行先のわからぬ電車、岩崎川、天という文字

以下は2012年の今日に見た夢の記録だ。 夢に出てきた「岩崎川」という駅名と、目が覚めたときに浮かんだ「天」という文字。夢の中のその場所は、緑が深く生茂る自然豊かな土地だった。あれはいったいどこなのだろう。慌てて乗り込んだのは行き先の分からぬ電車だった。夕方なのにもう終電だと言われ、どこで降りればいいものかと焦って携帯で乗り継ぎを調べていた。そして、次の停車駅が「岩崎川」だった。夢の中で、私はどこへ向かおうとしていたのだろう。 ふと気になって検索してみたところ、岩手県に岩崎川という川があるのを見つけた。「岩手県紫波郡矢巾町から紫波郡紫波町を流れる一級河川で、南昌山山麓に端を発し、紫波町で北上川に合流する」とある。 南昌山から流れる岩崎川の渓流は、鉱物好きだった宮沢賢治が、盛岡中学時代に親友の藤原健次郎と共によく訪れた場所だそうだ。『銀河鉄道の夜』は、この南昌山や、早世した藤原健次郎との交流をベースに書かれたという説もある。また、南昌山を詠んだ短歌や、ノート、スケッチ、童話も遺っていて、矢巾町の煙山にある南昌山自然公園には宮沢賢治の歌碑が建てられている。 夕方なのにもう終電だとい…

死と生

物質的個体としては停止して見える時こそ、命は解放されて活発に活動している。 社会的に死ぬことによって、自己はより活き活きと生きはじめ、相対的自我が死んでいる間にこそ、自己は自らの目的を生きていく。…

QHHTセッション

6月に日本で、アル・リシャのNaokoさんによるQHHTセッションを受けた。 セッション前半に見えたビジョンは今でもはっきりと覚えている。すべてが言葉では形容しがたいものばかりだった。 サブコンシャスへの質疑応答の中では、わたしが幼少期に見たUFOはシリウスから来たものであり、質問に答えてくれたサブコンシャスもシリウスから来ていると言っていた。 このサブコンシャスが妙にくつろいだlaid backしたムードで、あの雰囲気や語り口を思い返すだけでおかしくて笑ってしまう。実際にセッション中も、わたしだけでなくNaokoさんまでなぜか笑いがこみ上げて止まず、わたしなど笑いすぎて腹筋が痛くなり、涙が零れるほどだった。 「どこから来たのですか?」「え、シリウス」「なぜシリウスなのですか?」「(他よりも地球に)近いからね」というやり取りがあったのも覚えている。わたしは普段あまりシリウスを意識したことがなかったので、最初はちょっと意外な気もしたが、質問の答えを聴いているうちに腑に落ちた。 わたしは何処から、どのような経路を通って地球へ来たのかについて尋ねたところ、半ば予想していた通りかなり…

深夜の幾何学模様

真夜中すぎに、ダイニングテーブルから灯りがついていないリビングルーム側をぼんやりと眺めていたら、天井から床まである長いレースのカーテンがずっと揺らめいることに気づき、やがてそこにいろんな幾何学模様が浮かんでは消えていった。まるで大きなスクリーンに流れる映像を見ているようだった。 水晶玉や黒曜石だけでなく、大きなカーテンや窓をスクリーンにしてエーテル体が見えるようになったのならいいことだ。 カーテンが実際に揺らめいていたかどうかはわからない。わたしは肉眼の視力が低く、普段はものの細部も文字や人の顔もぼんやりとしか見えていないので、いつも形より雰囲気やオーラの方を見ている。なので、カーテンは揺れて見えただけかもしれないが、それはどちらでもいい。…

さくらが旅立った後にできた空白

2015年、仕事も関係もモノも思いやプライドもすべて放棄し、「本意でないことは一切しない、もし僅かにでも本意ではないことをやらなければ生きていけないなら、この人生自体がエラーなのだから野垂れ死にしよう」と決意した後に体感した、晴れ晴れとした解放感を久しぶりに思い出した。 それと同時に、さくらが旅立った後の今のわたしには、あの時と同じようにまた大きな空白ができたことに気づいた。肉体にも、意識にも、空間にも、とにかくたっぷりとした余白がまた生まれてしまった。 しかも、わたしは今、さくらが引き寄せてくれたこの居心地のいい街の、広くて快適なフラットに住んでいて、身体の調子もよく、日々のストレスもなく、不満も不足もない環境にいる。 そうか、新たに生じたこの大きな空白に、何か新しいものがやってくるのだなと感じた。そして、これからわたしは、まるで周到に用意されたかのようなこの環境の中で、新しいことをやっていくのだと思った。 母を看取った後、「わたしの人生の第一章がようやく完結した。ここから先は余生であり、そしてこれからこそが本番だ」と思った。 その後に続いた、さくらと共に暮らしたこの3年間…