在るだけで成る

成そうとするから成らないのであって、在るだけで成る、そういう状態がほんとうであり、そのためにはひたすら己を磨いで脱いでいくことだ。穢れを払うというのもそういうこと。…

見えないものを

見えているものを描きたいのではなく、見えないものを見えるものを通して創り出したいようで、描きながら壊れていくのだが、壊れることなく創り出すのは不可能なので、自分のパースペクティヴ(だと思っている境目)が壊れていくのは愉しい。 愉しいというか、それが当然なので、描いている最中は愉しいも嬉しいもなく、後からああこれは愉快だと気づく。対象が何かを呼び起こすから描くのではなく、呼び起こしたいものがあるから対象と画材を使ってそれを呼び寄せようとしている。…

アルニタクとシリウス

水晶玉の中に何度も現れたエジプト第5王朝の書記Mitriは、マアトの神官でもあった。ということを改めて思い出し、同じく水晶玉の中に何度も現れるこちらをじっと見つめてくる猛禽類の目はラー=アルニタクではないかとようやく気づいた。 そうすると、先月受けたNaokoさんによるQHHTセッションで現れたサブコンシャスが「シリウスから来た」と言っていたのもわかる気がする。アルニタクとシリウスが結託して、何かを伝えに接近してきているのだろう。そういえば、あのサブコンシャスは「すべては実験」だと言っていた。 わたしはシリウスには関心が薄かったので、なぜシリウス?というのが正直な感想だった(その答えとしてサブコンシャスは「近いから」だと言っていたが)。しかし、どうやらわたしも所謂ボランティアとして、シリウス、金星という、アルニタクが作り出すダウンフォールに乗ってきたのかもしれない。 地球上の個としては、なんだよ、ボランティアなんか嫌だよと言いたくもなるが、”管になる“というのもボランティア活動のひとつなのだろう。以前、わたしは何をしに来たのかと問うたところ、「終わらせに来た」と頭に浮かんだので…

人の形をした人ではないもの

自分が自分に対してやっていることに気づかず、あるいは気づくのを拒み、それを他者に投影しては嫌悪し、怒り、あるいは嘆き、否定する。必要は常に与えられており、それは望みどおりなのだが、そんなものは望んでいないという。自らの内に目覚めず、外に対して反応ばかりしている。鏡を見ていることには気づかずに。 外に対する反応しかしないのはそれは機械だということで、人の形をしてはいるけれど、人ではないということだ。自らが機械の状態にあることに気づき、つまり、外へ反応ばかりするのではなく、内に目覚めて、ようやく人は人になりはじめる。人になるにも自覚がいる。…

行先のわからぬ電車、岩崎川、天という文字

以下は2012年の今日に見た夢の記録だ。 夢に出てきた「岩崎川」という駅名と、目が覚めたときに浮かんだ「天」という文字。夢の中のその場所は、緑が深く生茂る自然豊かな土地だった。あれはいったいどこなのだろう。慌てて乗り込んだのは行き先の分からぬ電車だった。夕方なのにもう終電だと言われ、どこで降りればいいものかと焦って携帯で乗り継ぎを調べていた。そして、次の停車駅が「岩崎川」だった。夢の中で、私はどこへ向かおうとしていたのだろう。 ふと気になって検索してみたところ、岩手県に岩崎川という川があるのを見つけた。「岩手県紫波郡矢巾町から紫波郡紫波町を流れる一級河川で、南昌山山麓に端を発し、紫波町で北上川に合流する」とある。 南昌山から流れる岩崎川の渓流は、鉱物好きだった宮沢賢治が、盛岡中学時代に親友の藤原健次郎と共によく訪れた場所だそうだ。『銀河鉄道の夜』は、この南昌山や、早世した藤原健次郎との交流をベースに書かれたという説もある。また、南昌山を詠んだ短歌や、ノート、スケッチ、童話も遺っていて、矢巾町の煙山にある南昌山自然公園には宮沢賢治の歌碑が建てられている。 夕方なのにもう終電だとい…