2020-07-29 母を看取った後の日記
母の死を知った近所の人たちや、老人会(母は老人会の世話役をしていた)会長の訪問を受けたり、保険会社等から電話がかかってきたり、葬儀会社の担当者が集金に来たりと、なんだかんだと今日も一日中忙しい。冷蔵庫の中に何もないので買い物にも行かねばならず、銀行や郵便局にも行かねばならず、朝からずっと動き回っている。今日は雨が降ったりやんだり、お天気雨も何度もやってきた。…
母の死を知った近所の人たちや、老人会(母は老人会の世話役をしていた)会長の訪問を受けたり、保険会社等から電話がかかってきたり、葬儀会社の担当者が集金に来たりと、なんだかんだと今日も一日中忙しい。冷蔵庫の中に何もないので買い物にも行かねばならず、銀行や郵便局にも行かねばならず、朝からずっと動き回っている。今日は雨が降ったりやんだり、お天気雨も何度もやってきた。…
「魂」とか「霊」とか「愛」とかといった抽象的な言葉を、それが何を意味し、何を指すのか、自ら追求したことがないまま口にするのはあまりにお手軽で、それは時に、自他に対する嘘にもなり得る。それが本当に自分の中から出てきた言葉かどうか、そして、それが無自覚な思いこみや機械的な反芻ではないかを自らに問いかけると、安易に用いることはできない言葉/表現だ。 自分自身で考え抜いた言葉ではなく、抽象化された記号としての言葉をただ組み合わせただけの表現は、結局のところ、それを使った本人が「自分がそう口にした /書いた」と満足するためのものでしかない。それは、相手の存在も状態も、自分自身の内的な動きも、真にカウントしてはいないということだ。何でもかんでも即座に言葉=記号にして片付けてしまうのは、本質や実体に向き合わないための欺瞞ではないか。 自分が実は抽象化された記号を組み合わせて「おはなし」を作っているだけだったことに気づくと、安易に言葉にすることがいかに多くのことを隠蔽してしまうかが見えてくる。記号化された言葉は、実体のある存在を記号化してしまう。…
率直にいうと、わたしには「悔やみ」はない。まるで木が枯れていくように、徐々に体内の水分を排出しながら静かに死に向かっていった母の姿を、すぐ傍で見守ることができたのは、素晴らしい体験だった。人もまた、他の動植物と同じく自然のままに生ききって、自らのタイミングで肉体的な死を迎えるということをはっきりと目の当たりにした。死んでいった母本人も、わたしを含めた彼女を取り巻くあらゆる環境も、命の流れと呼べるような力によって運ばれているようだった。 そして、「ご冥福をお祈りします」という定型文的表現には「とりあえず何か言葉にしなくては」という軽さを感じると同時に、祈りという"思い"を押しつけられるようでもあって、違和感を覚えるのが正直なところだ。実際に、わたしは使わないことにしている言葉のひとつでもある。そもそも「冥」とは「死後の世界」という意味を持つ中国仏教に由来する思想だし、「冥福」を目指すかどうかは死んだ本人が選択することだ。…
昨日の朝、母は自宅で静かに息を引き取った。それは、 看護士と私とで彼女の身体を綺麗にした後、ちょうど彼女の兄家族がベッドの周りに集まった時だった。彼女はモルヒネと鎮静剤によって既に昏睡状態だったが、最後の瞬間が近いことを呼吸で知らせてくれた。わたしは彼女の手を握ったまま、穏やかな旅立ちを見届けた。 そして今日無事に母の葬儀を終えて、今はようやく、やっと、久ぶりに、ゆっくり椅子に座ってコーヒーを飲むことができている。この三週間は本当に本当に大変だった。身体がすっかり草臥れきっている。 わたしは、祖母、母、わたしと、三代続けて同じ干支のほぼ同じ日(祖母だけが一日違い)に生まれたわたしたちのことを、オリオンの三姉妹だと思っている。さて、母は次にどこへ向かったのだろう。…
母が深夜に何度も動こうとしたため、昨夜はほとんど眠れなかった。彼女は相変わらず、彼女のパートナーを侮辱し、わたしに対しても理不尽な文句を言い、それでいて助けを求め、しかし、放っておいてくれと言って怒る。こうした彼女の矛盾した言動は今に始まったことではない。彼女自身がずっと抱えてきた内的な(そして常に外側に投影されてきた)分離そのものだ。 母はもう自力で立ち上がることは出来ないのだが、深夜を過ぎると1~2時間おきにベッドから降りてトイレに行こうとする。その度に、せん妄状態の彼女と、彼女を手助けしようとする重病人のパートナーを、わたしがサポートするという状況になる。 どうやら母はもうモルヒネだけでは眠れないようだ。とはいえ、痛みを訴えながらもモルヒネの服用を拒否することも多いが。昨夜は22時に一度看護士に来てもらい、朝一番にもまた看護ステーションに連絡をして助けてもらった。今日は睡眠不足で頭が痺れている。今夜も再び看護士に来てもらう予定だ。…
母が天井を指さして「あんなとこに鳥がおるで」と言った。「飛んでるん?」と聞いたら「ううん」と言うので「じゃあ、鳥がそこにとまってるんやね」と答えた。 母の余命があまり長くないと感じて以来、わたしの頭の中では、誰かの手や、胸や、腹などから、小鳥が羽ばたいていくイメージが何度も浮かび続けている。そして、アンドレイ・タルコフスキー『鏡』の中の情景を繰り返し思い出している。…
幻覚を見ているらしい母の発言にあわせておとぎ話を作って話すと、彼女は嬉しそうに笑っている。また、彼女は時々、子どもがするように「おちょけ」ることもある。そうして、二人して子ども同士みたいにふざけあっている。それでも、彼女は一応、わたしのことを娘だと認識してはいるようだ。いずれにしても、母が気分よく楽しんでいれば、わたしも楽しいし満足だ。…
人前で、自分のパートナーを「これ」やら「うちのおばさん」などと呼んで物扱いをする人と、パートナーからそんな風に呼ばれることを当たり前として受け止める人。そういう人たちとは場を共にしているだけで疲弊する。 自分の母を「これ」などと呼ばれるのは不快だし、それを当然のこととして受け入れている母にも違和感を覚える。「それはおかしいよ」とはっきり言ったこともあったけれど、その場では「そうだね」と答えた彼女も、結局は変わっていない。 わたしは余命僅かな母のケアをするために帰国したわけだが、ややもすると、母と彼女のパートナー(それぞれ自己不在のまま役割を生きてきた共依存カップル)の両方を受け止める「親役」を押しつけられそうになる。なので、それだけははっきり拒否するよう常に意識している。 わたしが母と一対一で話すときには、役割や立場ではない本人がそこにいて、言葉も通じている実感がある。しかし、彼女のパートナーが介入すると、彼女は途端に共依存関係に戻ってしまう。これはもう、わたしにはどうすることもできない。共依存関係にある人たちは、周囲の人を無自覚に巻き込むので、彼らに関わる際には境界線をはっきり…