無為な時間を過ごす

普段は朝食を食べないからか、あるいは食べたものが身体に合わなかったか、今朝はホテルで軽い朝食食べた後、全身が怠くて起き上がっていることすら辛くなり、午後までベッドでうつらうつらしていた。日が暮れた頃にようやく外出し、昨日と同じ広東料理店でおいしい焼売と野菜炒めを食べ、カフェに寄って帰ってきた。 今日は月曜日で他の美術館がどこもみな休館日だったこともあり、フィンランド写真美術館 K1で開催されているPentti Sammallahti写真展に行くつもりだったが、今日はSammallahti氏ご本人が会場に来られる日で、人がたくさん集まる場所には行きたくないと感じ、明日以降に時間の余裕があれば行くことにした。 ヘルシンキに到着してからというもの、ホテル周辺をぶらぶらしている以外は何もしていないし、ホテルの部屋で過ごしている時間の方が外に出ている時間よりも長いけれど、何もない、何もしない、無為な時間を過ごすことができて楽だ。…

余白の時間

なんでもないカフェのカウンターに座って、通り過ぎる人々や犬たちの姿をぼんやり眺めたり、日が暮れていくにつれ移りゆく光と色、ガラスに映る反映の変化を眺めたり。思えば随分長い間こうした余白のような時間を過ごしていなかったことに気づく。わたしは無為な時間を過ごしたくて、時々小さな旅に出るのかもしれない。…

ヘルシンキで何もしない日々を過ごす

12日夕方にヘルシンキ到着後は、5年前にプラハの古書店で偶然出会った方とお茶をした以外に特別なことは何もしていない。行こうと思っていた美術館のひとつは、外にあまりに長い行列ができていたのであきらめた。Akseli Gallen-Kallelaミュージアムへは、周辺の積雪量がすごそうなので今回は行かないことにした。 昨日は夕方から百貨店に出向いて肌触りのいいニット帽を購入した。今日は起き上がれなくて、昼過ぎまでベッドの中にいた。午後からぶらぶら散策をし、適当に見つけたカフェの窓際カウンターでぼんやり過ごし、着替え用のTシャツとレギンスを購入して、偶々見つけた広東料理レストランで美味しい腸粉と青梗菜炒めを食べた。…

フィンランドへ

ヘルシンキに到着。今日の気温は、チェコより少し低いかなという程度。雪が厚く積もっているからか、むしろ朝晩のチェコよりも暖かく感じられる。…

虚無より

日本で母と母のパートナーが暮らしていた家を整理・処分して手放し、チェコに帰ってきたら、ようやくほっとしたのか、しばらくうつ状態に陥っていた。シャワーや歯磨きすら困難になり、人になど会いたくもなく、クリスマスの時期も、Vの家族や親族には会いに行かずに一人自宅で過ごした。 母のパートナーは、わたしにとっては唯一の「さくらのことも、母のことも、共有してきた存在」だった。そんな彼もいよいよ亡くなり、「とうとう誰もいなくなってしまった」という大きな喪失感を味わっている。 7月にさくらが旅立ち、しばらくは眠ることすらできない日々を過ごしていたが、9月以降は様々な用事が続いてとにかく忙しかったため、自分の悲しみや喪失感を味わう余裕すらなかった。だから、ようやく実感が戻ってきたのだと思う。 この喪失感は、実は元からあるものだ。自分の中には埋めようのない巨大な虚無がある。生きていると、そのことを直視し、認めざるを得ない時が何度もやってくる。そして、このブラックホールのような虚無の穴こそ、創造の源だということもわたしは知っている。 作ることによって生きるしかない。しかし、時には、そう転換するに…

Neptune is calling

海王星が呼んでいる。ふとそう感じることがある。 わたしの海王星はアンタレスと合で、わたしにとって海王星はアンタレスという多次元へのゲートを行き来する船のようなものだ。 松村潔氏は以前「海王星(アストラル体)の布団で寝ている」と書いていた。わたしは、自分はいつも片足を海王星に置いていると感じている。そして、この海王星の船の規模を拡大しようとしている。この船は、自分専用の船であると同時に、他の人も利用できるものになればいい。船を大きくするとは、ゲートウェイを太くすること。管の拡張、自在化、そして自由化。…

自在に行き来する

渚、つまり複数の要素が混ざり合うあたりで、どれかひとつに入り込んで固定するのではなく、水際で眺めながら、あちらとこちらを自在に行き来するのがいい。行き来することこそ“わたし”の本来の性質でもある。…