夢の中の白い立方体の食べ物、吊り下げ式階段の使い方

夢の中で訪れたカフェで出された目玉焼きは、白い大きなプレートの右端に盛られた白い直方体で、おもしろい形の目玉焼きだな、妙に背が高いな、白身が大きいのかな、などと思いながら食べているうちに、次は焼きたてのパンが運ばれてきてプレートの反対側に載せられた。 以前から、夢の中ではよく白い直方体の何かを食べている。それは、お菓子だったり、目玉焼きだったりと設定は違えど、なんだかよく分からない白い直方体で、味の記憶はないが、夢の中ではおいしいようだ。 また別の夢では、上階へ行きたいが、目の前の吊り下げ式階段は逆側を向いている上に宙に浮いていて、そのままではのぼれなかった。その階段に足を引っ掛けてぐっと引き下ろしてみたところ、ヒンジで繋がった階段がすべてぐるりぐるりと逆向きにひっくり返った。 そうして階段をのぼると、中二階のあたりに女性用トイレがあるのを見つけた。 どうするのがいいかわからないことは、夢に尋ねることにしている。自分に見える/わかる範囲、すなわち既知の範疇で解決策が見つからないなら、外からくるものを受け取るしかない。これらの夢も、そうした問いかけに対する“あちら側”からの回答だ。…

幸せは記憶の中に

幼友達が、わたしにとって特別な思い出となった場所の写真を撮って送ってくれた。母とさくらと共に歩いた中濠の桜並木。いずれ死ぬ時まで、何度も蘇るだろう記憶の中の時間。 あの日、前を歩く母とさくらの後ろ姿を眺めながら、「いつかわたしはこの光景を懐かしく思い返すだろう」と唐突に確信した。あれは今でも不思議だが、やはり本当だった。 恨みも、痛みも、悲しみも味わい尽くし、全部をゆるして、ようやく母との間に誠実で対等な関係を築くことができたあの時期に、短い間ではあったけれど、彼女とさくらと一緒に暮らすことができたのは、まるで贈り物のような巡り合わせだった。きっとあれはわたしにとって、人生で最も幸せな時だったのだと思う。 死ぬまで繰り返し思い出す中で、やがてその感触も変化していくだろう。しかし、あれほどの充足感を味わうことは、この先もう二度と無いかもしれない。そして、それでいいと思っている。幸せとは、喜びや高揚感とは異なるもので、その最中においては案外と煩わしく、実にささやかなものだ。 それにしても、桜の花が咲く頃の日本の風景はまるであの世みたいだ。日本で暮らしていた頃から、毎年夢の中のようだ…

馬に初めて触れたときのこと

初めて馬に触れたときのことは今でもよく覚えている。あれはメスの元競走馬だった。わたしは彼女のそばでじっと黙って立っているだけだったが、そこには言葉を超える循環が起きているようで、説明しがたい静寂と安堵感があった。自他の境界があのように溶けていく感覚は、人との間では味わったことがない。 思えばあれは、勤務先を突然解雇された直後で、いきなりやってきた無職状態に戸惑いながらも解放感を味わっていた頃だった。そして、あれはまた、過去の虐待経験から回復しつつある時期でもあり、また、自らの自他境界線の曖昧さに気づきはじめた時期でもあった。 振り返ってみると、あの頃からわたしは少しずつ「諦め」はじめたのかもしれない。今いる社会の中で居場所を見つけて生き延びなければならないとか、役に立たなければならないとか、そういった相対的な自己の思い込みや執着にひとつひとつ気づいては、あきらめはじめていったように思う。 マルセイユ・タロットに最も親しんだのもあの頃だ。やがて、白昼夢のようなビジョンを日常的に見るようになり、見慣れない場所やものが現実に重なるようにして見えることが増えていった。職場で突然、視界に映…

河田桟『くらやみに、馬といる』

河田桟著『くらやみに、馬といる』(カディブックス)を購入した。昨夜何気なくカディブックスのWEBショップを覗いたところ、4月1日からしばらく休まれるとのことだったので、急いでオーダーした。日本にいる幼友達が受け取って預かってくれる。次に日本へ行く時の愉しみがまた一つ増えた。 『くらやみに、馬といる』はこのページで第一章の立ち読みもできる。 カディブックスのWEBサイトには、「与那国島を離れて久米島へ引っ越すこととなりました」というお知らせが掲載されている。またもや久米島の名を目にしたわたしは勝手に少し驚いた。 数年前に夢で訪れた場所が、久米島にある洞窟と畳石によく似ていることに気づいて以来、一度行ってみたいと思い続けている。そうすると、思わぬところで久米島の名を目にすることが俄かに増え、呼ばれているような気さえするようになった。また、久米島にも与那国馬の牧場があり、馬を見たいなとも思っているところだった。 今度日本へ行くときはどこを訪れようかと考えるのは楽しいもので、わたしの地図には日本中に多くの印がついている。あの海を見たいな、しかしあの街の美術館にも行きたいし、などと思…

精神の地平線

ほんとうにほしいものなどなにもないことにきづいてからがはじまり これは、10年前に書きとめていた短歌形式のメモ。 先日パスポートを更新し、10年なんて瞬く間に過ぎると改めて実感した。次の10年はさらに急速に過ぎるだろうし、わたしもあっという間に死ぬだろう。それまでにどれだけ訓練を積めるだろうかと考えてしまう。時間はあるし、自ら生み出すものだが、余所事にかまけている時間はまったくない。 以前にも投稿した松村潔氏の過去の投稿からの抜粋を読み返す。 物質世界は一方的な時間の流れの中で作られている。これは変更のきかない川の流れのようなもので、こうなればああなるという因果律がはっきりしている。地上的な欲望、夢、願望はすべてこの一方的な時間の流れの中で形成されている。子供は成長して大人になる。お金はためると増える。運命は変えられるかという議論が時々あるが、そもそも人生の夢や願望そのものが、この決まったコースの中だからこそ形成できているのだということに気がつかないといけない。エーテル体は反対の時間の流れを持っている。なので、このエーテル体の流れを物質界にぶつけると、対消滅してしまい、…

さくらさくら

毎年日本で桜が咲く季節になると、母とさくらと一緒に城の内堀を歩いた日々を思い出す。満開の桜並木の下で、そして、桜の花びらが舞い散る中、先を行く彼女たちの後ろ姿を見ながら歩いたあの眺め。 わたしがチェコに移住する前、二十数年ぶりに実家で暮らした短い期間の思い出。…

昔の実家の台所、父とコミュニケーションがとりづらい夢

昨夜見た夢。 昔祖父母と暮らした今はもう無い家の台所で、古い戸棚の中にインスタントラーメンなどの保存食品がまだ残っているのを見つけた。そして、床の上に、美しい小さな陶器の蓋付きの器が置かれて(落ちて)いるのを見つけた。それは、香炉のように見えたが、夢の中のわたしはきれいだな、小物入れかな、などと思っていた。 そして、朝方に見た夢。 昔祖父母と共に暮らした家によく似た場所に、5人の来客があった。そのうちの一人は、つい先日数年ぶりに連絡を取りあった写真家の友人だった。彼らは何か共通のテーマに関して情報交換や議論を始めていたが、わたしは別の用事があってその場を離れなければならなかった。 わたしは、父が住んでいるという見たこともない家を訪ねたが、留守だった。移動しながら何度も父に電話をかけた。何度目かにようやく電話に出た父は、気分が悪いと言う。わたしは父に、それならば自宅に戻るか、病院へ行く方がいいと言ったが、父は外でわたしを待っていたのだと言う。 その後、場面が変わり、父の介護者と思われる男性が現れた。 彼は、父を代弁して、わたしが父と話をしないので寂しがっていると言った。 私…