新たな意図
昨日ふと、「いつかこういうようなものを作れるようになりたい」という明確な意図がやってきたが、今描いている絵の途中経過を見たある人の思いがけない反応 ― 彼女の中で起きた出来事を通して、それが既に実現されていることを知り、嬉しかった。…
昨日ふと、「いつかこういうようなものを作れるようになりたい」という明確な意図がやってきたが、今描いている絵の途中経過を見たある人の思いがけない反応 ― 彼女の中で起きた出来事を通して、それが既に実現されていることを知り、嬉しかった。…
夢の中で、仕事か何か任務のために知らない土地を訪れていた。わたしはどこかへ移動するため駅へ向かっていた。既に20時を過ぎていたが、空はまだ明るかった。何かの研究所だという建物がある敷地の中を歩いた。わたしは以前にもその研究所を訪ねたことがあるようで、その場所を知っているようだった。 敷地の中には広大な公園があった。そばには大きな川が流れていて、わたしはその川の堤防沿いを歩いた。川の水量は多く、堤防のすれすれまで水が満ちていた。川の向こうには、遠くにビルが建ち並ぶ街の様子が見えた。わたしはのんびり歩きながら、時々立ち止まって写真を撮った。 やがて公園の出口が近づいてきた。出口付近には深々とした森が広がっていて、公園の中とは雰囲気がまるで異なり、さらにそこには石造りの神社かあるいは大きな墓のようなものが建っていた。その森を通り抜けて外へ出た後、改めて振り返ると、大きな石造りの記念碑に女性の顔が描かれていた。 その女性はいわゆる霊能者のような存在で、昔多くの市民を助けた人物らしく、そこに祀られ、現在も人々から信奉されているようだった。ひときわ大きな記念碑の隣には、2、3の小さな石碑も並…
Summer Evening Sky Ⅱ Pastel on Pastelmat 18x24 cm…
夢に松村潔氏が現れた。 レクチャールームのような空間で着席していると、松村氏がやってきて、わたしを含む何人かの人にお土産かギフトのようなものを配りはじめた。その場にいた全員がもらえるわけではなく、松村氏に何かしら関わりがある人だけがもらえるようだった。「コーラもあるけど飲む?」と、グラスに注いでくださったのも覚えている。氏はにこにこと機嫌よさげで、親切な雰囲気だった。 別の場面、あるいは別の夢では、わたしは見知らぬ部屋に何人かの人たちと集まっていた。そこは、わたしが以前マルセイユ・タロットを学んだ先生の部屋ということだった。背もたれのある椅子や ソファがなかったので、わたしはカーペットの上に松村氏と並んで座り、ベッドのフレームに背中をもたせかけた。やがて氏はごろんと横になった。ちょうど彼の頭がわたしの腹にあたる体勢になり、わたしは、呼吸をするたびに氏の頭が揺れるので邪魔にならないかと少し気にしていた。 また別の夢では、専門家からとても高価なペンあるいはシャープペンシルを見せてもらっていた。金のボディに赤や青のシンプルなデザインが施されたそのペンは、形は細いがずっしりと重みがあ…
Summer Evening Sky Pastel on Pastelmat 18x24 cm…
寂静 - Shanti Pastel on Pastelmat 18x24 cm…
既に亡くなっている祖父・祖母の名義のままになっている土地の相続登記のため、相続人である伯父とわたしとで遺産分割協議書を作成しなければならないのだが、伯父は認知症を発症しているため意思能力の有無が微妙で、手続きに時間がかかっている。 わたしはこの財産を全て放棄し、伯父が全ての土地を相続することで合意しているが、それでも、伯父に意思能力が無いと認められた場合には、伯父に法的に有効な代理人を立てる必要が生じる可能性がある。しかし、伯父の妻と子である伯母と従弟はそれを避けたいようだ。とはいえ、このままでは事が進まないので、まずは法律の専門家にすぐ相談するよう従弟を促した。 今年4月1日から法律が改正され、所有者が死亡した土地や建物の相続登記(名義変更)が義務化された。この義務は、2024年4月1日以前に所有者が亡くなり、相続人名義に変更されていない土地や建物も対象となる。しかも、名義変更を怠った場合は10万円以下の過料に処されるという罰則付きだ。 元はと言えば、わたしの母(と彼女の内縁の夫)が、同じ土地上に建つ同じ建物内で同居してきた伯父・伯母たちとの対立するのを避けるために、土地を既に…
絵の完成は、いつも自分で決めるのではなく、手を止めて描き終えなければならない時がやってくる。その後、あちこち修正したくなることもよくあるが、必要以上に手を加えないようにしている。慎重に描き上げることと、執着することは、まったく別のことだ。 特に描き終えてすぐの時には、あっちもこっちも納得がいかず、ようやく自分の見誤りや思い違いに気づくこともある。そうして、自分の目と手の思い込みに気づかされては、まだまだ修練が足りないと実感する。 たとえ納得ができなくても、描き終えた絵は修練の過程として形に残す。そうすると、それを見た人たちが、わたし自身だけでは得られなかった印象や感覚を教えてくれる。そして、そこにはいつも驚きがある。…