在るだけで成る
成そうとするから成らないのであって、在るだけで成る、そういう状態がほんとうであり、そのためにはひたすら己を磨いで脱いでいくことだ。穢れを払うというのもそういうこと。…
水晶玉の中に何度も現れたエジプト第5王朝の書記Mitriは、マアトの神官でもあった。ということを改めて思い出し、同じく水晶玉の中に何度も現れるこちらをじっと見つめてくる猛禽類の目はラー=アルニタクではないかとようやく気づいた。 そうすると、先月受けたNaokoさんによるQHHTセッションで現れたサブコンシャスが「シリウスから来た」と言っていたのもわかる気がする。アルニタクとシリウスが結託して、何かを伝えに接近してきているのだろう。そういえば、あのサブコンシャスは「すべては実験」だと言っていた。 わたしはシリウスには関心が薄かったので、なぜシリウス?というのが正直な感想だった(その答えとしてサブコンシャスは「近いから」だと言っていたが)。しかし、どうやらわたしも所謂ボランティアとして、シリウス、金星という、アルニタクが作り出すダウンフォールに乗ってきたのかもしれない。 地球上の個としては、なんだよ、ボランティアなんか嫌だよと言いたくもなるが、”管になる“というのもボランティア活動のひとつなのだろう。以前、わたしは何をしに来たのかと問うたところ、「終わらせに来た」と頭に浮かんだので…
自分が自分に対してやっていることに気づかず、あるいは気づくのを拒み、それを他者に投影しては嫌悪し、怒り、あるいは嘆き、否定する。必要は常に与えられており、それは望みどおりなのだが、そんなものは望んでいないという。自らの内に目覚めず、外に対して反応ばかりしている。鏡を見ていることには気づかずに。 外に対する反応しかしないのはそれは機械だということで、人の形をしてはいるけれど、人ではないということだ。自らが機械の状態にあることに気づき、つまり、外へ反応ばかりするのではなく、内に目覚めて、ようやく人は人になりはじめる。人になるにも自覚がいる。…