自己同一化と投影

他者の言動や行為に対し、ほぼ機械的ともいえる否定感や強い感情反応がある時、それを「された」と思っている自分もまた、形は異なれど同じことを自分あるいは他者に対して「して」いる。 無自覚な被害者意識の裏には、無自覚な加害者意識がある。無自覚なまま(あるいは意図的に気づかぬふりをしたまま)被害者の立場にとどまり続ける人は、同時に、無自覚なまま自分や他者への加害も続けている。 我々は気を抜くとすぐ自己同一化しがちで、自分自身に幻想を見がちである。そうして自分に対して過剰な期待や願望を持ち、自分自身の暴力性や醜さからは目を背けたがる。しかし、内なる“認めたくない自分=影”は、他者を通して実現され続ける。強い否定や許せなさを感じる他者は、実は自分の中にいる。…

Perfect Daysを観て

わたしが暮らしている街の小さな映画館でも『Perfect Days (チェコ語タイトルは"Dokonalé dny")』が上映されたので、観に行ってきた。 まず、思っていたよりもずっと多くの観客がいて驚いた。たくさんの人が細かな演出やディテールに反応し、時に笑い、ポストクレジットシーンまでしっかり楽しんでいた。 ヴィム・ヴェンダースらしい、静かで、端正な映画だった。わたしは、彼が尊敬しているという小津安二郎の映画を知らないので、その影響については語れないが、ところどころにタルコフスキーの作品にも通じる要素を感じた。そして、役所広司は実に素晴らしかった(ラストシーンは圧巻!)。田中泯の存在感(現象感)が凄かったのは言うまでもない。 主人公・平山の生活には、共鳴する面が多々あった。派遣社員として働きながら東京で暮らしていた頃、わたしも毎日小さなカメラを持ち歩き、木々や草花や水面を眺め、光と影のダンスや一瞬の反映に一人で魅入っていた。小さなアパート、いつもの自販機、いつものベンチ、名も知らぬいつもの顔ぶれ。ガラケー、いつもの古本屋、コインランドリー、馴染みの居酒屋。あの日々が懐かしく思…

終わらせるため

わたしの父は、わたしがまだ幼かった頃に借金を残して失踪した。その後わたしは、彼と共に暮らしたこともないし、彼から養育費をもらったこともない(もちろん母は父と離婚し、わたしは母に育てられた)。その父がこの先亡くなった場合、遺骨をどうするのか、また、父方の墓が現在どのような状態にあるのか、そして唯一の子孫であるわたしにどのような責務が発生するのかについて、また調べ直している。 多系統萎縮症と認知症が進行して施設に入居している父とは、既に対話は望めない。また、父には再婚相手がいるが、彼との関わりを一切拒否しているらしい外国籍のその人がどこまで引き受けるつもりなのかもわからない。 父には成年後見人がついているので、その人に尋ねるしかない。彼女とはこれまでにも何度か電話で話をしてきて、わたしの相続放棄の意思も伝えてある。改めてまた彼女と連絡を取り、必要を感じた場合には、直接相談をしに日本へ行こうかと思いはじめている。 父に対しては、そもそも共に過ごした時間も僅かだし、この十数年ほどの間はできる限りの手助けもしてきたので、わたしにはもう思い残すことは一切ない。一人孫のわたしを可愛がってくれた…

夢の中の白い立方体の食べ物、吊り下げ式階段の使い方

夢の中で訪れたカフェで出された目玉焼きは、白い大きなプレートの右端に盛られた白い直方体で、おもしろい形の目玉焼きだな、妙に背が高いな、白身が大きいのかな、などと思いながら食べているうちに、次は焼きたてのパンが運ばれてきてプレートの反対側に載せられた。 以前から、夢の中ではよく白い直方体の何かを食べている。それは、お菓子だったり、目玉焼きだったりと設定は違えど、なんだかよく分からない白い直方体で、味の記憶はないが、夢の中ではおいしいようだ。 また別の夢では、上階へ行きたいが、目の前の吊り下げ式階段は逆側を向いている上に宙に浮いていて、そのままではのぼれなかった。その階段に足を引っ掛けてぐっと引き下ろしてみたところ、ヒンジで繋がった階段がすべてぐるりぐるりと逆向きにひっくり返った。 そうして階段をのぼると、中二階のあたりに女性用トイレがあるのを見つけた。 どうするのがいいかわからないことは、夢に尋ねることにしている。自分に見える/わかる範囲、すなわち既知の範疇で解決策が見つからないなら、外からくるものを受け取るしかない。これらの夢も、そうした問いかけに対する“あちら側”からの回答だ。…

幸せは記憶の中に

幼友達が、わたしにとって特別な思い出となった場所の写真を撮って送ってくれた。母とさくらと共に歩いた中濠の桜並木。いずれ死ぬ時まで、何度も蘇るだろう記憶の中の時間。 あの日、前を歩く母とさくらの後ろ姿を眺めながら、「いつかわたしはこの光景を懐かしく思い返すだろう」と唐突に確信した。あれは今でも不思議だが、やはり本当だった。 恨みも、痛みも、悲しみも味わい尽くし、全部をゆるして、ようやく母との間に誠実で対等な関係を築くことができたあの時期に、短い間ではあったけれど、彼女とさくらと一緒に暮らすことができたのは、まるで贈り物のような巡り合わせだった。きっとあれはわたしにとって、人生で最も幸せな時だったのだと思う。 死ぬまで繰り返し思い出す中で、やがてその感触も変化していくだろう。しかし、あれほどの充足感を味わうことは、この先もう二度と無いかもしれない。そして、それでいいと思っている。幸せとは、喜びや高揚感とは異なるもので、その最中においては案外と煩わしく、実にささやかなものだ。 それにしても、桜の花が咲く頃の日本の風景はまるであの世みたいだ。日本で暮らしていた頃から、毎年夢の中のようだ…

馬に初めて触れたときのこと

初めて馬に触れたときのことは今でもよく覚えている。あれはメスの元競走馬だった。わたしは彼女のそばでじっと黙って立っているだけだったが、そこには言葉を超える循環が起きているようで、説明しがたい静寂と安堵感があった。自他の境界があのように溶けていく感覚は、人との間では味わったことがない。 思えばあれは、勤務先を突然解雇された直後で、いきなりやってきた無職状態に戸惑いながらも解放感を味わっていた頃だった。そして、あれはまた、過去の虐待経験から回復しつつある時期でもあり、また、自らの自他境界線の曖昧さに気づきはじめた時期でもあった。 振り返ってみると、あの頃からわたしは少しずつ「諦め」はじめたのかもしれない。今いる社会の中で居場所を見つけて生き延びなければならないとか、役に立たなければならないとか、そういった相対的な自己の思い込みや執着にひとつひとつ気づいては、あきらめはじめていったように思う。 マルセイユ・タロットに最も親しんだのもあの頃だ。やがて、白昼夢のようなビジョンを日常的に見るようになり、見慣れない場所やものが現実に重なるようにして見えることが増えていった。職場で突然、視界に映…

河田桟『くらやみに、馬といる』

河田桟著『くらやみに、馬といる』(カディブックス)を購入した。昨夜何気なくカディブックスのWEBショップを覗いたところ、4月1日からしばらく休まれるとのことだったので、急いでオーダーした。日本にいる幼友達が受け取って預かってくれる。次に日本へ行く時の愉しみがまた一つ増えた。 『くらやみに、馬といる』はこのページで第一章の立ち読みもできる。 カディブックスのWEBサイトには、「与那国島を離れて久米島へ引っ越すこととなりました」というお知らせが掲載されている。またもや久米島の名を目にしたわたしは勝手に少し驚いた。 数年前に夢で訪れた場所が、久米島にある洞窟と畳石によく似ていることに気づいて以来、一度行ってみたいと思い続けている。そうすると、思わぬところで久米島の名を目にすることが俄かに増え、呼ばれているような気さえするようになった。また、久米島にも与那国馬の牧場があり、馬を見たいなとも思っているところだった。 今度日本へ行くときはどこを訪れようかと考えるのは楽しいもので、わたしの地図には日本中に多くの印がついている。あの海を見たいな、しかしあの街の美術館にも行きたいし、などと思…