3週間ぶりの外出

昨日は月経二日目だったが、複数の用事があったので予定通り外出した。いずれも大した用事ではなかったけれど、おかげで同僚とゆっくり話ができたりもして良かった。3週間ぶりに家から外に出た疲れと(OCDは帰宅後が最も大変だ)、身体が緩む時期にたくさん動いた疲れで、昨夜以降は肉体的に完全にダウンしている。 しかし、昨日は帰宅後そのまま倒れこむようなことはなく、OCD(あるいは潔癖症)の“儀式”も「これは自分で納得するための行為」と肯定的に受け止めて粛々と行ない、すべてを掃除・整理して片づけ、洗濯をし、化粧を取って顔も洗って化粧水や乳液を塗り、歯も磨き、後回しにしていた仕事も終わらせた。だから今日は安心して倒れていられた。 昨日はスケッチブックとチャコールペンシルを持ち歩いて、電車の中や待ち時間にいくつかの次に描きたい絵のイメージを軽く描いたりしながら過ごした。紙とチャコールがあれば当然ながらスケッチもできるし、とてもいい。 そういえば昨日の朝は、夢の中に、その存在を知ったばかりの画家Scott Kahn氏が現れて、絵に関するアドバイスをもらったのだった。シンプルだが具体的なアドバイスだった…

絵のこと

絵はいつでも練習のつもりで描いているが、とはいえいずれも描きたくて描いたものばかりだ。中でも特に「これを描きたい」と強く感じたものは、実際に出来上がると「一体これは何だろう、これでいいのだろうか」と戸惑いを感じることが多い。しかし、絵描きの友人は毎回そういう絵を好きだと言ってくれる。そして、それはとても嬉しい。…

Scott Kahnという画家を見つけた

昨夜からふとすると泣いてしまいそうな感覚が持続している。とはいえまったく悲しくはないし、辛くもない。なんだかわからないけれど身体の深いところが静かに震えていて、それが漣のように広がって零れ出しそうな感じがする。 Instagramで偶々目にした彼の作品に強く惹かれて、すぐに名前を検索したところ、数日前に投稿されたらしいこのインタビューを見つけた。どの絵もとてもいい。油彩画だけでなくシルクスクリーンもすばらしい。…

ノスタルジア

Vと話していて改めて確認したのは、わたしが惹かれる/描きたい/撮りたい眺めは基本的にがらんとして空白や余白が多く、多くの人にとっては退屈な、あるいはよくわからないものかもしれないということだ。 実際に、描かれた/撮られたものがはっきりと何であるかわかる絵や写真の方が、他者からの反応が多いのは確かだ。とはいえわたしはこれからも変わりなく、自分が惹かれる眺めやものを、描いて/撮っていく。 そして、わたし自身もなぜそういう眺めやものに惹かれるのかはわからない。わからないから描きたい/撮りたいのかもしれない。そしてそれでいい。夢で見たような、あるいは遥か昔の記憶のような、自分の中にある懐かしいところに呼応する眺めやものに惹かれ続けている。 先日互いの写真集を贈りあったイスラエルの写真家とは、おそらくそうした感覚的なところで共振しているのだと思っている。見ている/感じているものが近いのだろう。そしてそれはおそらく肉の目で見えるものではない。偶にこうして感覚的に共振する人にぽつりぽつりとめぐり逢うのはおもしく、そして嬉しい。…

循環していられればいい

昨日はシャワーの最中に強い倦怠感がやってきて手の震えと息切れを味わい、貧血か?低血糖か?と思いながら少し食べて休んだらやがて回復した。今日は睡眠不足のまま集中して絵を描いた後、脱力感と猛烈な眠気に襲われて眠りこんだ。満月だったし、PMSでもあるし、あれらもまた揺らぎだったと思っている。 相変わらずなかなかシャワーができないが、今週末はやっと頭が洗えてすっきりした。シャワーができない・外出ができない状態にある自分を自分で責めなくなってからは実に楽だ。 最近身近な人が医師の診断を受けてADHDの治療を開始し以前よりもずっと快適に過ごしている。わたしは相変わらずOCDがあり、おそらくADHDの可能性もあるとは思うが、普段はなかなかシャワーや外出ができなくても、仕事や必要な用事の際にはできているので問題はなく、このまま無理せずやっていくつもりだ。 ここしばらくは毎日数枚ずつ絵を描いていて、描くことで心身の循環が保たれているのを実感している。冬季の数少ない晴天の日には、外に出なければ写真を撮りに行かなければと焦燥感に駆られてはできない自分を責めがちだったが、絵を描きはじめてからは、そういう…