会いたい人に偶に会うだけでいい

毎度のことだが、日本滞在から戻った後は、PMSの身体的症状が強く現れていつも以上に辛い。身体のあちこちの痛みと倦怠感、のぼせるような感覚も強くて、物事に集中するのも難しい。そうして毎回、日本に滞在していた間にどれほど肉体的に無理をしていたかを思い知る。 思い返せば、まだ日本に実家があった頃も、わたしは毎回睡眠不足に陥っていた。実家に滞在していた間は母や彼女の内縁の夫の生活ペースに合わせるしかなかったし、扉だけで仕切られたワンフロアの室内で常にテレビが点けっぱなしになっているような環境では、静かに休むことはできなかった。 これまでの日本滞在の中で、睡眠と休息が十分にとれてリラックスできていたのは、2022年に一人で熊本に5日間滞在した時だけだったかもしれない。行きたい場所はあったけれど、予定は決めないままの自由な一人旅だった。 日本以外にもあちこちへ一人で旅をしてきたが、旅先で眠れないということはなく、何処にいても眠りたいだけ眠ってのんびり過ごした。しかし、日本滞在中はそれが難しい。ということは、わたしは日本では常に緊張状態にあるのだろう。日本ではいつも手続き等複数の用件に追われる…

光と大気と水と

昨年からパンフレットの絵を描かせてもらっているオーケストラの次回演奏会のメインテーマは、アントニーン・ドヴォジャークの交響曲第9番「新世界より」だが、聴けば聴くほど具体的な風景からは遠のいていく。ノスタルジアの後に訪れる強烈なEmergenceを描こうと思うと、特定の風景ではなくなるようだ。形よりも、光や大気の動きが強く感じられ、J. M. W. Turnerの特に後期の作品に近いイメージが浮かぶ。 具体的な風景は描きたくないが、モチーフは必要なので、光と大気と水が融合するような眺めをゆっくり探していこうと思っている。ある特定の色は既に明確に浮かんでいるが、これはわたしの共感覚がもたらす印象だろう。…

全ての重荷から解放され、鬱状態を抜けて、次章へ

日本からチェコに戻って三日目、まだまだ蓄積した肉体疲労からの回復途中で休むこと以外何もできていないけれど、精神的には以前と違って重さはまったくない。 振り返ると、2020年夏に日本で母の死を看取ってからの数年間、わたしは云わば長い鬱状態にあったのだと思う。程度の波はあったものの、シャワーや歯磨き等の基本的な生活動作すら困難な時期も多かった。それが、今年3月頃から厚い雲が晴れるのように心身が軽くなり、生活に困難を感じることもなくなって、何をするのも楽になった。 2020年夏に母を実家で看取り、膨大な量の死後事務と遺品整理を一人で片付けて、さくらを連れてチェコへ戻ってきた後、コロナ禍ということもあって、わたしは引きこもり状態になった。誰にも会いたくなくて、外に出るのが億劫で仕方なく、さくらの散歩にすら行けない日も多かった。Vには本当によく助けてもらった。 2023年、母から相続した不動産の譲渡が完了し、母の納骨を終えてチェコに戻った直後に、さくらが突然旅立った。わたしはしばらく完全な鬱状態(悲嘆状態)に陥った。数ヶ月を経て、少し動き出せるようになり、パステル画を通じて出逢った画家を訪…

役割と本質

わたしが日本へ行くのは大抵何かしら義務や手続きを果たしに行く時であり、さらに、日本滞在中は毎回複数の人から相談を受けたり、打ち明け話を聞いたりすることになるので、日本へ行く=役割を果たしに行くことと認識している。そうしてある程度の無理は覚悟して、自覚的に役割を担っている。 わたしは、云わばアウトサイダーであり、だからこそ、日本にいる友人知人にとっては、彼らが属する集団や社会とは異なる視点や風をもたらすマレビト/メッセンジャーになり得るのだろうと思う。だから、日本滞在中は、顔を合わせる人の話にはできる限り最後まで耳を傾け、伝えるべきことは余さず語るようにしている。 そのため、日本へ行くといつもとにかく忙しくて、肉体への負担も大きいが、滞在期間が限られているからこそ果たせる役割だということもわかっている。こうした多忙な日本滞在を何度も繰り返すうちに、最近は自分の身体の限界もわかるようになり、一日の用件や会う人の数を限定し、無理を感じる場合には直前であっても正直に断るようにしている。 普段、わたしは組織に属して働いてはいるけれど、勤務先の体制も自由なため、役割や立場に縛られることもなく…

帰宅後二日目

昨夜から今朝にかけてもまた12時間眠り続けて、たくさん夢を見た。起きだしてみると、身体のあちこちが痛い。そして、食事を摂ると、途端に全身が重くなって動けなくなる。まだまだ疲労は抜けていない。今日は、手荷物として機内に持ち込んでいたものの整理のみ終えた。スーツケースは開いたまま放置している。 顔は洗ったし、歯磨きはしているが、まだ一度もシャワーはできずにいる。3週間分の睡眠不足と無理を続けたツケは大きい。日本滞在から戻った後はいつもこんな感じだが、今回は精神的なストレスからは解放されただけ随分マシである。 日本から戻ってくるたびに思うのは、あのまま日本で働き暮らし続けていたら、わたしは何らかの深刻な病気を発症していたかもしれないということだ。 今回東京で、13~4年前に同じ職場で働いていた人と再会し、彼女との対話の中で、当時の自分はいつも何かしら不快な症状や心身の不調を抱えていたことを思い出した。彼女からもそう指摘され、また、今のわたしは当時とはまるで違って見るからに健康状態が良さそうだと言われた。 10年前、初めて訪れたポルトガルから日本へ戻った後、自分の生活も、身の回りの環境も…

チェコの自宅に帰ってきた

13時間眠り続けていくつも夢を見た。やっとリラックスできたようだ。 昨日は14時半頃に自宅に到着して荷物を置いた後、近所で食事をして戻ってきたら、全身がガクガクと震えるようにぎくしゃくしはじめて立っていることも難しい状態になったので、歯だけは磨いて、シャワーも浴びずに横になった。自宅に帰り着いてようやく神経が緩み、3週間分の睡眠不足と蓄積した疲労が雪崩のようにやってきたのだと思う。 それでも、今回の日本滞在は精神的な負担やストレスからはむしろどんどん解放された(そのためにすべての手続きを遂行した)ので、以前のように、しばらく寝込んだり、鬱状態に陥ったりすることは無さそうだ。肉体の疲労はかなりのものだが、身体さえ回復すればまた快適な日常に戻れるだろう。 起きた後は、羽田空港のマツモトキヨシで咄嗟に購入した永谷園の鮭茶漬けで、お茶漬けを食べた。日本米とは大違いのイタリア産のパサパサした米だが、それでも美味しい。疲労困憊すると昆布や魚介系の出汁の味が欲しくなる。日本から持ち帰りたいのは大抵こういうものだ。…

羽田からヘルシンキへ向かうフライトで

羽田空港は東京都心部とのアクセスが良くて便利だけれど、羽田発着便はやはり人気が高いのか、今回はプレミアムエコノミーすら満席だった。今後日本へ来る時には、羽田発着便はなるべく避けようと改めて思う。時期にもよるが、例えば関空発着便は羽田便よりはすいていることが多い印象だ。 3週間近くまともに眠れないまま多忙な日々を過ごしてきたので、肉体的な限界はとっくに超えている。あまりの辛さに、オンラインでフライトのアップグレードの問い合わせをしてみたが、不可能と言われて一度はあきらめた。しかし、チェックインカウンターで再度尋ねたところ、空席はあるという。料金は予想通り高額だったが、それでも即決したほど疲れ果てていた。すぐにでも横になりたかったし、仕切りがあるとはいえ隣に知らない他者がいる状況で10時間以上を過ごすのはもう無理だった。神経症(OCD)持ちにとっては、飛行機での移動はなかなか辛い。 ビジネスクラスにアップグレードできたおかげで、他者とは隔離された半個室空間で、ゆったりと完全に横になって眠ることができた。東京では、パーソナルスペースのあまりの狭さに精神がひどく消耗していたので、長いフライ…

虹に見送られて

那覇へ向かうフライト中にも、あちこちに虹が現れた。久米島の海の色は、あの珊瑚礁特有のエメラルドグリーンからターコイズブルーにかけてのグラデーションだけでなく、海のより深いところに広がるウルトラマリンも美しい。赤みを帯びた透き通る深い青は、まるで遠い記憶を呼び起こすかのようだ。飛行機の窓からもずっと眺めていた。…