描くのは愉快か苦痛か

ほんの数年前の自分に「何年後かに突然絵を描きはじめて、やがては毎日描いているよ」と言っても、当時のわたしは「そんなはずないよ」と思っただろう。 描くのが楽しくて描きたくてたまらずに描いているというよりは、毎度説明しがたい苦痛を覚えるのだが描かずにはいられないので描きはじめる。ひたすら描くことでしか磨けないし、描き続けることでしか本当に描くべきものは出てこないので、観念して描いている。 とはいえ、描きはじめると無心になって時を忘れている。最近は自覚的に手を止めて、時間と距離を置いて何度も眺め直しながら描き進めるようにしている。以前のように過集中した後に寝込んでしまうようなことはなくなった。…

見えないものを

見えているものを描きたいのではなく、見えないものを見えるものを通して創り出したいようで、描きながら壊れていくのだが、壊れることなく創り出すのは不可能なので、自分のパースペクティヴ(だと思っている境目)が壊れていくのは愉しい。 愉しいというか、それが当然なので、描いている最中は愉しいも嬉しいもなく、後からああこれは愉快だと気づく。対象が何かを呼び起こすから描くのではなく、呼び起こしたいものがあるから対象と画材を使ってそれを呼び寄せようとしている。…

シベリウス 交響曲第7番

友人から、シベリウスの交響曲第7番が演目のひとつとして予定されている公演のフライヤーに、絵か写真を提供してもらえないかという依頼を受けた。すぐに交響曲第7番を繰り返し聴き、これまでに描いた絵や撮った写真をすべて見返してみたが、これだ!と感じられるものが見つけられなかった(当然ながら写真も絵もチェコの風景が多く、これではシベリウスではなくスメタナになってしまう…と思った)。 そこで、曲を聴いているうちにイメージの中に広がっていく色彩、影と光を、新たに描いた。依頼を受けた時からそうする方がいいのはわかっていた。すばらしい音楽を聴いてその印象やイメージを絵に描くのは、新鮮で愉快だった。思いがけない機会をもらい、新たな境地を味わうことができた。…