天皇の前で祝詞を上げる依頼を受けたが、電話口からは音楽しか聞こえない夢

夢の中で日本に滞在していて、翌日に何かの式典の中で天皇を前にして特別なプロトコルに則ったスピーチを行うよう依頼されていた。しかし、わたしはスピーチの原稿をまだ受け取っておらず、詳細も聞いていなかったので、依頼主である友人に電話で問い合わせることにした。 電話は繋がったが、電話口からはなぜか交響曲のような音楽が流れるばかりで、彼とは話ができなかった。もう一度電話をしてみたものの、楽曲は違えどやはり音楽が延々と流れてくるだけだった。あきらめて日本を発つ準備をすることにした。わたしはその式典の翌日には日本を離れる予定だった。 贅沢な造りのホテルのような大きな建物の中を歩き、デパートのファッションフロアような空間に辿り着いた。たくさんのカラフルなシルクのスカーフが並んだ店を通り抜けながら、わたしは買いそびれていた服を買いに行こうと思いたった。しかし、目当ての店には店員の姿が見当たらなかった。 書いてみて思い出したが、天皇の前で行うよう依頼されていたのは、スピーチというよりも祝詞のようなものだったかもしれない。とにかく何か特別な言語だった。…

薄暗いバーで酒はもう要らないと実感する夢

今朝見た夢では、わたしは昔の知人に連れられて隠れ家のようなバーを訪れていた。ほんのりとピンクあるいは紫がかったその薄暗い空間にはたくさんの人が集っていた。昔の知人は店主(彼は鮮やかな緑色のシャツを着ていた)をよく知っているようで、彼らは親しげに挨拶を交わしていた。 やがて昔の知人がオーダーしたらしい特別なボトルがいくつか運ばれてきた。彼が「これはチェコでは見つけられないでしょう」と言い、それを聞いた店主は少し訝しげな様子でわたしの顔を見ていた。人々はみな酒を飲んで楽しそうに歓談していたが、わたしは自分はもう酒という嗜好品をまったく欲していないことを確認していた。…

余生は愉快に

Facebookによると、2014年の今頃わたしは人生初の海外一人旅でポルトガルを訪れていたようだ。2016年の今日はカリフォルニアにいて、2017年の今頃は南ボヘミアを訪れていた。8年前のわたしには現在のわたしの状況はまったく想像もつかなかっただろうなと、ふとこうして過去を振り返るたびにそう思う。 今回日本で会った友人たちから、人生の前半を本当によくがんばったね、よくやり遂げたねと何度もねぎらわれた。自分自身でもそう思う。よく死なずに生きて、実によくやった。終わりを終わらせに来てそれをやり遂げ、自己を破壊あるいは脱却し、再生・再構築した。 そして、既に始まっているこの人生第二章は余生のようなものだと思っている。しかし、余生こそが本番なので、とにかく愉快に生きるのだ。…

101号室に引っ越す夢

夢の中で知らない男性(夢の中では彼はわたしのパートナーらしく、よく知っている人だった)と共に暮らすことになっていた。そして、それまで住んでいたフラットを解約しなければならないが、既に月末なので来月分の家賃も払わなければならないかな?などと考えていた。新しいフラットの部屋番号は101で、わたしはどうやって荷物を運ぼうかと考えていた。…

日本から戻ってすぐに見た夢

一昨日に自宅に帰ってきてからは、ようやくたっぷりと眠ることができて、またたくさんの夢を見ている。 最初に見た夢には既にこの世を去った人たちが複数登場した。わたしは知らない街を歩いていた。そこは日本のさまざまな時代や地域、街並みをごちゃ混ぜにしたような場所だった。 少し離れたところにある家屋の軒先に母方の祖父が座っているのが見えた。どうやらそこには母と伯母もいるようだった。わたしは彼女たちには会いたくないと思い、祖父に身振り手振りで「わたしがいることは内緒にしておくように」と伝えた。そうして足早にそこから立ち去った。 わたしは、たくさんの店舗が入居する雑居ビルが繋がったまま建ち並ぶ中を進んだ。建物の中にはいくつもの階段があった。わたしは少し迷ったあと、ある階段を上って外へ出ることにした。 やがて、ライブハウスのような空間に辿り着いた。そこでは知り合いのミュージシャンの演奏が行われるようだった。そこには10年以上前に亡くなった知人がいて、わたしにコンタクトレンズのケースと保存液を用意してくれていた。さらには昨年亡くなった友人もいて、彼はわたしのために特別にオーダーしたという妙に大き…