体裁を脱して

「自分自身の絶望的な無力さを認めたところで、ではどうするかというと、単独で夢中になれる行為に自分を余さず投じるしかない。人に働きかけるのをやめて陶器の皿ばかり作っていたという晩年の出口王仁三郎みたいに一人で内へと向かって最終的にはひっくり返るような行為に没頭するしかない。それしか『生きる』術はない。あとはたくさん眠って肉体を抜け出し、たくさん夢を見るだけだ。いずれも体(と体に纏わるあらゆる重たいこと、体裁)を破ってはみ出していくこと。つまり『人』であることから脱するということ。」 3年前の今日、このようなことを書いていた。 体から抜け出し、はみ出し、上へも下へもどこまでも広がって、どんどん“人”ではなくなっていくのがいい。そうしてどんどん自分を超えていくことだ。それは、自分をどんどん大きくすることでもある。そうして、あらゆる他者、あらゆる存在を、自分の中に見出し、呑みこんでいく。 “人”ではなくなる、つまり体裁を脱するとは、立場や肩書き、属性、他者からの評価や比較等々、小さな自己=社会の中の相対的な自己を脱していくことなので、社会的には“人でなし”になる。“人”ではなくなるのだ…

セクメト神、メンフィス、書記Mitri

先月スクライング中に見たこの存在は、セクメトだったのかもしれないとふと気づいた。雌ライオンの頭と、アザラシのような身体、猛禽類の羽根を持つ存在が、石造りのレリーフのようなものの上にひときわ大きく浮かび上がって主張していた。 先ほど偶々目にしたある記事の冒頭にセクメトの名があり、どういう神だったかを調べていて思い出した。ラーの片目から生まれたとされるセクメトは、雌ライオンの頭を持つ姿で描かれる。「エジプトの砂漠が赤いのは、セクメトに殺された人間の血に染まったため」という説があるそうだ。ちょうど昨日、サハラ砂漠から運ばれてくる砂によって赤い雨が降るという予報を目にしたところだった。 破壊と殺戮、疫病の神であり、医術を司るとも信じられたセクメトが信仰されていた古代エジプトの古都メンフィスは、現在ミート・ラヒーナと呼ばれる辺りにあったそうだ。Googleマップで確認したところ、ミート・ラヒーナ(メンフィス)は古代エジプトの埋葬地サッカラのすぐ隣だった。 別の日のスクライイングで2度も見えた(現れた)男性 [https://www.hvezda369.cz/2022-02-20/] は、「…

共存とは

イギリスに亡命していたロシア連邦保安庁(FSB)の元職員アレクサンドル・リトヴィネンコ氏が2006年11月に放射性物質によって暗殺された事件を題材にした映画を、ジョニー・デップがプロデュースし、本人主演で制作される計画があったことを初めて知った。2007年には多くのメディアが報じていたようだが、その後の情報が見当たらないので、最終的に制作には至らなかったのだろう。 ロシアによるウクライナ侵攻について調べているうちに、2020年に起きたロシアの反体制派リーダー、アレクセイ・ナワリヌイ氏の暗殺未遂事件のことが思い出され、さらに、2006年のリトヴィネンコ氏の事件を思い出したのだった。 チェコで暮らすようになってから、当然ながらこの国が経てきた経緯を知る機会は増えた。正直なところ、日本にいた頃にはまったく知らなかったことの方が多かった。それに加え、実際にソ連による軍事侵攻とその後を経験した人々から話を聞いたり、ロシアから(そしてベラルーシやウクライナから)移住してきた人々の話を聞いたりするうちに、わたしのロシアそしてソビエト連邦に対する視点はかなり変化した。 ナワリヌイ氏の暗殺未遂事件…

パラレルワールド

各々が各々の信念に従って見たいものだけを見たいように見、各々の都合に沿った“現実”を主張する。現実というパラレルワールド。 何を取り入れ、何を出すのか。 人は自らが発するものになっていく。…