何をするために此処へ来たのか

今回のブルターニュへの旅は、出発時から嬉しい驚きが続いているけれど、まるで何かに護られ、そして導かれているかのように感じられてきた。まだ2日目だというのに、人生でもそう多くは体験しないだろうというような特別な時と出逢いが何度も与えられている。昨日お会いした Catherine Hutterさん との対話の中では、自分が何をするためにこの惑星に来たのかを思い出すような瞬間もあった。話しながら身体が震え、何度も涙がこみ上げた。…

パステル画家Catherine Hutterさんを訪ねて

カンカルに到着後すぐに、今回の旅の一番の目的である Catherine Hutterさん のギャラリー兼アトリエを訪ねた。 実際に間近で見る彼女の作品はあまりにすばらしく、言葉では言い尽くすことができない。どの絵もまさに異世界への扉であり、そこには永遠の時が流れ、止まらぬ変化があり、無限の生と死があった。 Catherine Hutterさんは思っていたとおりとても素敵な方で、たくさんお話をしてくださり、わたしは彼女の言葉に耳を傾けながらひたすら共振していた。お会いする前からわかっていたが、わたしはただ彼女の作品に惹かれただけではなく、彼女が見て、感じ、変容し、創り出そうとしている目には見えない“何か”に共振し、その彼女の眼差しと終わりなき専心に惹かれたのだった。 彼女からは、わたしの絵に関して、あまりに光栄すぎてしどろもどろになってしまうほどの褒め言葉をもらった。そして、「次はぜひ一緒に絵を描きましょう。わたしの仲間の画家たちも呼んで、みんなで描きましょう。」と言ってもらった。わたしは必ずまた彼女に会いに来るし、この地を何度も訪れるだろう。 最後に、わたしが彼女の名を知るきっ…

Cancaleの海

Pastels Girault を通して知った素晴らしい画家 Catherine Hutterさん のギャラリーを訪れるため、フランスはブルターニュ地方、モン・サン=ミッシェル湾に面する小さな港町カンカルに来ている。 ここの海は見たことのない色をしている。この辺りは「エメラルドコースト」と呼ばれていて、海はまさに緑と青が絶妙に混ざりあったとても美しい色をしているが、それだけでなく、まるで内側からうっすらと発光しているかのように銀色を帯びて、しかもその色は刻一刻と変化していく。ここはまた、欧州で最も干満差が大きい海でもある。常に変化し続ける水と空、そして風の音と鳥たちの声。どれだけ眺めていても飽きそうにない。…

思いもよらないギフト

ポーランドの画家 Malgorzata Majさん からすごいギフトが届いた!なんと三角形△!わたしが以前彼女に話した幼少期の記憶(大きな光る飛行物体との遭遇)からインスピレーションを受けて描いた絵だそうだ。形にも色にもわたしの感覚と物語に繋がりが感じられてとても嬉しい。 彼女とはInstagramを通じて出会い、今月初旬に彼女がプラハを訪れていた際に初めて顔をあわせた。出会った頃から何かと共通の話題が多く、互いの体験や内的世界について、また宇宙や夢や異次元についてなど時々メッセージを交わしている。わたしが彼女の作品や体験談に触発されて描いた絵もある。…

日食はレールの切り替え装置

今月は普段よりも多くの人々と言葉を交わしている。人の話を聞いては考えを述べる機会が続く。そうして話を聞いていると、先送りにしてきたことや、手をつけられずにきたことに、向き合わざるを得なくなったり、取り組まざるを得なくなったりしているケースが多い。 ショッキングな出来事が続いている人もいれば、まったく異なる世界を目にして価値観に変容が起きている人もいる。冥王星の動きと位置や、他天体との配置だけでなく、やはり蝕の時期なのだなと感じる。下なるものは上なるもののごとく、上なるものは下なるもののごとし。そして、世界に見ている大変は、個の中でも起きている。大変に苦しむのか、それとも流れに乗れるかは、自我意識の在り方あるいは置きどころ次第だろう。 日食は上位の意識が介入するポイントであり、タイムラインの方向を変えるレール切り替え装置だ。上位の意識が関与することで、下位の機械的コースは変わる。自己同一化の中で眠りこむのではなく、しっかり目を覚まして意志を働かせ、日食にあわせて飛び込めば、その後は違う世界になる。…

隷属するのか、それとも意図を打ち出すか

たとえば「これが好きだからこれを食べる」というのは単に肉体の欲求に隷属しているだけであって、それは意志ではない。そもそもそうした肉体の欲求すら、過去の経験や外部から影響されインプットされたプログラムであることも多い。「なぜかこうなってしまう」とか「なかなか変われない」とかというのも、そうした自身の隷属性・機械性に無自覚なだけで、はっきり言えば怠惰だということだ。 自分の隷属性・機械性とはいわば癖であり、こうした癖は、たとえば病気をはじめとするさまざまなトラブルや、“なぜかしら”同じパターンを繰り返す原因になっている。延いてはそれは人格の型となり、人生の型になり、業となる。 自分を作る・自分を持つとは、自らの隷属性・機械性を認識し、そこから目を覚ますということだ。そうでなければ、意志を持ち、意図を打ち出すことなど不可能だろう。意図を持つ者にはかなわない。肉体を含むあらゆる環境にただ流されるのか、それとも環境を従えるかも、意図次第だ。意図を持つ者にはかなわない。環境に振り回されて埋没することなく、意図を打ち出すことができれあば、むしろ環境の方がついてくる。 とはいえ、隷属したまま・機…

海のそばのアトリエとその主である老画家は

夢の中で海に向かっていた。やがてターコイズブルーの海原が現れ、その中に伸びる大きな長い桟橋を進むと、巨大な船が停泊しているのが見えた。そのうち、海のすぐ側にあるらしい小屋のような場所にたどり着いた。そこははじめは古い木造の小屋だったが、気づけば老画家の家かあるいはアトリエになっていた。小さいながらもよく整えられた、あたたかみのある居心地のいい空間だった。 そこにはたくさんの絵画作品が保管されていた。さらにはいくつもの宝飾品がきれいに陳列され、保管されていた。わたしは自分が身につけていた宝石を外し、テーブルの上のジュエリーケースの空いたスペースに並べた。どうやらわたしはそこに宿泊するのかもしれなかった。 その後場面は変わり、わたしは友人に日記を書くことを勧めていた。「日記を書くことは自分の感覚や感情、考えを認識し、整理するいい方法だ。つまり自分を知るための訓練になる。自分が何をしたいのかを知るにはまず自分を知る必要がある。」というようなことを彼女に向かって話していた。 夢の中で訪れた空間には主である老画家の姿はなかった。思い返すと、わたし自身がその老画家だった気もする。あれは海王星…