世界を変えるとは

本当に世界を変えようとする人は政治家になどならないだろう。なぜなら、政治家になるとはより大きな機械の一部になることであり、政治的リーダーになるとは機械の集団が見ている夢の依代になることでしかないからだ。 自らが機械の状態、自己喪失状態にあることを真に自覚し、その状態から脱して、自らが希望そのものになろうとする人は、集団や社会からは離れてなるべく単独でひっそり生きることを選ぶだろう。そうして自分がやるべきこと、自分自身を真に生きることに専念するだろう。 世界を変えるとはそういうことだ。…

人が機械の状態でいる限り戦争はなくならない

「この世では戦争も反戦運動も延々と繰り返されます。いずれも、自らの影に対する無知そして否定であり、機械による機械的な反応という点ではまったく同じことです。もしも反戦運動によってある戦争が止められたとしても、反戦運動に従事した集団はやがて分裂して、また争い始めるでしょう。」とある人に話した。 グルジェフは「人が機械の状態でいる限り戦争がなくなることはない」と言っている。感情の記憶に支配され、外側の条件に反応するだけの機械のような人間が、機械の状態のまま問題を解決しようとし、夢想と忘却の中で機械を相手に戦争をしているのだと。 今となってはこれがまさに真実であることがよくわかる。 昨日、世に希望などあるはずがないと書いた [https://www.hvezda369.cz/2022-02-26/] のは、このことについてだった。希望とは、自分の外側に夢見るようなものではない。それは、個が自らのために自らの手で創り出すものであり、夢想と忘却の自己喪失状態から脱して機械ではない「自己」を生きようとする存在のことだ。…

与えられた時間はわずかだ

世の中に希望などあるはずがない。それどころか見れば見るほど絶望しかない。そして世に見るその絶望はそっくりそのまま自分自身である。己の影に反応しつづけるだけでは無のまま死ぬどころか、死んだ後も抜け出せずに延々と囚らわれたままだろう。希望とは”見つけるもの”ではないということだ。 大国の狂人のように見える”彼”も、そこに立ち向かう英雄役に没入する”彼”も、自分自身の影であると明確に自覚することができなければ、わたしたちは延々とリアクションロボットのまま同じことを繰り返す。 人は、茶番劇に没頭したままあっという間に死ぬ。わたしもあっという間に死ぬ。そのわずかな時間を、誰かや何かの意図に乗せられて感情移入し、機械的に反応するだけの道具や通路として終わるのはまっぴらごめんだ。…

形として見えているものを作り出し動かしている見えない力

形として見えているのものではなく、それらを作り出し、それらを動かしている見えない力を見る必要がある。善か悪かといった判断を超えて、そこに働いている力をただ見ること。その力を生み出している意図に気づくこと。 意図によって力が生まれ、形が作られ、物事は動いている。形として見えているもの・ことに反応しているだけでは、何もできないまま流されつづける。そこにある意図に乗りたくなければ、自らもそれに対抗するほどの意図を持つしかない。…

肉体が自ずと朽ちる時まで

絵描きの友人から、わたしが描いたパステル画を買いたいと言われて驚いた。絵を描くこと、練習することしか考えておらず、自分が描いた絵を売るという発想はまるでなかったからだ。彼女から「売れる(お金を払う価値がある)絵だと思いましたよ」と言われてさらに驚いた。 過去にわたしは彼女の作品をいくつももらったことがある。今回はわたしが、彼女が気に入った絵を贈ることにした。 先日も、別の友人が気に入ってくれたパステル画を贈り物として発送したところだ。自分が描いた絵が、それを気に入ってくれた人の手元に渡っていくのは嬉しい。 人と会うことはほとんどないし、V以外の人と話をする機会もそうそうなく、日々一人で黙々と、眺め、聞き、読み、撮ったり、書いたり、描いたりしている。そんな中で、ほんのたまにこうして思いもよらぬところから思わぬ声が届くと、見えないところで響いたり伝わったりしていることを知る。 ふと気づくとひたすら何もない無の中にいて、自分などというのもひたすらに無で、まったくもってどうしようもなくなるけれど、解決などないこともわかっているので、じっとそれを味わい、そこを経過し、そうしてまたひとつひ…