根拠の消滅にじたばたする自我
自己統合にも複数の(無数の)層があるように、自らの根拠の無さに気づくということにおいても層がある。 また一段さらなる根拠の無さに直面し、あるいは、さらにまた一層の根拠が消滅してしまい、それに対して、連続性に依存している自我が適応できずに大いに戸惑っている。…
わたしは知らない場所のB&Bのような宿に、今はもう交流のない昔の友人と共にいた。わたしたちはそこに宿泊しているようだった。わたしはベッドから起き上がり、部屋を出て、隣接しているレストランあるいはバーのようなところへ向かった。 はじめはテーブルで何かを飲んでいた気がする。向かい側には母方の祖母が座っていたが、姿は見えなかった。どう展開したかは忘れたが、飲み物を注文するカウンターでわたしの右隣に立っていた女性が、わたしたちの飲み物もオーダーした。背の高い大柄な白人女性で、カールしたボリュームのある長い赤毛が印象に残っている。彼女はアーティストだった。 バースタッフはわたしたちに、大きなグラス一杯分のオレンジジュースと、ショットグラスのようなものに注がれたウォッカ、そして冷えたグラスに氷とともに注がれたアペロールを差し出した。それらはわたしたちの好みではなかったが、わたしはアペロールを、祖母はオレンジジュースにウォッカを少し垂らしたものを飲むことにした。アーティストだという赤毛の女性とは、その後何か話をした気がするが、内容は忘れてしまった。 場面が変わり、翌日になっていた。父方の叔父(…
もう一つ別の夢。 わたしはフランス在住の友人と二人で旅をしている最中で、トラムに乗り込んだ。トラムにしては車輌の中は妙に広く、白い内装に木の椅子やテーブルが並び、窓という窓に薄手の白いカーテンがかかっていた。わたしは長椅子のある広々とした座席を見つけ、ここならスーツケースも置けるよと友人を促して座った。 そこからどのように展開したかは覚えていないが、わたしは別の知人と共にトラムの中にいた。トラムはやけにゆっくりと進んでいて、わたしたちが向かう最終停留所まではまだ時間がかかるようだった。そこはプラハという設定だったが、地図に書かれた停留所はいずれも漢字名だった気がする。 知人は翌日日本へ向けて出発するようで、わたしは彼に「明日空港へ向かう時にもこのトラムの同じラインで行けるよ」と説明した。すると彼は「明日は友人たちとムハの前で待ち合わせている」と言う。わたしが「ムハ?」と問うと、彼は曖昧な説明を重ねた。わたしはそれが国立美術館のことだとわかった。彼は「あれ、国立美術館なんだ!」と驚いていた。 夢の中では、19~20世紀頃に建てられたような石造りの大きな建築物と、アルフォンス・ムハ…
夢で父方の祖父母に会った。わたしたちは、祖母が生前に営んでいた喫茶店にいた。現実にはその喫茶店は祖母の死後に土地ごと売却したので、今はもう跡形もない。40年近く前に自死した祖父がわたしの夢に現れたのは、確かこれが3回目だ。前回は20年ほど前、叔父が突然死したすぐ後のことだった。 夢の中の祖父はテーブルで何かを食べていた。彼は肌ツヤがよく、ニコニコしていて元気そうだった。わたしは夢の中で彼がとうの昔に死んだことをわかっていたので、彼がそこにいることに驚き、「あれ、久しぶり、元気そうだね」というような感じで声をかけていた。彼は何も話さなかったように思う。 別のテーブルにスーツを着た若い背の高い男性客がいて、わたしは彼の席へコーヒーを運んだ。何があったかは覚えていないが、わたしは彼に対して怒っており、席には座らずに立っている彼の顔にコーヒーをぶち撒け、激しく非難していた。わたし自身もコーヒーの飛沫を被った。彼は何も言わずに微笑んでいた。 その後、彼は出ていったのかどうか覚えていないが、わたしはテーブルや座席や床にこぼれたコーヒーを拭き取った。座席には点々と小さなシミが残った。背後の席に…
夢の話。 がらんとした広い床張りの部屋で、わたしはカウンターに向かって作業をしていた。わたしの後ろでは、従妹が笑いながら紐のついた金属製の何かを振り回していて、それがわたしの脚に当たった。従妹は実際とは違って、5~6歳の少女だった。 わたしは彼女の手から紐がついた金属製のモノを奪い取り、彼女を押し倒した。そして、彼女の右腕を踏みつけ、「それをやれば相手を痛めつけたり壊したりするとわかっていながら行為に移したというその挙動をわたしはゆるさない」と淡々と語った。ドアの向こうから伯父(従妹の父親)が髭を剃りながらやってきた。彼はわたしたちの様子を見ていたが、何も言わなかった。 部屋の中央辺りに敷かれたマットの上で布にくるまれて寝ていた赤ちゃんが、目を覚まして動きはじめた。わたしは赤ちゃんのそばへ行き、彼あるいは彼女の身体を支えて柔らかいマットの上へ戻してやった。赤ちゃんは機嫌良さそうに笑っていた。彼あるいは彼女は、わたしの母が産んだわけではないが、“母の”赤ちゃんだった。 わたしは最初にいたカウンターとは反対側に置かれた座卓の周囲に散らばっていたものを整頓しはじめた。その中に2冊の塗…
自己統合にも複数の(無数の)層があるように、自らの根拠の無さに気づくということにおいても層がある。 また一段さらなる根拠の無さに直面し、あるいは、さらにまた一層の根拠が消滅してしまい、それに対して、連続性に依存している自我が適応できずに大いに戸惑っている。…
「五十億年後に会いましょう」というフレーズが数日前から何度も頭に浮かぶので、このフレーズを使って短歌を作れないだろうかなどと思っていたが、ふと「アンドロメダ銀河と天の川銀河は40~50億年後に衝突する」と言われていることを思い出した。 そうか、アンドロメダが語りかけてきていたのか。…
今朝方見た夢。 広々とした乾いた平原で、人々に混じって何頭ものライオンがうろうろしている。中には恐怖感からか走り出してしまい、結果的にライオンに追われて襲われている人もいる。背を向けて逃げるとライオンは追いかけてくるので、わたしとVは、彼らとは目を合わさず、速度は変えずに静かに方向転換をしながら早足で歩いた。 やがてわたしたちは大きな建物の外廊下を歩いていた。壁も柱もミントグリーン色の、フィンランドにありそうな機能主義建築を思わせる建物だった。ライオンたちは建物内にも入りこんでくるので、わたしはVを誘導しながら、廊下の壁を登り、隙間を飛び越え、螺旋階段を垂直に飛び降りた。わたしたちの動きはとてもスムースだった。 気づくとわたしたちは車に乗って移動していた。車といっても、タイヤで走行しているような振動はなく、地面から少し浮き上がって空中を高速で進んでいるようだった。わたしたちは何処かへ向かっていたはずだが、ここから先は記憶が途切れている。 夢の中で歩いていた建物を思い出していたら、色や形状は異なるが、パイミオのサナトリウムが頭に浮かんだ。わたしは建築にはあまり興味はなく、アル…
熱は下がり、鼻水も止まって、血の道も経過し、身体が軽い。12月後半から続いていた調整が完了したようだ。立春だ。 先日、冥王星が山羊座を運行していた時期を振り返ってみたが、これから冥王星が水瓶座、そして魚座へと移動する時期を目処にすれば、この地上での残りの人生をどうしていくかという意図をより具体的に落としこみやすくなるのではないか。チャート上で冥王星が魚座へ移動するのは2044年、牡羊座へ移動するのは2067年。わたしは、やりたいことははっきりしているが、こうして区切りが見えると、ここからの20年でこうしていこうというイメージがより描きやすくなる。 今わたしは、一つの人生が完全に終了して、まったく何も無い巨大な穴のようなところから新たに人生を始めていくように感じているが、Vが以前に「あなたは96歳まで生きるよ」と言っていたので、それなら完全に終わったこれまでと、まったくの無から始まるこれからが、ちょうど同じ年数になる。なかなかバランスがいい。…