たくさんのライオンがいた夢とパイミオのサナトリウム

今朝方見た夢。 広々とした乾いた平原で、人々に混じって何頭ものライオンがうろうろしている。中には恐怖感からか走り出してしまい、結果的にライオンに追われて襲われている人もいる。背を向けて逃げるとライオンは追いかけてくるので、わたしとVは、彼らとは目を合わさず、速度は変えずに静かに方向転換をしながら早足で歩いた。 やがてわたしたちは大きな建物の外廊下を歩いていた。壁も柱もミントグリーン色の、フィンランドにありそうな機能主義建築を思わせる建物だった。ライオンたちは建物内にも入りこんでくるので、わたしはVを誘導しながら、廊下の壁を登り、隙間を飛び越え、螺旋階段を垂直に飛び降りた。わたしたちの動きはとてもスムースだった。 気づくとわたしたちは車に乗って移動していた。車といっても、タイヤで走行しているような振動はなく、地面から少し浮き上がって空中を高速で進んでいるようだった。わたしたちは何処かへ向かっていたはずだが、ここから先は記憶が途切れている。 夢の中で歩いていた建物を思い出していたら、色や形状は異なるが、パイミオのサナトリウムが頭に浮かんだ。わたしは建築にはあまり興味はなく、アル…

立春そして新たな人生

熱は下がり、鼻水も止まって、血の道も経過し、身体が軽い。12月後半から続いていた調整が完了したようだ。立春だ。 先日、冥王星が山羊座を運行していた時期を振り返ってみたが、これから冥王星が水瓶座、そして魚座へと移動する時期を目処にすれば、この地上での残りの人生をどうしていくかという意図をより具体的に落としこみやすくなるのではないか。チャート上で冥王星が魚座へ移動するのは2044年、牡羊座へ移動するのは2067年。わたしは、やりたいことははっきりしているが、こうして区切りが見えると、ここからの20年でこうしていこうというイメージがより描きやすくなる。 今わたしは、一つの人生が完全に終了して、まったく何も無い巨大な穴のようなところから新たに人生を始めていくように感じているが、Vが以前に「あなたは96歳まで生きるよ」と言っていたので、それなら完全に終わったこれまでと、まったくの無から始まるこれからが、ちょうど同じ年数になる。なかなかバランスがいい。…

実家も無くなった今となっては

母のパートナーとは、彼の健康状態や生活状況を尋ねるのと、こちらの状況報告を兼ねて、月に一度ほどのペースでメールを送りあっていた。そんな風に定期的に連絡を取っていた彼ももうこの世にはいないこと、そして、母と彼が暮らしていたあの家にはもう別の人たちが暮らしているということにまだ慣れなくて、不思議な心地を味わっている。 わたしの母は出歩くのが好きで、生前はいつもあちこちへ出かけてはよく写真を送ってきていたし、わたしが帰省すると必ずともにどこかへ出かけた。先ほどXで偶然目にした、よく街歩きをしている人のアカウントには、母から話を聞いたことがある、実家があった街の近隣の場所がたくさん紹介されていた。なんとなく懐かしくなり、思わずそのアカウントの過去の投稿も遡っては、それぞれの場所について母から聞いた話を思い出した。そういえば、母は死の直前まで「〇〇温泉へ一緒に行こう、あそこなら車ですぐやし、一泊ぐらいなら(体力的に)行けると思う」と言っていた。結局実現はしなかったけれど。 母の死後も、母のパートナーが同じ家で暮らしていたから、わたしはあの街へ定期的に足を運んだ。日本へ行く目的の大半はいつも、…

ヘルシンキのカフェで

先月ヘルシンキでお会いした方とは、2018年にプラハのアンティークショップでばったり出逢った。その後、彼の同行者だった人とは、柴犬と共に暮らしているという共通点もあって時折メッセージを交わしていたが、彼とはまったく交流はなく、かれこれ40年ほどフィンランドで暮らしている方だという以外、わたしは彼について何も知らなかった。 今回初めてゆっくりお話をして、彼が一時期京都大丸に勤務していたことを知った。同じ時期に、わたしは大学生として京都大丸の近所に住んでいて、高島屋でアルバイトをしており、卒業後も近くで働いていた。わたしたちは「きっとどこかですれ違っていたはずですね」と笑った。ヘルシンキのカフェで、30年近く前の京都の街並みや生活が記憶の中から蘇るおもしろい時間だった。 彼は20代前半に貨物船で欧州へ渡り、あちこちで働きながら長らく転々とした後、条件が偶々一致してフィンランドに定住することになったそうだ。「当時はロンドンに住みたかったんだけどね」と言っていた。わたしも「ポルトガルへまた行きたい」などと言っていたはずが、あれよあれよという間に条件が整って、急流に運ばれるようにチェコで暮ら…

立春の前に

昨夜は妙に寒いなと感じていたが、横になったらぞくぞくしてきて、これは熱が出るなと思っていたら、やはり発熱。熱が上がる前は悪寒や痛みが伴うが、一旦発熱してしまえばむしろ体感は心地よい。身体の中から燃えているような感じだ。 昨日は突然水洟が止まらくなり、くしゃみを連発していたので、「プラハへ出かけた日にどこかで拾ってきたんだな、身体はそれを排出したがっているんだな」と思っていた。鼻水も、くしゃみも、発熱も、すべては不要を排出しようとする身体の自然な働きだ。 そして、“風邪の達人”である野口晴哉は「四十分から二時間くらいで(風邪を)経過してしまう。クシャミを二十回もするとたいてい風邪は出て行ってしまう。」と書いていたなと思い出した。 立春前に発熱して身体の偏りをほぐし、不要を排出しようとするなんて、身体は実に見事だ。肉体は最も身近な自然だと言うが、まさにその通りだと実感する。身体の自然を信頼し、身体の必要に耳を傾け、身体の心地よさを大切にするのは、自然との共存の基本。 頭を使い過ぎて頭が疲れても風邪を引く。消化器に余分な負担をかけた後でも風邪を引く。腎臓のはたらきを余分にした後で…

アフリカ大陸の西に浮かぶ島と「サハラの目」

夢の中で新しい場所へ旅に出ていた。わたしは休暇中で、アフリカ大陸の西にある島を訪れていた。夢の中では、その島あるいはその国の名を聞いた・見ていたが、忘れてしまった。「TE」から始まる、実際には存在しない名称だった。 様々な人種の人たちが行き交うローカルな空港の様子や、タクシーのようなもので移動した街の気配を覚えている。ホテルに到着後、わたしは自ら運転をして近くのマーケットへ買い物に出かけた。 わたしはそこに5日間滞在するようだった。その後も休暇は続くが、次の行き先はまだ決めていなかった。わたしはホテルの部屋で、次は北欧方面へ向かうか、それとももう少し物価の安いところにしようか等と考えていた。部屋の窓からは、すぐ前の道路を走行する車や乗客の姿がはっきりとよく見えていた。 目が覚めた後に改めて地図を見た。わたしが夢の中で訪れていたのは、カーボベルデがあるあたりだった。そして、あのあたりにもアトランティスに纏わる伝説があった気がして検索したところ、夢で滞在していた島からは東にあたる、モーリタニアにある「サハラの目(リシャット構造)」こそがアトランティスの失われた都の痕跡ではないかと…

物質界の価値観が死んでも生き残る意図

地上的なしがらみや執着=相対的自己の“思い”を自覚して離脱すると、物質世界の価値観を超える意図に近づく(意図が下りてくる)。しかし、物質的肉体を持つ我々は気を抜くとすぐ同一化・固定化するので、離脱は一度で完了するわけではなく、常に意識的である必要がある。 自分の見方、感じ方、考え方とは物質的個体に染み付いた“癖”であり、それを変えるにも自覚と訓練は必須だ。自らの癖に気づこうとせず、パターンに閉じこもって無自覚に振り回されている限り、一方向に流れる物質世界の時間にただ流されて一歩も動けないまま終わる。 「物質界の価値観が死んでも生き残る志、意図=本当は何がしたいのか?」が最も重要だ。それを自らで追究することなく、一方的に流れる物質世界の時間にただ流されているのは、グルジェフ的にいえば「魂がない、つまり人間ではない」ということだ。 以下は、松村潔氏の過去の投稿より抜粋。 物質世界は一方的な時間の流れの中で作られている。これは変更のきかない川の流れのようなもので、こうなればああなるという因果律がはっきりしている。地上的な欲望、夢、願望はすべてこの一方的な時間の流れの中で形成されてい…

終わりと始まり

人や土地とのつながりも含め、少し長いスパンでの終わりを感じているが、そういえばそろそろ冥王星が山羊座を抜けて水瓶座へ移動するのだった。ジオセントリックでは冥王星は逆行して9~11月に再び山羊座に戻るが、ヘリオセントリックでは5月に水瓶座に移動した後(当然ながら逆行はないので)はもう戻ることはない。 冥王星が山羊座に移動した2008年頃、自分が何をしていたかを思い返すと、元夫と別居そして離婚し、東京へ移住して、母親には住所を知らせずに単独で新しい生活を始めたのだった。思えばあれは、母親(およびすべての母的なもの)からの分離と、自己を回復し再構築するプロセスの始まりだった。 冥王星が山羊座を運行していた間に、自分は虐待を受けていたのだと気づき、自分の中のトラウマや恐れに基づくパターン(囚われ)にどんどん気づいていった。やがては、それまでの生活と選択のすべてが偽りだったと感じられるようになり、仕事も関係もすべてを放棄し、野垂れ死にを覚悟した後、まるで弾き出されるように日本から飛び出した。 日本を離れた後も、自己の崩壊と再構築を重ねた末に、母親との間に立場を超える人と人としての心地よい関…