海の印象

普段わたしは眠れないということが滅多にないのだが、一昨夜は横になったまま一睡もできず(せず)に朝を迎えた。とはいえ気分の落ち込みや無気力感はなく、頭は少しくらくらしたけれど、そのまま仕事をし、通常より多くの人とやり取りを交わした。そうして夕方から7時間+7時間眠った。 一昨日は夜通し横になったまま、次に日本へ行く時にはどういうスケジュールで滞在し、どこを訪れようかと思いながら、地図を眺めていた。そして、ふと沖縄が気になり、よさそうな海岸や離島を探しているうちに、久高島へ行くのもいいなと思い立った。そして今日は、夢の中で美しい海を訪れたような感覚、あるいは海そのものの印象が残っている。 昨年12月半ばにすっかり燃え尽きてしまって、しばらく鬱状態に陥り、また風邪をひいて発熱したりもして活動が落ちていたが、今日は心身ともすっきりしている。ようやく絵も再開できそうだ。思えば、誕生日前の1~2月は毎年活動が低下する。これもわたしのバイオリズムなのだろう。…

古い日本の城郭のような建物、布団の中の死体の夢

太く丈夫な植物で作られた大きなジャングルジム(のような入口)を登ると、古い日本の城郭のような建物に辿りついた。わたしは、ガラス造形作家の知人とともに上階へ向かった。最上階にある床張りの部屋で、知人は素っ裸になってくつろいでいたが、わたしはあまり居心地がよくなかったので、その建物から出ることにした。 わたしは急勾配な木の階段を下り、一階の回り廊下を歩いた。建物の中は薄暗く、どこかしら不気味な雰囲気が漂っていた。廊下に面した各部屋には一組ずつ布団が敷かれ、いくつかの布団の中には死体が横たわっていた。どうやらそこは霊安室あるいは墓場のようだった。わたしは急ぎ足で廊下を抜けて建物の外へ出た。…

新しいパスポート

昨日は、プラハの日本大使館で新しいパスポートを受け取ってきた。来週はまた電車に乗って、個人データの更新のため移民局へ行かねばならぬ。十年など瞬く間だ。 日本大使館があるマラー・ストラナも観光客で溢れていた。2023年に海外からチェコを訪れた人の数は、コロナ禍前を上回ったそうだ。昨年10月に日本からやってきた幼友達にプラハの街を案内したが、確かに、2018年に別の友人を案内した時よりも明らかにどこも混雑していた。中心部では予約無しでは席が見つけられないレストランやカフェも多かった。 2020年に母が亡くなり、さくらをチェコへ連れて来ることを決意して、わたしたちはプラハを離れ、現在住んでいる街へ引越した。それ以来、プラハを訪れるたびに、あの時のあの決断は実によかったと実感している。…

社会的自己の崩壊と自分の顕現

一日に2つ以上の外出を伴う予定をこなすことが難しくなってきた。ある予定のために出かけた際に、ついでに別の場所にも出向いて他の用事も済ませようとすると、途中から脳が明らかに疲労しはじめて、ひどい時には帰宅後(あるいは翌日以降)文字通り何もできなくなってしまう。 主目的の行先がオフィスであれ、美容院や歯科クリニックであれ、人と顔を合わせる用事の場合は特にそれが顕著で、だから例えば「歯科治療の後、ついでに大使館へも立ち寄って用事を済ませよう」とすると、大使館を出たあたりで疲労困憊していることに気づく(実際に先日ヘトヘトになった)。 電車に乗って遠出をする必要のない自宅近辺での用事や、徒歩で移動できる程度の距離内であれば、複数の予定も何とかこなせるが、プラハのような街では場合によっては混雑した地下鉄やトラムを乗り継いで移動しなければならないので、尚更疲労するのだと思う。 そんな自分を省みていたら、「順調に壊れてきたな」という言葉が頭に浮かんで、なんだか可笑しかった。社会的な自己がどんどん破綻して、以前は出来ていたことが出来なくなっているが、その反面、自分がますます剥き出しになっている実感…

"She is a lucid girl."

空にくっきりと大きな二重の虹が出ていた。そこは、わたしの母と彼女のパートナーが長く暮らしていた家の近所のようだったが、実際の街並みとは異なる知らない場所だった。たくさんの電線が邪魔をして虹の全貌が見えなかったので、わたしは空が開けた場所を探して走った。 まったく知らない少し年配の男女がわたしと一緒に歩いていて、彼らもわたしの後を追ってきた。やがて、畑が広がる少し開けた場所にたどり着き、わたしは虹を眺めた。そばにはビニールハウスがあり、畑にはさまざまな作物が実っていた。 そこにまた、前の夢に現れたアーティストだという大柄な赤毛の白人女性が登場した。彼女は、わたしに同行していた年配の男女に向かって「She is a lucid girl」と言った。'She'とはわたしのことだった。年配の男女は、自分たちは彼女(わたしのこと)の親ではないと言っていた。 わたしは「自分はもうgirlという年齢ではないのだけれどな」と思っていた気がする。もしかすると、年配の男女がそう言っていたのかもしれない。そのあたりで既に夢からは半分覚めかけていた。…

大柄な赤毛の白人女性から飲み物をもらう夢

わたしは知らない場所のB&Bのような宿に、今はもう交流のない昔の友人と共にいた。わたしたちはそこに宿泊しているようだった。わたしはベッドから起き上がり、部屋を出て、隣接しているレストランあるいはバーのようなところへ向かった。 はじめはテーブルで何かを飲んでいた気がする。向かい側には母方の祖母が座っていたが、姿は見えなかった。どう展開したかは忘れたが、飲み物を注文するカウンターでわたしの右隣に立っていた女性が、わたしたちの飲み物もオーダーした。背の高い大柄な白人女性で、カールしたボリュームのある長い赤毛が印象に残っている。彼女はアーティストだった。 バースタッフはわたしたちに、大きなグラス一杯分のオレンジジュースと、ショットグラスのようなものに注がれたウォッカ、そして冷えたグラスに氷とともに注がれたアペロールを差し出した。それらはわたしたちの好みではなかったが、わたしはアペロールを、祖母はオレンジジュースにウォッカを少し垂らしたものを飲むことにした。アーティストだという赤毛の女性とは、その後何か話をした気がするが、内容は忘れてしまった。 場面が変わり、翌日になっていた。父方の叔父(…

トラムに乗って移動する夢

もう一つ別の夢。 わたしはフランス在住の友人と二人で旅をしている最中で、トラムに乗り込んだ。トラムにしては車輌の中は妙に広く、白い内装に木の椅子やテーブルが並び、窓という窓に薄手の白いカーテンがかかっていた。わたしは長椅子のある広々とした座席を見つけ、ここならスーツケースも置けるよと友人を促して座った。 そこからどのように展開したかは覚えていないが、わたしは別の知人と共にトラムの中にいた。トラムはやけにゆっくりと進んでいて、わたしたちが向かう最終停留所まではまだ時間がかかるようだった。そこはプラハという設定だったが、地図に書かれた停留所はいずれも漢字名だった気がする。 知人は翌日日本へ向けて出発するようで、わたしは彼に「明日空港へ向かう時にもこのトラムの同じラインで行けるよ」と説明した。すると彼は「明日は友人たちとムハの前で待ち合わせている」と言う。わたしが「ムハ?」と問うと、彼は曖昧な説明を重ねた。わたしはそれが国立美術館のことだとわかった。彼は「あれ、国立美術館なんだ!」と驚いていた。 夢の中では、19~20世紀頃に建てられたような石造りの大きな建築物と、アルフォンス・ムハ…

夢で父方の祖父母に会う

夢で父方の祖父母に会った。わたしたちは、祖母が生前に営んでいた喫茶店にいた。現実にはその喫茶店は祖母の死後に土地ごと売却したので、今はもう跡形もない。40年近く前に自死した祖父がわたしの夢に現れたのは、確かこれが3回目だ。前回は20年ほど前、叔父が突然死したすぐ後のことだった。 夢の中の祖父はテーブルで何かを食べていた。彼は肌ツヤがよく、ニコニコしていて元気そうだった。わたしは夢の中で彼がとうの昔に死んだことをわかっていたので、彼がそこにいることに驚き、「あれ、久しぶり、元気そうだね」というような感じで声をかけていた。彼は何も話さなかったように思う。 別のテーブルにスーツを着た若い背の高い男性客がいて、わたしは彼の席へコーヒーを運んだ。何があったかは覚えていないが、わたしは彼に対して怒っており、席には座らずに立っている彼の顔にコーヒーをぶち撒け、激しく非難していた。わたし自身もコーヒーの飛沫を被った。彼は何も言わずに微笑んでいた。 その後、彼は出ていったのかどうか覚えていないが、わたしはテーブルや座席や床にこぼれたコーヒーを拭き取った。座席には点々と小さなシミが残った。背後の席に…