白い布団の上の黒いウミウシ、友人とホテルのカフェへ行く約束をする夢

今朝方見た夢の中で、わたしは旅先の宿泊施設にいて、そろそろそこを去るのか荷造りをしていた。室内には人間用にしては少し小さい白い布団が敷かれていて、その右上端のあたりには黒いウミウシのような生物が這うように動いていた。わたしはその生物に触れたくなくてしばらく放置していたが、意を決して布団の反対側を掴み、窓の外で布団を大きく振ってその生物を振り落とした。布団には粘液のようなものがこびりついていたが、そのまま布団を窓から下へ落とすと階下にいるスタッフのような人が洗濯をしてくれるようだった。 別の夢あるいは別の場面では、わたしは旅先で友人からの連絡を受けてやり取りをしていた。彼女はその場にはいなかったが、夢の中では彼女の姿がホログラムのように現れてはっきりと見えていた。彼女は、わたしが旅から戻ったらあるホテルのカフェでお茶でもしようと言った。わたしはそのホテルの前を通ったことがあるらしく、大きな建物やいかにも高級な雰囲気のホテルの玄関が目の前にあるかのように見えていた。そして、ちょうどわたしもその場所へ行きたかったのだと答えた。 この友人が現れる夢は、後にも記憶に残る象徴的な場面が多い…

モノノケ化すること ─ 個と集合体との間を柔軟に行き来する

昨日は夕食会の後に同僚たちとビールを飲みに行った。わたしは久しぶりにアルコールを飲み、実に久しぶりに楽しく語り合った。久々に生の魚介類とアルコールを取り込んで肉体的には疲労したが、形ではないところで共振が起きているのを実感し、互いに別々の個でありながら個を超えて流動的に混ざりあっている/いくのを体感した。愉快だった。 わたしが参加しているこの集団/組織は、特定の人物などの物理的存在ではなく、もっと上位にある何かしらの意図によって動いていて、わたしは(そして他のメンバーも)その高次の意図によって“食べられている”という感覚がある。もちろん自ら進んで“食べられ”ている。そうして個として働きをなしながら、同時に集合体として生きているようにも感じている。 この集団/組織にはそうしたアメーバ的性質がある。そして、この状態でいられる限り、流動的安定のまま常に変化・変容していけるのではないかと思っている。決して固定はしないが、だからこそ変容し続けられ、精神的・アストラル的に大きく太っていける。物質は精神に従う。だから物質的な成果はいつも後からついてくるというわけだ。 何にどのようにして“食べら…

魚介類や野菜を生で食べるというタマフリ、アストラル体を太らせること

昨日は職場のメンバー全員とともに、日本料理レストランで久しぶりに美味しい刺身と寿司を食べた。そして、今日はやはり腸が少し重いような感覚がある。そうたくさん食べたわけではなかったが、それでも普段は食べないものが入ってくると内臓は大変なのだろう。 昨年夏に富山~能登を訪れた際、刺身も寿司もあまりに美味しくて毎日食べていた(旅の前後にも食べていた)ら、それまでに味わったことのないレベルの便秘を経験した。チェコ移住後長らく魚、特に生魚を食べない(手に入らないので食べられない)生活をしてきたので、内臓が対応しきれなかったのだと思う。 かといってそれが嫌なわけではない。お腹は大変だし、肉体的には負担が生じるが、生の魚介類を食べた=死にきっていない海老や魚のアストラル体を取り込んで一体化したという感じは確かにあり、死と再生と変容が起きているのだと思うと悪くない。たまにこうして新鮮な生の魚介類を取り込むのはいい。 新鮮な魚介類や野菜を生で食べるのもある種のタマフリだ。食べること=他のアストラル体を取りこんで併合し、自分のアストラル体を太らせること。食べるたびにそれまでの自我は壊れて死に、自分+他…