父のこと

父を担当しているケアマネージャーさんから突然電話がかかってきた。父が緊急搬送されて入院、転院したが、手の施しようがないと言われたらしいこと、認知症が進んで金銭管理ができなくなったため最近補助人が付いたこと、父の妻とはなかなか連絡つかず、彼女が父に関わるのを拒否していること等の報告を受けた。 父はこのまま亡くなる可能性もあるので、もしわたしが彼に会っておきたいならば急いだほうがいいかもしれないとのことだった。とはいえ、彼女自身も直接父の様子を見たわけではないので詳細はわからないという。補助人の連絡先も教えてもらったので、必要であれば直接彼女に電話をすることはできる。 ケアマネージャーさんとの面会と各種契約内容の確認も兼ねて、高齢者用集合住宅に入居したばかりの父を訪ねたのは昨年11月。やはりいくつか問題が生じていたので、施設の責任者も交えて話し合い、父の妻にも確認を取って、状況は一旦落ち着いた。しかし、わたしはそれ以降の変化は何も知らない。昨年12月以降、何度か父に電話をかけたが、彼は電話に出なかった。どうやら認知症が進んで携帯電話の扱いが困難になっていたらしい。ケアマネージャーさんに…

シンクロニシティ

Instagramで出会って以来たくさんメッセージを交わしてきたポーランドのアーティストが、彼女の誕生日にあわせて夫と一緒にプラハに滞在していると連絡をくれたので、会いに出向いた。これまで既にたくさん言葉で交流していたからか、初めて顔を合わせたとは思えないほどリラックスして話が弾み、3時間が飛ぶように過ぎた。 自身の夢と記憶を元にミステリアスな作品を制作する彼女の元には、「この絵に似た光景を確かにどこかで見たことがある」というメッセージが世界中から届くそうだ。実際にわたしも、彼女が描く絵に説明しがたい既視感や懐かしさに似た感覚を覚えることがある。 彼女とは、絵や写真、文章に関する話題から、タロットカードや占星術、UFOや宇宙人のこと、シュタイナー、グルジェフ、ダスカロス、バシャール、キューブラー=ロスについてなど、終始話題が尽きなかった。彼女は最近ドロレス・キャノンの著書を入手して読み始めたそうで、わたしが6月に受けたQHHTセッションの内容についても話した。 次はぜひポーランドで会いましょうと約束をして別れた。早ければ来月にでも訪ねたいと思っている。…

ものがたり

毎日書けるだけ書いていると1000字ぐらいあっという間に超える。とはいえ後から読み返すと不要な箇所が見つかるので削除して字数は減る。書いているうちに忘れていたような詳細まで思い出したりもして、それが肉体にとっては負担になるのか後で身体にわかりやすい症状が出たりもする。 記憶を物語として書いていると、遺書を書いているような気がしてくる。そして、書いている時は分身を作っている実感が最も強い。…

海のそばにある施設

昨日もまた夢の中で電車に乗って移動していた。新幹線や特急列車のような高速走行する電車で、座席は個別にわかれていた。窓の外には海が見えていて眺めがよかった。わたしは海のそばにあるリトリート施設のようなところへ向かっているようだった。 宿泊先は自分で予約したのではなく、招待されたかあるいは誰かから贈られたらしい。窓の向こうに広がる海を眺めているうちにどうやら眠ってしまったようだ。目覚めると思ったよりも時間が過ぎていて、「チェックインが遅くなるけれど大丈夫かな、連絡する方がいいだろうか」と思っていた。 そして、今朝方も夢の中でまた海のそばにあるらしい施設に滞在していた。同じフロアの別室には勤務先のメンバーも何人か滞在しているようで、廊下で仕事や作業の進捗状況を伝えあったりしていた。実際にはまだ顔を合わせたことのない人もいて、和やかな雰囲気だった。 わたしは一旦そこを離れて別の場所へ出向き、またそこへ戻ってくることになっていた。窓の外には海が見えていて、その部屋がかなり高い位置にあるようだった。空も海もうっすらと霞んでいた。 そういえば、この夢の中にいた人たちはみなわたしと誕生日が近い…

生きるためと死ぬための分身づくり

描いたり書いたりするために生きているのではなく、生きているうちは生きるしかないので生きるために描いたり書いたりしている。 生きるために描いたり書いたりすることが死んだのちの道しるべにもなるだろうという思いもある。だから描いたり書いたりするのは生きるためでもあり死ぬためでもある。 「芸術というのは、みな分身を作ってそこに乗り換えるということだが。人間の目的は、こういうことをするか、あとは死ぬまで暇なので、ひまつぶしをするか、のふたつしかない。それ以外のものはない」と松村潔氏も以前書いていたのを思い出した。…

紫の炎に囲まれた男の顔

昨夜の夢は、部屋の左角の天井あたりに顔が浮び上がるというものだった。誰の顔かははっきりしないが、紫色を帯びた揺らぐ炎に包まれた大きな男の顔がホログラフィーのように宙に浮かんでこちらを見ていた。彼は何かを語っていたような気もするが覚えていない。 わたしはアメシストクォーツを手に握っていて、それを頭上に掲げて動かすと顔も動くようだった。誰かがそばにいた気がするがやはり思い出せない。 「左上に顔や人物がホログラフィーのように現れて何かを語る」場面はこれまで夢の中で何度も見ている。ある夢では、宇宙空間にあるらしいホテルの室内で、やはりわたしから見て左上に浮かび上がるように現れた人物とやり取りを交わし、現状報告を受けたり進捗状況を伝えたりしていた。窓の外にはたくさんの星や銀河が見えていて、わたしはベッドの上に両足を投げ出して座り、シーツの上に山盛りになったスパゲティを食べながら話をしていた。目が覚めた直後にも、この夢の場面を絵に描いてみた時にも、アンドロメダのイメージがはっきり浮かんだので、あれはアンドロメダとの通信だと思っている。…

喪失と悲嘆

チェコへ移住する少し前のある日、満開の桜の下をさくらと母と共に歩いた時のことを、時々ふと思い出す。あの時わたしは彼女たちの後ろ姿を眺めながら「いつかこの光景を懐かしく思い出すことがあるだろう」と思っていた。 あの眺めはまるで絵画のように記憶の中で回帰する。 さくらが旅立った直後、4月に愛犬を亡くした友人とメッセージを交わした時、彼は今でも不意に涙がこぼれることがあると話してくれた。わたしも同じだ。少しづつ落ち着いてはきたけれど、ふとした時に悲しみがこみあげて涙が止まらなくなる。 さくらとの別れは、これまでに経験した祖父母や母や友人たちの別れとは比べものにならないぐらいに悲しくて、こんなにも辛いものかと驚く。 母との間においては、長い年月をかけて怒りも恨みも悲しみもあらゆる情を味わい尽くして昇華し、新たに対等な関係を築いた末に、自らの目と手で看取ったからか、彼女の死を見届けた後に悲しみはまったくなかった。祖父母の死を見送った時もやはり悲しみはあまり感じず、感謝の思いが先立った。 そう考えると、わたしはさくらのことをわが身のように思っていたのだろう。 破綻からこそ生まれ…