有明川という大きな川が流れる都市を裸足で歩く夢

夢の中でわたしは裸足で歩いていた。いつものようにそこは旅先で、東京という設定だったが、地上にある東京とはかなり異なる都市だった。わたしはまたもや“仕事”のためにそこを訪れていたらしい。多くの住宅やビルが建ち並ぶ中に、そこだけ時代が随分古く感じられる静かな庭園があり、わたしはその中を通路に沿って歩いた。 奥の方へ進むと、ひときわ鬱蒼と木々が繁った仄暗い場所の左側に煉瓦造りの古い門があり、その向こうには古い建物が建っていた。そこは明治時代の大蔵省の庁舎ということだったが、既に閉館時間を過ぎていて中には入れなかった。庭園の通路の突き当りにも古い門があったが、そこは既に閉まっていた。 わたしは再び入口方面に向かって歩いた。満開を迎えた桜の木々が陽光の中に輝いていてとても綺麗だった。複数の若者たちがベンチに座ってにぎやかに喋っていた。また、数十人の若者で満載になったバスが庭園の外の道路を通り抜けて行った。若者たちは、各々の今後の進路希望について語っていた。 わたしは、もし今の自分が彼らと同じ年齢だったならどんな進路を選んだだろうと考えた。そして、やはり同じ大学に進学した後、すぐに日本から出…

夢の中の文字、大きな白い鳥

久しぶりに夢の中に見たことのない文字が現れた。画数がかなり多い木編の漢字だったが、書こうとしても書けず、検索しても既存の漢字の中には見つからない。形としては再現できないけれど、イメージははっきりと覚えている。 その夢には大きな白い鳥が現れた。鳥は二羽いて、何やら特別な時期らしく、身体の一部あるいは羽の一部を一時的に取り外しており、普段はなかなか見られない珍しい姿ということだった。そこは旅先だったような気がするが、詳細は言葉にするのが難しい。しかし、眺めや雰囲気、は強く印象に残っている。 これまでにも夢の中に見たことのない文字(漢字)が現れたことは何度かある。いずれも既存の漢字の中にはない文字だった。しかし、その文字が現す意味というか象徴、印象はやはりよく覚えている。どうやら夢の中でそうした“隠れ文字”を集めているようだ。…

あの頃垣間見た未来

一昨日、プラハの街を歩きながら、ふと10年ほど前に繰り返し見たビジョンを思い出した。 当時暮らしていた東京の下町を歩いていると、重厚な雰囲気が漂う薄暗い石畳の道を歩いているような感覚が何度もやってきた。物理的な現実とビジョンが重なり、2つの眺めと感覚を同時に体験していた。 その頃は、後に自分がチェコに移り住むことになろうとは想像もしていなかった。そもそも当時のわたしは、石畳のある西洋の街を訪れたことすらなかった。しかし、今にして思えば、あれは未来(二極化するこの地上では時間は一方向に流れるのでそうなる)を垣間見たようなものだった。 個人的な体験を通して実感するのは、社会の中の相対的自我レベルで強く願ったことが実現するのではなくて、むしろそうした自我レベルの不安と執着を放棄すると、わたしという“管”を通して成される“大いなる意図”がよりスムースに展開する場や環境に自ずと導かれるということだ。 「○○になりたい/したい」とか「〇〇でなければ」といった小さな自我レベルの執着をあきらめると、本当にやるべきことに専念しやすい場所へと運ばれ、本当に取り組むべき課題に向き合える環境へと導かれ…

海のそばのアトリエ

現在暮らしている国に海はないけれど、近隣国へ足を延ばせばあちこちに海がある。いくつかお気に入りの海辺の場所を見つけて、時々行き来すればいいと思い立った。 さらに、好きな海の近くにアトリエを持てたら最高だ。きっといい場所が見つかるのではないかな。そんな気がする。 随分前のことではあるが、何度もはっきりと見たビジョンが再び思い浮かぶ。…