歩いていた。 少し離れたところには、青年時代の父と、さらにはもう一人別の姿をした父もいた。年老いた父と共に歩いていると、道路に小さなアーチ形の石橋が架かっているのを見つけた。うっすらと苔むした石橋の端には美しい菩薩の顔が刻まれていた。橋の向こう側には廃墟のようにも見える高いビルが建っていた。 ビルの横にはずいぶん昔に廃線になった高架の跡が錆びついて赤茶けた状態で残っていた。わたしは「子どもの頃はよくここにきてこの橋を渡った」と一人で懐かしんでいた。そして刻まれた菩薩の顔をみながら石橋の上を行ったり来たりしているうちに、父はどこか建物の中へ入っていき姿が見えなくなった。…

デネブ ― 命を狙われる中、犬とともに移動している夢

夢の中でわたしは常に命を狙われているようだった。身の回りには特殊部隊のような存在がたくさん潜んでいるので、かなり慎重に行動しなければならず、姿を見られないよう常に隠れて行動していた。そんな状況の中、わたしは天文台だという石造りの大きな塔を丸ごと何かの装置に作り変えようとしていた。作ろうとしていたのは、生活や戦いのための道具ではなく、移動のための装置か、あるいはロケットや宇宙船のようなものだったと思う。 共に行動している女性が一人いたのを覚えている。わたしたちは一旦タイへ逃れようかというような話をしていた。わたしは長毛種の犬を連れていて、潜伏生活の中でもその犬がどうにか安心して暮らせるようにと気を配っていた。 移動先の高層階にある近未来的な空間で、「彼のことを知っているか」と問われたHarry Shum Jr.に似た細身の男性は、(夢の中では)古くからよく知る人物だった。こちらに向かって親し気な笑顔を浮かべている彼と「久しぶりだね」というような言葉を交わした気がする。そして、彼とその場にいる数人の人々はどうやら味方だとわかった。別の人から「何処から来たか」などの質問を受けたが、わたし…

人形を助ける夢

夢の中で、大きな戸建住宅が建ち並ぶ通りを歩いていた。家屋と道路を隔てる塀の上を歩いていた気がする。ある家の玄関先の低い生垣の中に人形が横たわっていた。フェルトや布で作られたその人形は、明るい肌色と黄色い髪をもつ男の子で、赤と青が組み合わさったユニフォームのような服を着ていた。 薄汚れたその人形をよく見ると、鳩尾の辺りに少し血が滲んでいた。「怪我をしたの?助けが必要?」と話しかけると、人形は喋りはしなかったが、体の向きを変えて「うん、助けて」というような素振りを見せた。人形とは言語を介することなく、直接的な意思の疎通が可能だった。 わたしと人形のやり取りを見ていた通りすがりの女性が「あなた、人形と話ができるの?すごいね、いつもそうなの?」というようなことを尋ねてきたので、わたしは「よくあることですよ、特にチェコに来てからはこういうことは何度もありました。」という風に答えていた。 人形を助けることにしたものの、どのような処置をすればいいかわからないので、日本にいる内科医の友人に電話をかけた。彼はちょっと驚いてはいたものの「なんとかしてみよう、なんとかできるよ。」という風に明るく答えた…

夢日記 - 2022年8月25日

いくつも夢をみたけれどどれも記憶が断片的にしか残っていない。 カフェかレストランのカウンターキッチンでチョコレートパフェを作っていると、テーブル席に座っていたグループが返ろうとしはじめ、その中にいた(夢の中だけの)知り合いの女性が笑顔で手を振ってきたので、わたしも笑顔で手を振り返した。 別の夢では、大きな絵を描きたくなり、自然光が入る広い空間を探していた。(夢の中だけで)母のパートナーが住んでいるという家の2階の半分が3面ガラス張りになっていてとても明るく、しかし、1階も含めると光熱費が高くつくし彼には広すぎるとのことだったので、わたしがそこを借りるという話になった。 その夢の続きだったか、または別の夢だったか、急勾配の斜面にたくさんの家が軒を連ねる街並みを歩いていた。中にはちゃんと垂直に建っていないのではと思える家もあるほど斜面の傾斜が大きく、徒歩ではもちろん車での移動も大変そうだった。…

夢の中の旅先のジャズ喫茶

夢の中でわたしはまた旅先にいて、地下にある古い大きなジャズ喫茶あるいはジャズライブハウスを訪れていた。時は大晦日または元旦のようだった。中には数人の客がいて、彼らと何か話した気がする。その店はその日を最後に閉業するとのことで、経営者の女性二人はにこやかに店じまいを始めていた。…