わたしが暮らしている街の小さな映画館でも『Perfect Days (チェコ語タイトルは"Dokonalé dny")』が上映されたので、観に行ってきた。
まず、思っていたよりもずっと多くの観客がいて驚いた。たくさんの人が細かな演出やディテールに反応し、時に笑い、ポストクレジットシーンまでしっかり楽しんでいた。
ヴィム・ヴェンダースらしい、静かで、端正な映画だった。わたしは、彼が尊敬しているという小津安二郎の映画を知らないので、その影響については語れないが、ところどころにタルコフスキーの作品にも通じる要素を感じた。そして、役所広司は実に素晴らしかった(ラストシーンは圧巻!)。田中泯の存在感(現象感)が凄かったのは言うまでもない。
主人公・平山の生活には、共鳴する面が多々あった。派遣社員として働きながら東京で暮らしていた頃、わたしも毎日小さなカメラを持ち歩き、木々や草花や水面を眺め、光と影のダンスや一瞬の反映に一人で魅入っていた。小さなアパート、いつもの自販機、いつものベンチ、名も知らぬいつもの顔ぶれ。ガラケー、いつもの古本屋、コインランドリー、馴染みの居酒屋。あの日々が懐かしく思い出された。
わたし自身、平山が暮らしているであろう辺りからそう遠くないところに住んでいたので、殊更そう感じるのかもしれない。貯蓄に回す余裕など全くないギリギリの収入で、常に倹約する必要はあったけれど、質素ながらも充実した生活を送っていたのだなと、今になってみればそんな風に思える。
東京で働き暮らしていた頃はよく、職場の近くの公園や神社で一人で弁当を食べた。そうするうちに、やはり同じ場所で一人休憩時間を過ごす人と顔見知りになり、やがて言葉を交わし合ったりもした。近くのビルで清掃員として働く人や、公園の花壇を管理する人とのささやかな会話。そんなことも思い出した。
そういえば、当時交流があった隣人の中に、まさに平山が住んでいるような風呂の無いアパートで暮らし、清掃員として働きながら、マイペースに写真を撮っている人がいた。他にも、わたしの友人の中には、平山のように生きている人たちが数人はいる。平山的な生き方・在り方・生活は、わたしにとってはやはりごく身近なものに感じられる。
ヴィム・ヴェンダース、ルー・リード、役所広司と田中泯、そして舞台は東京と、断片的に得ていた情報からだけでも面白いはずだと確信していたが、まさにその通りで、さらに極私的ないろいろなことが懐かしく思い出される、いい映画だった。