死と生
物質的個体としては停止して見える時こそ、命は解放されて活発に活動している。 社会的に死ぬことによって、自己はより活き活きと生きはじめ、相対的自我が死んでいる間にこそ、自己は自らの目的を生きていく。…
死んだのは誰か死とは何なのかくりかえし問うかなしみの波…
物質的個体としては停止して見える時こそ、命は解放されて活発に活動している。 社会的に死ぬことによって、自己はより活き活きと生きはじめ、相対的自我が死んでいる間にこそ、自己は自らの目的を生きていく。…
6月に日本で、アル・リシャのNaokoさんによるQHHTセッションを受けた。 セッション前半に見えたビジョンは今でもはっきりと覚えている。すべてが言葉では形容しがたいものばかりだった。 サブコンシャスへの質疑応答の中では、わたしが幼少期に見たUFOはシリウスから来たものであり、質問に答えてくれたサブコンシャスもシリウスから来ていると言っていた。 このサブコンシャスが妙にくつろいだlaid backしたムードで、あの雰囲気や語り口を思い返すだけでおかしくて笑ってしまう。実際にセッション中も、わたしだけでなくNaokoさんまでなぜか笑いがこみ上げて止まず、わたしなど笑いすぎて腹筋が痛くなり、涙が零れるほどだった。 「どこから来たのですか?」「え、シリウス」「なぜシリウスなのですか?」「(他よりも地球に)近いからね」というやり取りがあったのも覚えている。わたしは普段あまりシリウスを意識したことがなかったので、最初はちょっと意外な気もしたが、質問の答えを聴いているうちに腑に落ちた。 わたしは何処から、どのような経路を通って地球へ来たのかについて尋ねたところ、半ば予想していた通りかなり…
真夜中すぎに、ダイニングテーブルから灯りがついていないリビングルーム側をぼんやりと眺めていたら、天井から床まである長いレースのカーテンがずっと揺らめいることに気づき、やがてそこにいろんな幾何学模様が浮かんでは消えていった。まるで大きなスクリーンに流れる映像を見ているようだった。 水晶玉や黒曜石だけでなく、大きなカーテンや窓をスクリーンにしてエーテル体が見えるようになったのならいいことだ。 カーテンが実際に揺らめいていたかどうかはわからない。わたしは肉眼の視力が低く、普段はものの細部も文字や人の顔もぼんやりとしか見えていないので、いつも形より雰囲気やオーラの方を見ている。なので、カーテンは揺れて見えただけかもしれないが、それはどちらでもいい。…
2015年、仕事も関係もモノも思いやプライドもすべて放棄し、「本意でないことは一切しない、もし僅かにでも本意ではないことをやらなければ生きていけないなら、この人生自体がエラーなのだから野垂れ死にしよう」と決意した後に体感した、晴れ晴れとした解放感を久しぶりに思い出した。 それと同時に、さくらが旅立った後の今のわたしには、あの時と同じようにまた大きな空白ができたことに気づいた。肉体にも、意識にも、空間にも、とにかくたっぷりとした余白がまた生まれてしまった。 しかも、わたしは今、さくらが引き寄せてくれたこの居心地のいい街の、広くて快適なフラットに住んでいて、身体の調子もよく、日々のストレスもなく、不満も不足もない環境にいる。 そうか、新たに生じたこの大きな空白に、何か新しいものがやってくるのだなと感じた。そして、これからわたしは、まるで周到に用意されたかのようなこの環境の中で、新しいことをやっていくのだと思った。 母を看取った後、「わたしの人生の第一章がようやく完結した。ここから先は余生であり、そしてこれからこそが本番だ」と思った。 その後に続いた、さくらと共に暮らしたこの3年間…
2020年8月、さくらをチェコへ移住させる決意をしてすぐ、物件情報サイトで現在暮らしているフラットを見つけた。それよりずいぶん前から引越し先を探してはいたが、いい場所はなかなか見つからなかった。突然現れた情報に、まるでさくらとともに暮らすための場所が用意されたかのようだと思った。 すぐにVに一度訪ねてもらい、フラットも環境も良さそうだったので、当時はまだ一度も訪れたことのなかったこの街への引越しを決めた。そうして引越してみれば、思っていた通り居心地のいい快適なフラットで、穏やかで暮らしやすい街だった。だから、今のわたしたちの生活環境はすべて、さくらが引き寄せてくれたのだと思っている。 母を看取った後、しばらく日本でさくらと共に過ごしていた間に、彼女を連れて湖のそばを歩いているイメージと感覚が何度もやってきたのを覚えている。確かにこのフラットのすぐそばには湖があり、そのほとりはわたしたちの定番の散歩コースとなった。 この建物の名がアトランティスだと知ったのは、ここに引越してきてしばらくしてからだった。…
生活の中でことあるごとにさくらの不在を確認させられる。過去の写真や動画を見ては幸せだったと実感し、ただただ感謝が尽きず、Vとともに彼女の話をしては、かわいかったね、おかしかったねと笑ってあっている。しかし、こうして文字にすると涙が溢れて止まらなくなる。 時に猛烈な虚脱感と倦怠感がやってきて、おなかに力が入らなくなり、頭が締めつけられるように痛み、背中が強ばって息苦しくなる。思っていた以上に深い悲嘆を味わい、精神面だけでなく肉体的にも大きなダメージを受けているようだ。 大きなショックを受けるとエーテル体は身体の左にずれてしまうと聞いたことがある。オーラソーマではそれをエーテルギャップと呼んでいた。今の自分はまさにそういう状態にあるのだと思う。初めてバッチフラワーのレスキューレメディを購入してみた。 2020年夏以降、通り抜ける風や、揺れる枝葉に、母のエッセンスのようなものを感じることがあった。今はそれと同じように、形を変えながら流れていく雲や、通り過ぎていく雨や雷の音、光と影のささやかなゆらぎに、さくらのエッセンスのようなものを感じている。…
長く生きれば生きるほど、先に旅立つ存在を見送る機会も多くなる。それにしても時が過ぎるのは実に早く、地上における一生もあらゆる邂逅もまるで幻のようだ。 シリウスを通ってやってきて、シリウスを通って還っていく。 地上における形は違えど仲間だね。 空から響いてくるアマツバメたちの声を聴いていると、見えない扉が開くようにあの世とこの世の境目がなくなっていく。2020年の夏もそうだった。…