ゆらぎの記録

あらゆる記憶がごちゃ混ぜのままランダムに去来し、時系列が崩壊していく。あれもこれも繋がりのある物語ではなく、ばらばらの断片になっていく。時間の分離も空間の分離も消滅し、すべての断片がひとつのところにある。ここ数日またそういう感覚を味わっている。 このところまたOCDの波が大きくて、必要な仕事以外はできるだけ何もしないよう自分を止めて、ただぼんやりしたり、絵を眺めたり、水晶を見つめながら眠りに落ちては夢を見たりしている。いわゆる鬱期だが、こういう時には自分の内側で目には見えない組み換えやアップデートが起きているのだと思っている。 頭の中が理由もなくもやもやし、胸や腹の中がざわざわして、痛みや強ばり等の身体症状も伴うので不快ではあるが、不快もまた不快のまま、無理に取り払おうとはせず、強迫観念をじっと眺めている。水晶を見つめたり絵を描いたりするのは助けになる。もし楽器を演奏できるならそれもいいだろうなと思う。…

人形を助ける夢

夢の中で、大きな戸建住宅が建ち並ぶ通りを歩いていた。家屋と道路を隔てる塀の上を歩いていた気がする。ある家の玄関先の低い生垣の中に人形が横たわっていた。フェルトや布で作られたその人形は、明るい肌色と黄色い髪をもつ男の子で、赤と青が組み合わさったユニフォームのような服を着ていた。 薄汚れたその人形をよく見ると、鳩尾の辺りに少し血が滲んでいた。「怪我をしたの?助けが必要?」と話しかけると、人形は喋りはしなかったが、体の向きを変えて「うん、助けて」というような素振りを見せた。人形とは言語を介することなく、直接的な意思の疎通が可能だった。 わたしと人形のやり取りを見ていた通りすがりの女性が「あなた、人形と話ができるの?すごいね、いつもそうなの?」というようなことを尋ねてきたので、わたしは「よくあることですよ、特にチェコに来てからはこういうことは何度もありました。」という風に答えていた。 人形を助けることにしたものの、どのような処置をすればいいかわからないので、日本にいる内科医の友人に電話をかけた。彼はちょっと驚いてはいたものの「なんとかしてみよう、なんとかできるよ。」という風に明るく答えた…

身体のゆらぎとOCD

おそらく更年期なのだなと感じる症状や心身状態が波のように寄せては引くようになってから、元々あったOCDおよびADHDの傾向も増しているが、セロトニンの分泌にも関連する女性ホルモンの分泌が変動しているのだから当然そうなるよなあと思いながら、日々身体のゆらぎになるべく気長につきあっている。 最近は、自分のOCDやADHDの傾向と実際にどのような観念や行動が生じるかを、必要と感じる場合には率直に説明している。たとえば何処かに招かれる際などに、用意してもらった場所で過度なストレス状態に陥ることのないよう、自分には割と強いOCDがあり、〇〇〇のような環境や状態が苦手だと正直に伝えている。 20代の頃はOCDも躁鬱の変動も“治す(直す)もの“としてとらえて通院したりもしていたが、今では“一生つきあっていく体質”ぐらいのものとして受容している。なるべく無理なく、なるべく苦しまずにつきあっていくにはどうするのがいいか、自分なりに考え、模索しては、周囲の協力を得つつ、より快適な環境を作っていくプロセスの最中だ。…

夢日記 - 2022年8月25日

いくつも夢をみたけれどどれも記憶が断片的にしか残っていない。 カフェかレストランのカウンターキッチンでチョコレートパフェを作っていると、テーブル席に座っていたグループが返ろうとしはじめ、その中にいた(夢の中だけの)知り合いの女性が笑顔で手を振ってきたので、わたしも笑顔で手を振り返した。 別の夢では、大きな絵を描きたくなり、自然光が入る広い空間を探していた。(夢の中だけで)母のパートナーが住んでいるという家の2階の半分が3面ガラス張りになっていてとても明るく、しかし、1階も含めると光熱費が高くつくし彼には広すぎるとのことだったので、わたしがそこを借りるという話になった。 その夢の続きだったか、または別の夢だったか、急勾配の斜面にたくさんの家が軒を連ねる街並みを歩いていた。中にはちゃんと垂直に建っていないのではと思える家もあるほど斜面の傾斜が大きく、徒歩ではもちろん車での移動も大変そうだった。…

7年前の今日の日記を読んで

7年前のこの決断と野垂れ死にの覚悟の末に今のわたしがある。意識も在り方も生活も何もかもがオセロのようにひっくり返った、その始まりの時だった。あまりにすべてが終わって死んでひっくり返ってしまったので、以前の自分は別の誰かの過去世のようにすら感じられる。社会内相対的自己が死に、そこからもっと大きな自己がはじまったのだった。 右上の第二大臼歯は昨年チェコの歯科医院で抜歯し、現在は骨の再生を待っている。左上の第二大臼歯は、同じ歯科医院で精密根管治療を受けた後ファイバーコアとセラミッククラウンが装着され、まるで自分の歯のように蘇った。 > 2015年8月22日の記録 > 先週はじめに右上の第二大臼歯がひどく痛みだし、急遽見つけた近所の歯科医院に飛び込んで数年ぶりに治療を開始した。この歯は過去にも根管治療を受けていたが、再び根の治療をすることになった。 > ひとまず痛みも治まり一息と思いきや、翌日には反対側、左上の第二大臼歯が猛烈に痛みはじめた。ボルタレンを服用しても眠れないほどの痛みに、仕事を休んで久々に寝込んだ。初めて体験するレベルの痛みだったかもしれない。何も噛めないので食事ができず…