Bicycle ride

夢でまた自転車に乗っていた。夢の中では足で自転車を漕いでいる感覚はなく、実際の自転車よりもずっと速くなめらかに進む。わたしはまず駅のようなところにいた。複数の路線が交差するような大きな駅だった。知らない女性が笑顔で近づいてきて「牛乳は要りませんか」と言われたが、要らないと断った。 わたしは電車に乗るつもりだったが、自分が自転車を運んでいることに気づき、乗車はあきらめて自転車で向かうことにした。といってもどこへ向かっていたのかはわからない。そこはまったく知らない場所だったけれど、夢の中のわたしはその場所を知っているようだった。 高い塀に囲まれた大きな古い屋敷が建ち並ぶ路地を自転車で走った。周囲は雨が降っていたが、わたしは濡れることはなかった。どの屋敷にも、古代の植物のような巨大な果樹があり、塀から高く伸びた桃色の太い幹や枝にたくさんの大きな桃色の実がなっているのが見えた。 やがて大きな川にたどり着いた。そのまま川沿いに進もうかと思ったが、大きな石がごろごろしているその道は走りにくそうだったので、来た道を少し戻って別のルートを進んだ。緩やかなカーブを進むと、青く澄んだ水が流れる浅瀬が…

向かいの建物にあるヨーロッパアマツバメの巣について

昨日の日没直後、足場に囲まれたままの向かいの建物の屋根の下に、一羽のヨーロッパアマツバメが戻っていくのを目撃した。どうやらまだ同じ巣に留まっているようで安心した。市役所の担当者にもすぐにこのことを報告した。彼らはこの件に関してかなり熱心に働いてくれているようで、丁寧な説明とやり取りが続いている。 この建物は、壁の一部(巣がある箇所の反対側)が剥がれていて危険なため、早急な修繕が必要らしい。市の職員だけでなく、南ボヘミア州庁舎の自然環境・野生生物保護を担当する部署の鳥類学者も、この件に携わってくれるそうだ。 市の職員からは、この建物にもアマツバメの巣があることを知らせたことに対して感謝された。というのも、彼らはちょうど、この市と周辺地域にあるアマツバメの巣の再調査を行っている最中だったらしい。自然環境と野生生物保護に関する彼らの真摯な取り組みを知ることができて、わたしたちも嬉しい。 今年もアフリカ大陸からはるばる戻ってきて既に営巣しているアマツバメたちが、無事に繁殖できることを祈るばかりだ。…

今年も戻ってきたヨーロッパアマツバメ

数日前にヨーロッパアマツバメが入っていくのを目撃し、今年も戻ってきて巣作りをしていると思われていた(ヨーロッパアマツバメたちは基本的に毎年同じ場所で営巣・繁殖する)向かいの建物の角に、突然工事の足場が組まれ、巣がある部分も鉄パイプで囲まれてしまった。ヨーロッパアマツバメは野生動物保護の対象となっているはずで、もし建物に巣がある場合には、営巣・繁殖の時期にはその部分を足場や安全ネットで覆うような工事をしてはならない等の法律があるはずだが、どうやら建物の主は巣の存在に気づいていないか、あるいは法律を無視しているようだ。 足場が組まれたのを発見してすぐ、市の担当部署に報告をしたが、まだ返信はない。そして、今はいよいよ足場全体を覆う安全ネットがかけられようとしている。昨日はほぼ一日中巣がある部分を観察していたが、数日前まで頻繁に出入りしていたヨーロッパアマツバメの姿は一度も見ることができなかった。もしかすると彼らは危険を感じて営巣をあきらめてしまったのかもしれない。 なんともやるせなくて、出来ることなら今すぐに足場を解体したいぐらいの憤りを覚えているが、何もできない辛さをせめて言葉にするた…

絵が描かせてくれる

忙しさとストレスのためか心身の不調が続いて、しばらく絵を描けずにいたけれど、ようやくまた描ける状態と状況に戻ってきた。 毎回毎回「どうやって(これを)描くんだろう」と半ば疑問に思いながら描き始めるが、ひとたび描き始めると、やがては必ず描き終える。そのたびに、自分が絵を描いているのではなく、絵に描かせてもらっているのだと感じる。 だから、わたしに出来ること、わたしがやるべきことは、絵が描かせてくれるように、自分の心身の世話をし、いたわり、整え続けることだ。…

変化する身体、加速する時、広がる精神

50歳になり、ほぼ毎日心身のどこかに不調や不快感を抱え、PMSや月経も辛さが増して、以前と同じように動いたり働いたりもできず、出来ることは著しく減少し、明らかに更年期を実感している。しかし、こうして体の変化にあわせて減速あるいは停止する時期もまた必要なのだろうと思っている。 減らし、手放し、あきらめ、停止することの恵みとでもいうのだろうか。心身の不快感や痛みは確かに辛いが、多くのことに気づくきっかけにもなるし、内面的にはよりシンプルに、より明瞭になっていくのを感じている。 年とともに月日の流れはますます加速し、残された時間など瞬く間に過ぎることを想像すると、自分の心身に不要な負担やストレスをかけるようなことにかかわっている暇はない。肉体的な制限が増して、できることが減れば減るほど、この限りある時間の中で自分が本当にやりたいことは、より明確になっていく。…

ポルトガルで過ごした七日間

ポルトガル北部~中部沿岸地域での一週間は、心身ともにとても快適で、のびのびと寛ぐことのできるいい時間だった。 何を食べても口にあうだけでなく、湿潤な気候は肌や髪にもよくあっているようだった。出発前から睡眠不足気味だったにも関わらず、滞在中は常に食欲旺盛で、PMSや月経の症状も軽く、身体の調子はずっとよかった。 また、人々は親切でホスピタリティに溢れ、しっかりとコミュニケーションを図ろうとしてくれることが多く、どこへ行ってもリラックスしていられた。そして、物価がチェコと近い点も気が楽だった。 2014年に初めてポルトガルを訪れた時には、英語でのコミュニケーションですら躓くことが多く、欧州の文化・風習にも慣れておらず、何もかもわからないことだらけで、現地に住む友人に頼りっぱなしだった。しかし、チェコでの生活が長くなり、チェコ語と英語に囲まれて暮らしているためか、今回は同じ欧州文化圏という理解と安心感に加え、ポルトガル語への順応も思いのほかスムースだった。 それにしても、大西洋の眺めはすばらしい。あの海をいつでも眺められるなんて、現地で暮らす人々が実にうらやましい。今後は定期的にポル…

Transcend yourself

何であれ、やり続け、積み重ねていくことが重要なのは当然として、ただ漫然と機械のように繰り返しているだけでは何も生まれない。その過程で自ら気づき、自身の歪みや狭さを発見し、変化・変容していくこと、つまり自己想起し、自己を拡大していくことこそが重要なのではないかと、改めて思う。 それがセンチメンタリズムであれ、ノスタルジーであれ、小さな自己の機械的反応(自己同一化)の殻の中で繰り返される創作物には、時(命)が宿っておらず、破壊も再生も起こらなくて、残念だなと感じる。 反対に、おもしろいな、魅力的だなと感じる作品とは、作り手がそのような小さな自己の殻の外に自我を置いている/置こうとしていると言えるのかもしれない。そしてそれは、技術や技巧の優劣、モチーフの種類といった条件とはまったく別のことだ。 継続し積み重ねていく過程の中で、自己に何度も気づいては、自己想起と自己変容を繰り返していくことによってこそ、独自性は自然発生的に現れるのかもしれない。…