アフリカ大陸の西に浮かぶ島と「サハラの目」

夢の中で新しい場所へ旅に出ていた。わたしは休暇中で、アフリカ大陸の西にある島を訪れていた。夢の中では、その島あるいはその国の名を聞いた・見ていたが、忘れてしまった。「TE」から始まる、実際には存在しない名称だった。 様々な人種の人たちが行き交うローカルな空港の様子や、タクシーのようなもので移動した街の気配を覚えている。ホテルに到着後、わたしは自ら運転をして近くのマーケットへ買い物に出かけた。 わたしはそこに5日間滞在するようだった。その後も休暇は続くが、次の行き先はまだ決めていなかった。わたしはホテルの部屋で、次は北欧方面へ向かうか、それとももう少し物価の安いところにしようか等と考えていた。部屋の窓からは、すぐ前の道路を走行する車や乗客の姿がはっきりとよく見えていた。 目が覚めた後に改めて地図を見た。わたしが夢の中で訪れていたのは、カーボベルデがあるあたりだった。そして、あのあたりにもアトランティスに纏わる伝説があった気がして検索したところ、夢で滞在していた島からは東にあたる、モーリタニアにある「サハラの目(リシャット構造)」こそがアトランティスの失われた都の痕跡ではないかと…

物質界の価値観が死んでも生き残る意図

地上的なしがらみや執着=相対的自己の“思い”を自覚して離脱すると、物質世界の価値観を超える意図に近づく(意図が下りてくる)。しかし、物質的肉体を持つ我々は気を抜くとすぐ同一化・固定化するので、離脱は一度で完了するわけではなく、常に意識的である必要がある。 自分の見方、感じ方、考え方とは物質的個体に染み付いた“癖”であり、それを変えるにも自覚と訓練は必須だ。自らの癖に気づこうとせず、パターンに閉じこもって無自覚に振り回されている限り、一方向に流れる物質世界の時間にただ流されて一歩も動けないまま終わる。 「物質界の価値観が死んでも生き残る志、意図=本当は何がしたいのか?」が最も重要だ。それを自らで追究することなく、一方的に流れる物質世界の時間にただ流されているのは、グルジェフ的にいえば「魂がない、つまり人間ではない」ということだ。 以下は、松村潔氏の過去の投稿より抜粋。 物質世界は一方的な時間の流れの中で作られている。これは変更のきかない川の流れのようなもので、こうなればああなるという因果律がはっきりしている。地上的な欲望、夢、願望はすべてこの一方的な時間の流れの中で形成されてい…

終わりと始まり

人や土地とのつながりも含め、少し長いスパンでの終わりを感じているが、そういえばそろそろ冥王星が山羊座を抜けて水瓶座へ移動するのだった。ジオセントリックでは冥王星は逆行して9~11月に再び山羊座に戻るが、ヘリオセントリックでは5月に水瓶座に移動した後(当然ながら逆行はないので)はもう戻ることはない。 冥王星が山羊座に移動した2008年頃、自分が何をしていたかを思い返すと、元夫と別居そして離婚し、東京へ移住して、母親には住所を知らせずに単独で新しい生活を始めたのだった。思えばあれは、母親(およびすべての母的なもの)からの分離と、自己を回復し再構築するプロセスの始まりだった。 冥王星が山羊座を運行していた間に、自分は虐待を受けていたのだと気づき、自分の中のトラウマや恐れに基づくパターン(囚われ)にどんどん気づいていった。やがては、それまでの生活と選択のすべてが偽りだったと感じられるようになり、仕事も関係もすべてを放棄し、野垂れ死にを覚悟した後、まるで弾き出されるように日本から飛び出した。 日本を離れた後も、自己の崩壊と再構築を重ねた末に、母親との間に立場を超える人と人としての心地よい関…

シベリウス、パルムグレン、カスキ

今回のフィンランド滞在では、ジャン・シベリウスが家族とともに暮らした「Ainola(アイノラ)」へは行かなかったけれど、10代の頃から繰り返し聴き、また自分でも弾いた、シベリウスや、パルムグレンや、カスキの楽曲が生まれた地、当時の芸術家たちが集まり暮らしたあたりの風景を、実際にこの目で見て、触れて、味わうことができてとてもよかった。…

Camille Pissarro - The Artist's Palette with a Landscape, 1878-1880

Camille Pissarro (1830-1903) The Artist's Palette with a Landscape, 1878-1880 Ateneumで開催されている特別展『Colour and Light - The Impressionist Legacy』の中で展示されていた作品のひとつ。この絵にたどり着くまでの間に、既に数々のすばらしい絵画を目の当たりにして何度も涙がこぼれそうになっていたが、この作品を目にした途端、肚から説明しがたい感情が込み上げて、とうとう抑えきれずに涙が溢れた。…

フィンランドの光と色、自然

当たり前だが、フィンランドにはチェコとは異なる光があり、そして当然ながら、見えるものの色が違っていた。何よりもその壮大な自然!たくさんのすばらしい芸術家たちの作品からエネルギーを受け取ったと同時に、彼らがこの地の自然から受け取っただろうインスピレーションも実感した。わたしも「フィンランドの原風景」と呼ばれるKoliを訪ねてみたい。東の湖水地方だけでなく、北にも足を延ばしたい。プラハからヘルシンキへは飛行機で2時間。これから何度も通おうと思う。そしてたくさん絵を描きたい。…

Eero Järnefelt - Koli, 1917

Eero Järnefelt (1863–1937) Koli, 1917 この作品は凄まじかった。じっと眺めていると、自分もコリの丘の上に立っているような錯覚に陥った。この色彩のなんと素晴らしいこと!…

ヤルヴェンパー美術館

この日は、エーロ・ヤルネフェルト(Eero Järnefelt)の作品を観るためにヤルヴェンパー美術館(Järvenpään taidemuseo)を訪ねた。ヤルネフェルトもまた、20世紀初頭にトゥースラ湖(Tuusulanjärvi)周辺に集まった芸術家コミュニティのメンバーの一人であり、この美術館には彼の作品が数多く所蔵されている。こじんまりとした美術館ではあるが、傑作がずらりと並ぶ展示は圧巻だった。中でも、「フィンランドの原風景」と言われるコリ(Koli)の風景を描いた作品はあまりにすばらしくて、できることならずっと眺めていたかった。…