テスカトリポカの右足

最近、睡眠中に何かに右足を攻撃されているような、あるいは引っ張られているような体感を味わうことがある。右足がつって痛みで目を覚ますこともあるので、疲労や冷えなど思い当たる理由はいくつもある。しかし、今朝はふとテスカポリトカの名が頭に浮かんだ。最近入手した黒曜石の鏡のことだ。 アステカの創世神話の中でテスカトリポカは大地の怪物と戦って右足を失う。だから、テスカトリポカは絵の中では右足が黒耀石の鏡あるいは蛇に置き換わった姿で描かれる。 ”大熊座の神であり,夜空の神であり,アステカ民族の神殿に祀られた主要な神の一つである。眼には見えず,夜,ねこの姿をかりて徘徊する。また火の発明者,太陽神,強酒の発見者などともいわれ,人間のいけにえを求めたともいわれる。”(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より) テスカトリポカが片足なのは、地に両足はつけないということだろう。地にべったりとくっついて物質世界や人間社会のあれこれに同化していては、陰陽の外へ、ひいては多次元へと自在に移動することなど不可能だからだ。地につけるのは左足のみ、右足は常に浮いている。あちらとこちらを行き来するために、地には定…

アトランティス、スピカ、海王星

今わたしがやりたいのは、古代と未来が型共鳴をする「型」を作ること。それは依代を作ることでもある。型はまた、この地上においても共鳴するもの同士を引き寄せあうだろう。そう考えると、型づくりとは、思っている以上に壮大な計画かもしれない。そこには、相対的自己、陰陽を超える意図が働いている。 失われた記憶を掘り起こすことは、まだ見ぬ遥かな未来からのメッセージを受け取ることと同じ。それらを繋ぐのは意図である。…

Vzpomínka na Atlantidu

今日見た夢の中で自動書記のように描いていた絵の中の景色も、以前に地下鉄の中で見た強い体感を伴う白昼夢の中の風景も、海の向こうにモン・サン=ミシェルに似た建物が小さなシルエットになって浮かんでいた。その眺めはまるで天空の城ラピュタのようでもあり、地上にはない場所のようにも感じられる。 そして、あの白昼夢を思い出すたびに、アトランティスの名が頭に浮かぶ。今日見た夢もきっと同じ何かに繋がっているのだろう。 そんなことを思っていて気づいたが、わたしはピンホールカメラでも似たような眺めを撮り続けている。それは、静かに広がる水面の向こうに浮かぶ城のような建物のシルエット。 わたしのWebサイトのタイトルは「Cesta ke hvězdám」というもので、これには「星々への道」つまり精神的故郷へ繋がる道と、やがて旅立つ先の星への道を、自ら発掘し、作り出して、準備をするという意味がこめられている。 そして、年齢的に木星期を迎え、さらに木星回帰(木星は明日魚座へ移動する)を迎えようとするこの時期にわたしの元へやってきたテーマは「Vzpomínka na Atlantidu」というものだ。アトラン…

Tezcatlipoca

先日から読みはじめた本の序盤にジョン・ディーとエドワード・ケリーの話題が出てくる。久しぶりにその名を目にして、彼らがこの南ボヘミア(しかもVの故郷であるTřeboň)で暮らしていたことがあるのを思い出した。 本を読み進めるうちに黒曜石が欲しくなった。早速検索してみたところ、メキシコ産の黒曜石で作られたという鏡が売られているのを見つけた。裏にはアステカ暦が彫られている。 少し前にピンホールカメラで撮ったさくらの写真に対し「ナワルだ」というメッセージを受け取って以来、アステカに繋がるものを目や耳にする機会が何かと続いている。アステカ神話の神テスカトリポカはナワトル語で 「Smoking Mirror」を意味するという。メソアメリカ一帯では黒曜石から作られた鏡が儀式に使用されていた。 と、そんなことを思っていたらこんな記事を見つけた。大英博物館に所蔵されているジョン・ディーが使っていたといわれる黒曜石の鏡はやはりアステカの鏡だったらしい。 英エリザベス1世の顧問が使用した「霊視鏡」、アステカ起源と判明 英女王エリザベス1世の顧問、ジョン・ディーが16世紀に使用していた「霊視鏡」はアス…

アトランティスにいる

松村潔氏の最新記事の中のアトランティスに関する記述を読みながら、ふと「わたしはアトランティスにいます/アトランティスから来ました」と言えるなと思った。現在暮らしているフラットの名称も「アトランティス」なのだし、それでいこう。 アトランティス時代にはスピカは地球とのの接点があったそうだ。スピカ、アトランティス、そして海王星=エーテル体がテーマのようだ。 昨日の日食は、ネイタル海王星にほぼ合だった。 テーマというよりも、神話あるいはファンタジー創作かもしれない。 ”Dream is the personalized myth, myth the depersonalized dream; both myth and dream are symbolic in the same general way of the dynamic of the psyche.” - Joseph Campbell…

海の夢、そしてアルゴー船

日食が起きている頃に海の夢を見た。わたしは渚を歩きながら、ゆったりのたうつ海を眺めていた。深い藍色の海原は手前になるにつれ緑を帯び、絶え間なく寄せくる波が作る白い飛沫が美しい文様を描いていた。やがて、巨大な古い木造帆船の一部が視界に入った。わたしは「これがわたしが撮った写真に写っていた船か」と思っていた。 船の全体は見えなかったが、視界に入った部分だけでも相当な大きさだった。いくつもの太い木材がしっかりと組み合わさっており、その重厚感にはわずかに恐怖すら感じた。船体からは、これまでにいくつもの厳しい航海を経てきたであろう風格が漂っていた。 場面は変わり、わたしは木の杭の上を渡り歩きながら、引き潮の海を眺めていた。みるみるうちに水が引いていき、渚は広さを増していった。動いていく水を足に感じながら、浅瀬を歩いた。辺りには誰もおらず、とても静かだった。景色は全体的に翳りを帯びていたが、海の色は鮮やかで美しかった。 目が覚めた後、アルゴー船の名が頭に浮かんだ。イアーソーンがコルキスの黄金の羊の毛皮を求めて旅に出るために建造された巨大な船。ヘラクレスや、双子のカストールとポリュデウケー…

Nahual

この写真 [https://www.hvezda369.cz/a-dog-like-monster-april-2021/] をFacebookのピンホール写真グループに投稿したところ、"It's a Nahual." というコメントが届いた。 Nahual(ナワル)とは、メソアメリカ地域において伝承される超自然的存在で、”もうひとりの自我”である鳥獣や自然界の力に変身する能力を持つ人と、その人の分身として働く動物そのものの両方を指すらしい。伝承では、人を形成する表の魂とは別に、トナルという陰の精霊があり、神に近いシャーマンのような人々は睡眠中の夢などを媒介としてその力を使い、鳥獣に変身すると考えられていたそうだ。 コメントをくれた人とは、その後とても心地よいメッセージを交わした。彼が書いてくれた "My dear friend, the world is full of wonder." という言葉には胸が熱くなった。 最近わたしは「見えざるもの」を撮りたい、そして、超自然的存在を描きたいと思っていたところだった。Nahual(ナワル)はそのための素晴らしいインスピレーションだ…

赤土色をした巨大な古代遺跡の夢

今朝夢の中で京都(といっても実際の京都の街とはまったく異なる場所)にいた。わたしは街の中心部にある平屋建ての大きな町家に住んでいたか、あるいは滞在していた。表通りからは中が見えない造りになっている、静かで居心地のいい家だった。確か、仕事先のメンバーの一人が一緒にいた。 家を出て路地を歩いていると、突然赤土色の巨大な遺跡が現れた。岩か固い土を削って造られた教会か神殿らしき古い建造物の遺跡だった。その先にはまだ調査が続いている遺跡広場があり、何人かの観光客が訪れていた。無造作に置かれた遺跡の一部に梟のレリーフを見つけた。傍らで二羽の孔雀が歩き回っていた。 「赤土、遺跡」で検索をしたところ、ペトラ遺跡の画像が出てきた。夢の中に現れた巨大な遺跡は、画像検索であがってきたエル・ハズネやエド・ディルによく似ていた。またしてもヨルダンだ。ターボルの町(そしてヨルダン湖のそば)に越してきてから、ヨルダン、イスラエル、レバノンあたりに繋がるだろう夢をいくつも見ている。…