初めて通る道の突き当たりに建つ巨大な団地のようなところへ女性を運ぶ夢

今朝の夢の中では、わたしは車のような乗り物を運転していた。夢ではよくあることだが、その乗り物は地面を走るのではなく、空中に浮かんだ状態で、滑るように高速移動していた。ハンドルのようなものはあった気もするが、手足で操作する必要はなく、頭の中で意図すればその通りに動いた。 わたしはよく知っている(実際にはまったく知らない)高速道路のような広い道を移動していたが、ある地点で、これまで使ったことのない下道へ降りることになった。その時点では姿は見えていなかったが、乗り物には女性が同乗していて、彼女の用事のためにどこかへ向かわなければならないようだった。 どこに向かっているのかわからないまま、建物や商店が疎らに建ち並ぶ道を進んでいくと、突き当たりに巨大な建物があった。それは旧共産圏によくある集合住宅のような建築物で、ずいぶん荒んでいるように見えたが、中にはかなりたくさんの人が働いている/生活しているようだった。 わたしが運んでいた女性は、全面にスパンコールが縫いつけられているかように光る黒いスイムスーツのような衣装を身につけていて、その建物やそこにいる人々とはかけ離れた姿をしていた。しかし、…

絵の変化、感覚の変化

一昨日描いた絵とほぼ同じ風景を、昨年1月にも描いていた(元にした写真は少し異なる)。比べてみると随分と違っている。 昨年1月に突然絵を描き始め、3~10月は結局ほとんど描かなかったけれど、12月末以降はほぼ毎日何かしら描いている。時折こうして比較すると、着実に変化し続けていることがわかるので、おもしろい。 描き方だけでなく見え方の変化も実感していて、わたしにとってはそれが特におもしろい。以前は見えていなかった(=見ていなかった)ものが見えてくるような感覚を味わっている。それは、‘無かった’もの(=無いと思っていたもの)が、確かに‘在る’ものへと変わっていくことでもある。…

死んだ知人と久しぶりに会う夢

少し久しぶりに夢の中で数年前に亡くなった知人に会った。わたしたちは洒落た居酒屋のような店で待ち合わせていたが、同じテーブルには座らず、縦向きと横向きに配置されたカウンターのそれぞれの端に座っていた。彼女が座ったカウンターの中では彼女の夫が働いているようだった。 わたしの近くには共通の知人が2人現れ、1人は現在畑で野菜を栽培していると話し、自分で作った野菜を持参していた。死んだ知人が座っているカウンターの方から、「美味しいからぜひ食べてみてほしい」と、生の大根と蓮根とズッキーニを混ぜあわせたような白っぽい野菜が回ってきた。既に何人かの歯型がついていたので、わたしは反対側を齧った。 わたしはそこでうとうとしてしまったらしい。ふと気づくと、死んだ知人も共通の知人たちの姿も消えていた。死んだ知人の夫だけは姿が見えたので、言葉にはせずに目で尋ねたところ、死んだ知人は既に帰ったとのことだった。 夢の中では会話は言葉で交わすのではなく、思い浮かぶことが直接伝わっていることに気づいた。そしてやはり、死んだ知人の姿形は見えなくて、でもそれが彼女であることは明らかだった。 別の夢かあるいは別の場面…

アンタレス・マトリクス、エーテル体の旅案内

ヒアデスの夢について書いた別の記事に「アンタレスを中央駅としたエーテル体の水先案内」と書いたが、つまりそれはアンタレス化だ。天の八衢、ヘルメス化。アンタレスとの繋がりが強いわたしの海王星はここに使える。実際に夢や水晶スクライイングや絵を描くという方法で既に使っている。 2年前に書いた夢を題材にしたこの詩の内容が繋がってきた。9つのホタテ貝はアンタレスを中心とした8方向、アンタレス・マトリクスであり、生命の樹のティファレトだ。ホタテの貝殻は肉体で、中の白く柔らかい貝柱だけを食べるのはエーテル体で旅をするということ。…