絵を描くことと夢の中での探索

夢で見た/訪れた場所や風景を絵に描くと、それまで気づいていなかったことが見えたりわかったりする。わたしは元から夢や水晶玉の中に見た場所やもの、現実には無いけれどはっきりとイメージできる風景などを描きたくて絵の練習をしているので、夢の中の場面を絵に描くのは愉しい。 絵を描くとたいていいつもお腹が減って、とても眠くなる。そうして眠るとまた夢の中で絵に描いた場所を訪れたり、その先に進んだりする。絵に描くことと夢の中での探索には相互作用がある気がしている。夢を見ては描き、描いてはまた夢を見る。そうして地上には地図も書物もない探索を続けていく。…

意図と思いは別のもの

以前はよく、実現させたいことを手帳に書いたり、新月のタイミングで箇条書きにしたりしていた。書いた後はすっかり忘れてしまうことが多かったが、後から振り返ると大半は実現していた。やがて書き出さなくても意図は実現するとわかり、手帳も使わなくなったので、そういう習慣も必要がなくなった。 書き出したことの中には実現しなかったことや、自分ではなく誰か別の人が実現したこともあった。そして、それらは結局わたしが本当に望むことではなく、「そうなれば〇〇に評価される」とか「社会的に価値が高い立場や報酬が得られる」といった他者の視点に基づく相対的自我の“思い”だった。あるいはそれらは「そういうわたしは社会的にかっこいい」とか「そういうことをしている自分が(他者からすてきだと思われるだろうから)好き」といった、自分ではないものによる“思い”と、単なる思いこみだった。 ある日そのことにはっきりと気づき、意図と“思い”の違いがわかった。現在の自分はいつでも別の時点の自分が意図した状態そのものだ。というよりも、意図は物理的な時空による制限を受けないので、わたしはいつでも意図のままだと言える。それがわかれば、“思…

夢の中で訪れる山 ─ 北斗七星とプレアデス

昨日、夢で何度か見た山とその麓に立つ鳥居を絵に描いた。そうしたら、今朝もまた夢の中で同じ場所を通った。 わたしはいつもこの鳥居がある山を左手に見ながら、別の山へ向かう。鳥居がある山は鬱蒼として険しく、修験道の山のような風情だが、わたしが向かう方の山は観光地化されていて、大抵いつもたくさんの人で賑わっている。 夢の中の風景は曖昧なので、描く際にはいくつかの山の写真を参照した。そのひとつは偶々見つけた国東半島にある両子山の写真だった。先ほど改めて調べたところ、両子山を中心に広がる六つの郷は六郷満山と呼ばれ、八幡信仰と天台修験が融合・発達した独自の山岳宗教文化が栄えた地域らしい。これは余談だが、両子山(ふたごさん/ふたごやま)は音読みにするとわたしの名になることにも後から気づいた。 この鳥居がある鬱蒼とした山は北斗七星の象徴で、もう一方の観光地化された山はプレアデスではないかと思っている。松村潔氏は「北斗七星は旦那、プレアデスは妻という対応関係がある」と書いていた。夢の中のプレアデスはツアー客らしき人たちもたくさんいて、初心者でも気軽に訪れることができる場所だ。 今朝の夢では、わたし…

3週間ぶりの外出

昨日は月経二日目だったが、複数の用事があったので予定通り外出した。いずれも大した用事ではなかったけれど、おかげで同僚とゆっくり話ができたりもして良かった。3週間ぶりに家から外に出た疲れと(OCDは帰宅後が最も大変だ)、身体が緩む時期にたくさん動いた疲れで、昨夜以降は肉体的に完全にダウンしている。 しかし、昨日は帰宅後そのまま倒れこむようなことはなく、OCD(あるいは潔癖症)の“儀式”も「これは自分で納得するための行為」と肯定的に受け止めて粛々と行ない、すべてを掃除・整理して片づけ、洗濯をし、化粧を取って顔も洗って化粧水や乳液を塗り、歯も磨き、後回しにしていた仕事も終わらせた。だから今日は安心して倒れていられた。 昨日はスケッチブックとチャコールペンシルを持ち歩いて、電車の中や待ち時間にいくつかの次に描きたい絵のイメージを軽く描いたりしながら過ごした。紙とチャコールがあれば当然ながらスケッチもできるし、とてもいい。 そういえば昨日の朝は、夢の中に、その存在を知ったばかりの画家Scott Kahn氏が現れて、絵に関するアドバイスをもらったのだった。シンプルだが具体的なアドバイスだった…

絵のこと

絵はいつでも練習のつもりで描いているが、とはいえいずれも描きたくて描いたものばかりだ。中でも特に「これを描きたい」と強く感じたものは、実際に出来上がると「一体これは何だろう、これでいいのだろうか」と戸惑いを感じることが多い。しかし、絵描きの友人は毎回そういう絵を好きだと言ってくれる。そして、それはとても嬉しい。…

Scott Kahnという画家を見つけた

昨夜からふとすると泣いてしまいそうな感覚が持続している。とはいえまったく悲しくはないし、辛くもない。なんだかわからないけれど身体の深いところが静かに震えていて、それが漣のように広がって零れ出しそうな感じがする。 Instagramで偶々目にした彼の作品に強く惹かれて、すぐに名前を検索したところ、数日前に投稿されたらしいこのインタビューを見つけた。どの絵もとてもいい。油彩画だけでなくシルクスクリーンもすばらしい。…