食べて、消化し、排出する。創作もまさにこのサイクルだ。形として出てきたものは、文章であれ、絵であれ、すべては食べられ、消化され、排出されたもの。だから、それそのものに、良い悪いや、正誤の区別はない。名作だろうが駄作だろうが、根本的には排出物であることに違いはない。しかし、だからこそ、その排出がどのような意識をもって成されるかによって大きな違いが生じるとも言える。なぜその排出が必要なのか、そして、どんな形に排出するのか。そのことに自覚であるかないかによって、排出物は文字通り宝にもなれば、場合によっては糞にもならない。
ただ、いかに自覚的に注意深く形作られた排出物も、万人にとっての宝にはなり得ない。ある人にとっては糞でしかないものが、別の人にとっては至宝の作品になることもある。排出された形=創作物の価値は常に相対的だ。そして、それは、創作者(排出者)自身の満足や納得とはまったく別のことだ。
自覚的であること、これに尽きる。自分がどんなものを食べ、どのように消化し、どんな形に排出するのか。すべてのプロセスに自覚的であること。何のためかといえば、自分に気づき、自分が納得するためだ。そうして自覚的に納得して排出されたものこそが作品であり、それは相対的な価値に関係なく、排出者(創作者)自身にとっての宝となる。