ケルト人たちが暮らした地

10月末から11月頭にかけて滞在したブルターニュ(イル=エ=ヴィレーヌ)沿岸地域は実に居心地がよくて、今後何度でも訪れたいと思っている。先日ふと気づいたのだが、ブルターニュをはじめ、アイルランド、スコットランド北部、ウェールズなど、わたしが惹かれる場所にはケルト諸語圏が多い。 紀元前5世紀頃から西暦紀元頃にかけては、現在のチェコ共和国にもケルト人が住んでいた。彼らはこの地域に最初にやってきた民族と考えられており、ラテン語の「ボヘミア(Bohemia)」という呼称は、その時代にこの地域に居住していたケルト系民族「ボイイ人(Boii)」に由来するらしい。 思い返すと、プラハでわたしたちが暮らしていた場所からほど近い渓谷にも、紀元前数千年前から人が居住していた痕跡が残る高台があった。わたしはその高台に不思議な居心地の良さを感じてよく通った。もしかすると、古代にはあの地にもケルト人が暮らしていたのかもしれない。…

ふたたび静かな日々へ

9日午後に無事チェコの自宅に帰着した。早い夕飯を食べた後は起き上がっていられず、荷物もすべて放ったまま、カウチでそのまま朝まで眠った。翌日の日曜日もほぼ丸一日ひたすら寝ていた。 日本を出発する前は、しばらく毎日5~6時間ほど途切れ途切れにしか眠れていなかったし、機内でもあまり眠れず、その上移動の前後を含め約42時間も完全には横になることはできなかったので、ようやく自宅のカウチに横たわった時はまさに至福の瞬間だった。 やっと身体が緩んだようで、あちこちに疲労痛が出て、顔もむくんではいるけれど、今回はストレスの源をすべて日本で手放して終わらせてきたので精神的な疲労はなく、身体の回復は早そうだ。早く絵を描き始めたいが、その前に少しは荷物の整理と、旅の間に溜まった洗濯物にも手を付けたい。…

空の上の出逢い

乗り継ぎ空港のセキュリティチェックを通過後、同じ便の同じクラスに座っていた女性とばったり再会し、なんとなく一緒にお茶をすることになった。機内では目が合って会釈はしたものの会話はなかったが、乗り継ぎ便を待つ数時間の間に随分と話題が広がり、いろんな話をした。 その方も、ものづくり(彼女自身の言葉)をされている。写真で見せてもらった作品はどれも色彩が愉快で、音楽のようだった。彼女は、わたしが以前から一度訪れてみたいと思っていた国に住んでいる。その地を訪ねる日が少し近づいた気がする。…

日本滞在最終日

日本滞在最終日。 ようやく少しだけ、一人で落ち着いた静かな時間を過ごすことができた。 上野の西洋美術館で、大好きな画家の大好きな作品に逢えた。 数年前にロンドンから東京に引越した一枚。 Akseli Gallen-Kallela (1865 - 1931) Lake Keitele (1905)…

思い出の場所

生まれ故郷の街に滞在する最終日。母と母のパートナーが住んでいた家を明け渡すためにやるべきことをすべて終えて、幼友達とともに散歩に出かけた。このあたりは、母の生前にわたしが帰省をした時や、数ヶ月ほどともに暮らした頃、母とさくらと一緒によく歩いた思い出の場所。…

夢の中でさくらと

夢の中でさくらに会った。 見たことのない家屋の玄関先に座っていたら、さくらがこちらに向かってトコトコ歩いてきて、わたしの左にピタリとくっついて横たわった。わたしはいつもそうしていたように、彼女の背中をゆっくり何度も撫でた。近くには祖母の気配もあった気がする。 突然、さくらは立ち上がって歩き出し、道の向こう側に置いてあったボウルの水を飲み始めた。そして、水を飲み終わると、彼女はまたこちらに向かって歩いてきたが、わたしの前を通り過ぎて家の中へ入っていった。わたしも彼女のあとを追って家の中に入った。 彼女は床に敷かれたピンク色のマットの上にゴロンと横たわった。わたしはまたいつもそうしていたように、彼女のお腹を何度も撫でた。彼女は気持ちよさそうに前脚を持ち上げ、さらに撫でるよう要求してきた。わたしは「さくらはここでも(祖母や母に)大切にされ、安心して過ごしているようだ、よかった」と思っていた。 このタイミングで、こんな風に夢の中でさくらに会えた(姿は見えなかったが祖母や母にも)のは、まるで「あなたは実によくやったよ」と言われているみたいだ。…

「渡りに船」として

目を覚ますと、伯母から「和ダンスの着物の整理はどうなった?」というショートメッセージが届いていた。わたしが日本に到着した直後から、彼女は何度か、わたしの母が遺した多くの着物の中から自分の娘に好きなものを選ばせてやってほしいと言ってきた。その度にわたしは「大量の遺品整理や事務手続きがある中、着物を出して広げてみせ、それからまた整理するのはあまりに大変なので、わたしが立ち去ったら好きなだけ選んで後は捨ててください」と答えた。 祖母の仏壇の処分についても、彼女はわたしに押し付けようとしてきた。わたしは「遺産分割も一切要求しないし、すべてを譲るので、祖母の代の仏壇の処分はあなたがたでやってください」と答えたが、そうすると彼女はまた、家も土地も既に自分たちのものだという主張を繰り返して、論点をずらそうとした。 建築費用も修繕費も半分以上を支払ってきた母と母のパートナーに対し、「この家の権利者はわたしたちだから早く出ていけ」と言い続けてきた彼女たちは、遺品の中から自分たちが欲しいものだけを残して、後の処分をわたしに押し付けようとし、人の時間と労力と金銭を搾取しようとする。 しかも、彼女たちは…

遺品の処分を終えて

母と母のパートナーが遺した遺品の処分はすべて完了した。そして今日、母と祖父母、そして後には母と母のパートナーとさくらが暮らしていた家、また、わたしも短期間ではあったが一時は暮らしたことがあり、わたしにとってはいつも帰省先だった家から、自分の荷物をすべて運び出して、ホテルに移動した。滞在最終日には車をあの家の駐車場に戻す予定だし(そして業者に引取ってもらう)、同時に遺影を引き取りにも行くけれど、一旦しっかりお別れをした。 疲れすぎていてスーツケースを開くことすらできず、ただただ椅子に座ったまま3時を過ぎてしまった。でも、やっと安心して一人で過ごせる空間へ移動することができた。明日は市役所と銀行へ、明後日は運転免許センターへ行こうと思っていたけれど、一日ずつ先延ばしにすることにした。とにかく心身ともくたくたに疲れ果てている。 ようやく重い腰を上げて荷解きをした。もう4時半、おなかがすいてきた。発熱と下痢が一週間続き、溶き卵を落としたうどんとごく少量の野菜、りんごジュースしか口にできていなかったので、スープや味噌汁、お粥、温野菜など、消化が良くて滋養のあるもの、きちんと料理された温かいも…