見えないところで

ある人が送ってくれた写真を元に海の絵を描いている。彼女とは、わたしが絵を描き始める前からInstagramで互いにフォローしあっている。 顔を合わせたこともない遠いところにいる人たちが、わたしが描いた絵に嬉しい賞賛の言葉を送ってくれたり、さらには美しい海の写真や動画を送ってくれたりもする。そしてわたしは、そうした距離も言語の違いも超える交流にいつも励まされている。…

束の間の夢

歳をとり、自力で立てなくなって、食欲もなくなり、痩せ細っていく犬たちの姿をSNS等で見るたびに、さくらの旅立ちを見送った日々を思い出す。そして、飼い主さんたちの想いだけでなく、大変な日々も想像でき、身体の中に深い深い静けさが広がる。それは、底のない真っ暗な穴のごとき静けさ。 みんなあっという間に旅立っていく。 残った記憶はすべて夢のよう。 終わらせるためにここへ来た。 そう気づくよりもずっと前から、今回は幾つもの命を見送るような気がしていた。…

青い時

太陽が沈む方角が日ごとに移り変わっていく。 日が沈んだ後も空はしばらく明るい。日が長くなると、部屋の中が静かに暗さを増していくこの時間がますます心地よく感じられる。 そして、日没後のこの時間にだけ現れる淡いミントグリーンのような空の色にはいつも見入ってしまう。 そういえば、日本で会社勤めをしていた頃も、仕事の後にこの青い時間の街を歩くのが好きだったことを思い出した。街も、木々も、人々も、徐々に深みを増していく青いベールをかぶされたようで、まるで夢の中を歩いているみたいだと感じていた。カメラを持って、宛もなく青い空気の中を泳ぐように歩き回った。…

身体の居場所は

電車の窓の向こうに広がる南ボヘミアから中央ボヘミアにかけての風景を眺めていると、肉体的にはやはりここがわたしの居場所なのだなといつも感じる。 日本の風景や、味や、さまざまな記憶を、どれほど懐かしく思い出すことはあっても、それとはまた異なることのようだ。…

道路が同時に川のようにも砂丘のようにも見えた夢

今朝もたくさんの夢を見たが、大半は忘れてしまった。ただひとつ、強く印象に残っている場面がある。そこは東京でも大阪でもなかったが、日本のどこかの大都市のような場所だった。大きな幹線道路の上に、さらに大きな高架が建っており、周囲にはたくさんの高いビルが建ち並び、多くの人や車が行き来していた。 道路には大きなスクランブル式横断歩道があって、たくさんの人々がこちらに向かって渡ってくるのが見えた。同時に、その道路が巨大な川となり、その上を渡る人々と滔々と流れる澄んだ水が重なるようにして見えた。さらには、そこが真っ白な砂が広がる砂丘、あるいは砂浜のようにも見えた。いくつもの映像が重なって見えているような、説明しがたい光景だった。 わたしは、ある友人と二人で、幹線道路から一本脇に入った道を通ってどこかへ向かおうとしていた。すると、作業員らしき男性が、あるビルの横に、高さが180cmぐらいはありそうな赤い箱型の緊急装置を設置しようとしていた。それは火災などの災害時に使われるもののようだった。 わたしは彼に、この辺りはオフィス街で火災の可能性は低いので、別の場所(道路の反対側、向こう側)に設置する…