物質界の価値観が死んでも生き残る意図
地上的なしがらみや執着=相対的自己の“思い”を自覚して離脱すると、物質世界の価値観を超える意図に近づく(意図が下りてくる)。しかし、物質的肉体を持つ我々は気を抜くとすぐ同一化・固定化するので、離脱は一度で完了するわけではなく、常に意識的である必要がある。 自分の見方、感じ方、考え方とは物質的個体に染み付いた“癖”であり、それを変えるにも自覚と訓練は必須だ。自らの癖に気づこうとせず、パターンに閉じこもって無自覚に振り回されている限り、一方向に流れる物質世界の時間にただ流されて一歩も動けないまま終わる。 「物質界の価値観が死んでも生き残る志、意図=本当は何がしたいのか?」が最も重要だ。それを自らで追究することなく、一方的に流れる物質世界の時間にただ流されているのは、グルジェフ的にいえば「魂がない、つまり人間ではない」ということだ。 以下は、松村潔氏の過去の投稿より抜粋。 物質世界は一方的な時間の流れの中で作られている。これは変更のきかない川の流れのようなもので、こうなればああなるという因果律がはっきりしている。地上的な欲望、夢、願望はすべてこの一方的な時間の流れの中で形成されてい…