夢の中の文字、大きな白い鳥

久しぶりに夢の中に見たことのない文字が現れた。画数がかなり多い木編の漢字だったが、書こうとしても書けず、検索しても既存の漢字の中には見つからない。形としては再現できないけれど、イメージははっきりと覚えている。 その夢には大きな白い鳥が現れた。鳥は二羽いて、何やら特別な時期らしく、身体の一部あるいは羽の一部を一時的に取り外しており、普段はなかなか見られない珍しい姿ということだった。そこは旅先だったような気がするが、詳細は言葉にするのが難しい。しかし、眺めや雰囲気、は強く印象に残っている。 これまでにも夢の中に見たことのない文字(漢字)が現れたことは何度かある。いずれも既存の漢字の中にはない文字だった。しかし、その文字が現す意味というか象徴、印象はやはりよく覚えている。どうやら夢の中でそうした“隠れ文字”を集めているようだ。…

あの頃垣間見た未来

一昨日、プラハの街を歩きながら、ふと10年ほど前に繰り返し見たビジョンを思い出した。 当時暮らしていた東京の下町を歩いていると、重厚な雰囲気が漂う薄暗い石畳の道を歩いているような感覚が何度もやってきた。物理的な現実とビジョンが重なり、2つの眺めと感覚を同時に体験していた。 その頃は、後に自分がチェコに移り住むことになろうとは想像もしていなかった。そもそも当時のわたしは、石畳のある西洋の街を訪れたことすらなかった。しかし、今にして思えば、あれは未来(二極化するこの地上では時間は一方向に流れるのでそうなる)を垣間見たようなものだった。 個人的な体験を通して実感するのは、社会の中の相対的自我レベルで強く願ったことが実現するのではなくて、むしろそうした自我レベルの不安と執着を放棄すると、わたしという“管”を通して成される“大いなる意図”がよりスムースに展開する場や環境に自ずと導かれるということだ。 「○○になりたい/したい」とか「〇〇でなければ」といった小さな自我レベルの執着をあきらめると、本当にやるべきことに専念しやすい場所へと運ばれ、本当に取り組むべき課題に向き合える環境へと導かれ…

海のそばのアトリエ

現在暮らしている国に海はないけれど、近隣国へ足を延ばせばあちこちに海がある。いくつかお気に入りの海辺の場所を見つけて、時々行き来すればいいと思い立った。 さらに、好きな海の近くにアトリエを持てたら最高だ。きっといい場所が見つかるのではないかな。そんな気がする。 随分前のことではあるが、何度もはっきりと見たビジョンが再び思い浮かぶ。…

ジャージー島とアストロマップ

地図を見ているうちにジャージー島が気になりはじめたので、10月末にブルターニュを訪ねる際にフェリーで行ってしまおうかとも考えたが、そうすると旅程が慌ただしくなりそうなので、来年改めて訪れようと決めた。 まずジャージー島に滞在して、その後フェリーでサン=マロへ渡り、再びブルターニュにしばらく滞在するのもよさそうだ。モン・サン=ミシェル ~ サン=マロ湾 ~ ジャージー島は、わたしの水星・DCのライン上にある。水星だし、飛行機で数時間の距離なのだから、何度も行ったり来たりすればいい。 アストロマップはおもしろくて、たとえばわたしが初めて単独で訪れた(到着後は現地在住の友人に案内してもらった)日本国外の地はリスボン ~ アヴェイロだったが、マップ上ではキロン・MCのラインがちょうどリスボンの上を通っている。そのことに気づいたのは旅から戻ってずいぶん経ってからだった。 あのポルトガルへの旅は、わたしが東京での生活のすべてを徹底的に終わりにして、それまでしがみついていた社会的自我の物語を放棄し、野垂れ死にを覚悟するきっかけになった。あれがキロン・MCライン上にある場所だったというのはまった…