さくらの寝息を聴きながら

3年前、母が手術を受けて入院していた間、日本に滞在していたわたしは、さくらと一人&一犬だけで二週間ほど過ごした。昨夜隣で眠るさくらの寝息を聞いていたら、あの日々がふと思い出された。あの頃はまだ、その翌年にはチェコでさくらとともに暮らすことになるなど想像もしていなかった。 2019年11月、わたしはこのように書いていた。 > 「犬との生活は愉しい。手間も労力も必要だけれど、それもまた楽しい。クークーと寝息を立てる犬のそばで眠る日々もあと数日で終わりかと思うと、ちょっと寂しい。」 > 「犬の寝息を傍で聴きながらこれを書いている。彼女を置いてここを去る日のことを思うと切ない。きっと数ヶ月後にはまたここへ戻ってくるけれど、それでもやっぱり彼女と離れるのは寂しい。」…

デネブ ― 命を狙われる中、犬とともに移動している夢

夢の中でわたしは常に命を狙われているようだった。身の回りには特殊部隊のような存在がたくさん潜んでいるので、かなり慎重に行動しなければならず、姿を見られないよう常に隠れて行動していた。そんな状況の中、わたしは天文台だという石造りの大きな塔を丸ごと何かの装置に作り変えようとしていた。作ろうとしていたのは、生活や戦いのための道具ではなく、移動のための装置か、あるいはロケットや宇宙船のようなものだったと思う。 共に行動している女性が一人いたのを覚えている。わたしたちは一旦タイへ逃れようかというような話をしていた。わたしは長毛種の犬を連れていて、潜伏生活の中でもその犬がどうにか安心して暮らせるようにと気を配っていた。 移動先の高層階にある近未来的な空間で、「彼のことを知っているか」と問われたHarry Shum Jr.に似た細身の男性は、(夢の中では)古くからよく知る人物だった。こちらに向かって親し気な笑顔を浮かべている彼と「久しぶりだね」というような言葉を交わした気がする。そして、彼とその場にいる数人の人々はどうやら味方だとわかった。別の人から「何処から来たか」などの質問を受けたが、わたし…

ゆらぎの記録

あらゆる記憶がごちゃ混ぜのままランダムに去来し、時系列が崩壊していく。あれもこれも繋がりのある物語ではなく、ばらばらの断片になっていく。時間の分離も空間の分離も消滅し、すべての断片がひとつのところにある。ここ数日またそういう感覚を味わっている。 このところまたOCDの波が大きくて、必要な仕事以外はできるだけ何もしないよう自分を止めて、ただぼんやりしたり、絵を眺めたり、水晶を見つめながら眠りに落ちては夢を見たりしている。いわゆる鬱期だが、こういう時には自分の内側で目には見えない組み換えやアップデートが起きているのだと思っている。 頭の中が理由もなくもやもやし、胸や腹の中がざわざわして、痛みや強ばり等の身体症状も伴うので不快ではあるが、不快もまた不快のまま、無理に取り払おうとはせず、強迫観念をじっと眺めている。水晶を見つめたり絵を描いたりするのは助けになる。もし楽器を演奏できるならそれもいいだろうなと思う。…

人形を助ける夢

夢の中で、大きな戸建住宅が建ち並ぶ通りを歩いていた。家屋と道路を隔てる塀の上を歩いていた気がする。ある家の玄関先の低い生垣の中に人形が横たわっていた。フェルトや布で作られたその人形は、明るい肌色と黄色い髪をもつ男の子で、赤と青が組み合わさったユニフォームのような服を着ていた。 薄汚れたその人形をよく見ると、鳩尾の辺りに少し血が滲んでいた。「怪我をしたの?助けが必要?」と話しかけると、人形は喋りはしなかったが、体の向きを変えて「うん、助けて」というような素振りを見せた。人形とは言語を介することなく、直接的な意思の疎通が可能だった。 わたしと人形のやり取りを見ていた通りすがりの女性が「あなた、人形と話ができるの?すごいね、いつもそうなの?」というようなことを尋ねてきたので、わたしは「よくあることですよ、特にチェコに来てからはこういうことは何度もありました。」という風に答えていた。 人形を助けることにしたものの、どのような処置をすればいいかわからないので、日本にいる内科医の友人に電話をかけた。彼はちょっと驚いてはいたものの「なんとかしてみよう、なんとかできるよ。」という風に明るく答えた…

身体のゆらぎとOCD

おそらく更年期なのだなと感じる症状や心身状態が波のように寄せては引くようになってから、元々あったOCDおよびADHDの傾向も増しているが、セロトニンの分泌にも関連する女性ホルモンの分泌が変動しているのだから当然そうなるよなあと思いながら、日々身体のゆらぎになるべく気長につきあっている。 最近は、自分のOCDやADHDの傾向と実際にどのような観念や行動が生じるかを、必要と感じる場合には率直に説明している。たとえば何処かに招かれる際などに、用意してもらった場所で過度なストレス状態に陥ることのないよう、自分には割と強いOCDがあり、〇〇〇のような環境や状態が苦手だと正直に伝えている。 20代の頃はOCDも躁鬱の変動も“治す(直す)もの“としてとらえて通院したりもしていたが、今では“一生つきあっていく体質”ぐらいのものとして受容している。なるべく無理なく、なるべく苦しまずにつきあっていくにはどうするのがいいか、自分なりに考え、模索しては、周囲の協力を得つつ、より快適な環境を作っていくプロセスの最中だ。…