ノスタルジア

Vと話していて改めて確認したのは、わたしが惹かれる/描きたい/撮りたい眺めは基本的にがらんとして空白や余白が多く、多くの人にとっては退屈な、あるいはよくわからないものかもしれないということだ。 実際に、描かれた/撮られたものがはっきりと何であるかわかる絵や写真の方が、他者からの反応が多いのは確かだ。とはいえわたしはこれからも変わりなく、自分が惹かれる眺めやものを、描いて/撮っていく。 そして、わたし自身もなぜそういう眺めやものに惹かれるのかはわからない。わからないから描きたい/撮りたいのかもしれない。そしてそれでいい。夢で見たような、あるいは遥か昔の記憶のような、自分の中にある懐かしいところに呼応する眺めやものに惹かれ続けている。 先日互いの写真集を贈りあったイスラエルの写真家とは、おそらくそうした感覚的なところで共振しているのだと思っている。見ている/感じているものが近いのだろう。そしてそれはおそらく肉の目で見えるものではない。偶にこうして感覚的に共振する人にぽつりぽつりとめぐり逢うのはおもしく、そして嬉しい。…

循環していられればいい

昨日はシャワーの最中に強い倦怠感がやってきて手の震えと息切れを味わい、貧血か?低血糖か?と思いながら少し食べて休んだらやがて回復した。今日は睡眠不足のまま集中して絵を描いた後、脱力感と猛烈な眠気に襲われて眠りこんだ。満月だったし、PMSでもあるし、あれらもまた揺らぎだったと思っている。 相変わらずなかなかシャワーができないが、今週末はやっと頭が洗えてすっきりした。シャワーができない・外出ができない状態にある自分を自分で責めなくなってからは実に楽だ。 最近身近な人が医師の診断を受けてADHDの治療を開始し以前よりもずっと快適に過ごしている。わたしは相変わらずOCDがあり、おそらくADHDの可能性もあるとは思うが、普段はなかなかシャワーや外出ができなくても、仕事や必要な用事の際にはできているので問題はなく、このまま無理せずやっていくつもりだ。 ここしばらくは毎日数枚ずつ絵を描いていて、描くことで心身の循環が保たれているのを実感している。冬季の数少ない晴天の日には、外に出なければ写真を撮りに行かなければと焦燥感に駆られてはできない自分を責めがちだったが、絵を描きはじめてからは、そういう…

イズムィコさんと本屋を渡り歩く夢、日本の企業から電話がかかってくる夢

眠くて眠くていくらでも眠れそうだ。眠っている間はずっと夢を見ていて、それも内容がリアルで濃密なので、目が覚めた後も夢が継続しているような感覚がある。 夢の中で日本の書店を訪れていて、ユーリィ・イズムィコさんの著書を購入していた。どう展開したかは忘れたが、誰かからもう一冊封筒に入った彼の著者をもらった。そして、イズムィコさん本人と一緒に書店を渡り歩いた。大きな身体をした女性店員がイズムィコさんに「あなた、内臓にガンがあるよ」と言った。 わたしも彼の内臓にガンがあるのが感じられていた。とはいえ、そこに否定的な意味はなく、彼もわたしも特に驚くでもなく「そうなんだ」と受け止めていた。その後わたしたちはワゴン車(バンかも)に乗って移動した。 夢の中では一緒にいたのはイズムィコさんだったが、その後夢が展開する中でいくつか別の存在に変化していったような気もする。いくつもの印象が重なっているので、今回たまたま脳が象徴的に持ち出してきたのがイズムィコさんだったのだろう。 別の場面または別の夢では、わたしはごちゃごちゃと散らかった部屋にいた。母がそこにいるようだったが姿は見えなかった。電話がかかっ…

夢について

わたしは眠りに入る前にはいつも問いを定めていて、夢はそれに対する答えあるいは示唆だと受け取っている。 たとえば、夢に母が出てきたと書くと、「お母さんが見守っているんだね」などと言われることがたまにあるが、そうではないと思っている。 夢は常に既存の情報や記憶によって置換・編集されているので、夢の中の場所や人物を実際の場所やその人だと思ってしまうと、肝心なことが歪んでしまう。 これは現実(便宜上この語を使う)においても同じだ。問と答はひとつのものなので、問い(意図)を明確にすれば答えは同時にあるはずだが、社会的あるいは相対的自我の都合(信じていたい/執着している物語)がそれを歪めて邪魔をする。…

懐かしい人に会うために再び夢にもどってみた

夢の中でわたしは懐かしい人とともにいた。と言っても顔は思い出せないし、現実にはまるで知らない人だ。しかしその佇まいや気配ははっきり覚えている。すべてがほっそりとした繊細な存在だった。とても居心地のいい夢だったが途中で目が覚めてしまったので、続きを見たいと思い再び眠りに入った。 次の夢ではその人は離れた場所にいることになっていたので、わたしはそこを訪れることにした。そこにはさらに別の懐かしい存在もいるようだった。少し前にも夢に現れた昔のアルバイト仲間と、母がわたしの近くにいて(あるいはわたしに指示を出していて)、行き先と到着予定時間を示してきた。 思っていたよりもずっと早くに到着しそうだったので、わたしはその懐かしい人たちに、メールやメッセージではなく電話で話すことにした。「19時15分にはそこに行くのでぜひ会いたい」と言いたいのだが、あまりに直接的でちょっと気恥しいななどと思っていた気がする。 確か同じ夢だったと思うが、わたしは丘の上の住宅街のようなところを歩いていて、おそらく駅へ向かおうとしていたのだが、階段を降りたらなぜか誰かの家の中に入ってしまった。これはいけないと思い階段…

夢の中で同じ場所を訪れている

夢の中でおそらくまたこの夢と同じ場所を訪れていた。そこは山に囲まれた小さな盆地のような場所で、今回は大量の観光客で大混雑していた。わたしは前回訪ねた神社のようなところへ行こうとしていたが、道があまりに混雑していて進むのが嫌になり、途中で引き返した。 わたしはスクーターのような乗り物に乗って移動していた。道の上を走るのではなく、地面から少し浮きながら移動していた気がする。Vも同じ場所へ向かっているはずで、わたしは彼に連絡をしようと思ったが、スマホを忘れたことに気づいた。前回餅のような菓子を買った店のあたりで引き返すことにした。店のすぐそばに小さな駐輪場があり、2匹の犬が繋がれて座っていた。 この場所へは夢の中で既に何度か訪れているのではないかと思う。ざっくりとではあるが地図も描けそうな気がする。わたしが向かおうとしていた神社のような場所へ繋がる道には途中にいくつか分岐があり、そのうちのひとつは山の奥深くにある神社に繋がっている。いつも左の方角に、連なる山の麓に鳥居が建っているのが見えるが、わたしは毎回そこには行きたいと思わない。 意図して同じことを問い続けているので、同じ場所を何度…