一切皆空

一時的な肉体と名に閉じ込められているわたしという‘此れ’はひとつの夢であり、そのひとつの夢の中で遭遇するあれやこれやも、あの人もその人も、またすべて夢である。上にも下にも無限に入れ子状態になった夢の中にいる。それはまた、意図すれば自在に移動できるということでもあるのだが。 すべてが夢であると気づくことは、自分などというものはそもそも無いと発見することでもある。そこからようやくはじまる。破綻からようやく‘わたし’がはじまる、すなわち生がはじまるとはそういうことだ。 この肉体と名に閉じ込められることによって見られる夢を見に来たのだ。 以前のわたしは名と肉体を与えられて閉じ込められた‘犠牲者’になりきっていたのだな。そしていつしかそれに飽きたのだ。やり尽くし味わい尽くして飽きると終わるし死ぬ。そうしてその陰陽を抜けたところで再生する。 「終わらせるため」に来た。わたしはその途上である。…

何をしに地上へ来たのか

夢の中でとても高いところにいた。超高層建築の最上階、しかし地上のどんな建築物よりもずっと高い。そこでわたしは足を外に放り投げて窓枠に座り、下界を見下ろしていた。下の方には高層ビルが密集する大都市が広がっていた。 わたしの内側には理由のない静かな悲しみが満ちていた。しかし、それはわたし個人の悲しみではないようだった。そして、わたしは確かに大きな悲しみを感じていたが、悲嘆に暮れているわけではなかった。それはまるで「どうしようもないものがある」と知り、それを受け入れているようでもあった。 はるか遠くに建ち並ぶ建物のひとつの窓の向こうに女性の姿が見えた。あるいはその部屋にあるスクリーンに映し出された女性だったかもしれない。その女性は赤い下着を身につけていた。やがて彼女は黄色い一人乗りのローラーコースターのようなものに乗って、笑いながら勢いよく下方へと滑り降りていった。 目覚めてすぐ、「終わらせにきた」という言葉がふたたび頭に浮かんだ。そして、そうか、わたしはカルマを解消するためにここへ来たのだなと思った。カルマを離脱するために来た。それは、わたし自身だけでなく、家系のカルマ、さらには…

軍事施設で地上に設置された銃を破壊する夢

昨夜はまたプレイオネへ行くか、それともタイゲタか、はたまたヒアデスかと思っているうちに眠りに落ちた。夢の中でわたしは大きな建物の上層階にいた。そこはがらんとした無機質な建物で、建築途中なのか破壊されたのか、窓としてあけられた大きな四角い穴にはどれもガラスがはまっていなかった。 そこは軍事基地か、または何かしら軍事に関する建物のようで、わたしはその組織に属する隊員のようだった。敵との戦いは起きてはいなかったが、上層部による監視が厳しいようで、地上にはこちら(建物側)に向けて銃器が設置されており、監視役の一人が常にその銃器のそばに立っているのが見えていた。 実際に隊員を直接狙うことはないようだったが、有事の際には建物の中にいる隊員の命を巻き込むことも躊躇しないという体制ではあるようだった。わたしは、自分たち隊員がそのように扱われていることに反発を覚え、どこからか持ち出した小銃のようなものを窓枠に固定し、地上に設置された銃器を狙った。 監視役の男が持ち場を離れた瞬間に引き金を引き、わたしは一発でその銃器を破壊した。騒ぎになるとは予測していたが、わたしは「どこから狙撃したかはすぐにバレる…

悔いのない野垂れ死に

‘野垂れ死に’という言葉はどうやらひとつのキーワードのようで、わたし自身が言ったり書いたりするだけでなく、わたしが共にいて愉快だと感じる人たちや、近い価値観や考え方を持っているなと感じる人たちから聞くことも多い。 わたしは8年前に「僅かでも気が乗らないこと、少しでも不本意なことは一切やらない、もしそれで生き延びられないなら野垂れ死にしよう」と決意して今に至る。結局わたしは今でも生き残っているし、むしろあの頃よりもずっと愉快に生きている。 決意した当初は、少ない貯蓄がひたすら減っていくのが不安で、「本意ではないけれど金を得るために働こうか」と思いもしたが、自分の中の不安を繰り返し認めて受け入れながら、不本意なことは一切やらないと徹底した。 現在わたしは仕事をしているけれど、金を稼ぐために働いているのではない。自分が「おもしろい」と感じる人たちとともに、やはり「おもしろい」と感じる目的のための活動に参加していると思っている。そうして仕事をしながら、やりたいことをやり、好きなように作りつづけている。 本当にやりたいこともやらず、ましてや自分が本当は何をしたいのかもわからないまま、金や…