ひっくりかえる
他者と向き合うことが怖かったり面倒だったりするのは、自分に向き合うのが怖かったり嫌だったりするからで、他者を拒絶したくなるのは、自分の中にもあるその要素を拒絶したいからだ。他者を通して見えているものは、実はすべて自分の中にある。 他者の中に見ている最も嫌悪/拒絶したい側面が、実は自分の中にもあることを認めると、おもしろいほどにすべてがひっくりかえる。自分の中の影を統合すると、見える世界が変わるだけでなく、環境そのものも変化する。…
夢の中でさくらを抱いていた。 さくらは歳を取り、自力ではあまり歩けなくなっていたので、わたしは彼女を抱いて歩いていた。彼女の身体は少し痩せて軽くなっていたけれど、ふわふわした柔らかな毛並みは変わっていなかった。 わたしたちはショッピングモールのような場所にいた。店舗の間にある通路では、Vが近所の人たちや知り合いと立ち話をしていた。わたしは彼らと挨拶を交わした後、モールを通り抜けて奥にある自分たちのフラットらしい場所へ向かった。 さくらはあまり歩けないため、身体を擦り付けることが多いからか、毛が少し汚れていて、胸元には少し血が滲んでいた。わたしはVに「さくらを洗っても大丈夫だろうか」と相談していた。そして、さくらの胴を包むカバーを見つけて着させようかと考えていた。…
夢の中でボリビアにいた。そこは高い山の上で、目の前には大きな青い川が流れていた。わたしは複数の女性たちと共に、川の畔で風景を眺めていた。時折船が驚くような速度で目の前を通り過ぎて行った。川の右手遠くにはターコイズブルーに輝く海が見えていたが、ここは高原なのだからあれは湖かもしれないと思った。 別の夢では、わたしは母と共に旅をしていた。わたしたちは知らない街で夕飯を食べに出かけているようだった。車で移動した夜の街の様子と印象だけが記憶に残っている。わたしたちは寿司を食べることにしたか、あるいは食べた気がする。 また別の夢では、わたしは母方の祖母と共に知らない街にいた。夕焼け空が広がる中、わたしたちは駅の方へ向かって歩いていた。途中、祖母が道沿いの工場の中へ入ろうとするのを止めたことを覚えている。やがて駅だと思われる古い建物が見えてきた。駅の周辺には大きな建物が建ち並んでいて、思いのほか都会だなと思っていた。 更に別の夢では、わたしは合宿か何かに参加しているようだった。古い知人が所有あるいは管理する場所に、知らない女性たちと共に滞在していた。持参していた古いブランケットに自分のもので…
他者と向き合うことが怖かったり面倒だったりするのは、自分に向き合うのが怖かったり嫌だったりするからで、他者を拒絶したくなるのは、自分の中にもあるその要素を拒絶したいからだ。他者を通して見えているものは、実はすべて自分の中にある。 他者の中に見ている最も嫌悪/拒絶したい側面が、実は自分の中にもあることを認めると、おもしろいほどにすべてがひっくりかえる。自分の中の影を統合すると、見える世界が変わるだけでなく、環境そのものも変化する。…
あらゆる「自分」と「相手」はひとつの中の陰と陽で、こちらが動けばあちらも動き、こちらが変わればあちらも変わる。しかし、こちらは動かず変わらずにいながら、あちらが動くことを期待するだけでは、同じ状態が延々と続く。同じことの繰り返しを終わらせたければ、自分でその陰陽から抜け出すしかない。 この「自分」と「相手」という陰陽は、「自分」の中の、そしてまた「相手」の中の陰陽を映し出す。自らの影を見ない人は、同じように自分の影から目を背ける相手と引き寄せあう。「自分」と「相手」という陰陽に変化をもたらす、あるいはそこから抜け出すには、自分の中にある陰と陽を自覚する必要がある。…
数日前、思いがけない申し出を受けて、急遽情報を集めて比較検討する必要が生じた中、時々見ているWEBサイトに実に的を得た情報が突然掲載されているのを見つけて、非常に役立った。その情報は翌日には削除されていた(おそらく買い手がついた)。あれはまさに上位の意識による図らいだったと感じている。 その時点では思いもよらぬ展開だったとしても、結局その後はいつも、より快適な/より相応しい環境や場が用意されて移行・移動してきたので、今回もまた、より適したものやってくるだろうと思っている。環境に右往左往するのではなく、環境がついてくる。 そもそもわたしは、地球どころか太陽系から抜け出そうとしているのだから、たとえ地球上のどこへ移動することになっても大したことではない。 一見不都合なように感じられる出来事も、実は「渡りに船」であり、意図した/されたとおりに展開している。究極的には地上の社会で起きることなど大したことではないので、どんなことが起きてもうまく利用していくだけだ。 すべては根本的な望みどおり、あるいは上位の意識が意図したとおりになっている中、地上的な自我だけがそれを「思いもよらない」と感…
夢の中でまた、今はもうない昔の実家にいた。実際にわたしが10代の頃に使っていた2階の部屋には、わたしの元夫らしき人と、女性と男性が一人ずついて、元夫らしき人は、何やら内面に問題を抱えているらしいその女性を励ましているようだった。わたしはタバコを吸いに外に出ようと思い、その部屋を離れた。 廊下を挟んだ母の部屋で、マガジンラックのようなものの中にマールボロの赤箱とライターがあるのを見つけて、それらを手に取った。丸められた赤いTシャツも入っていたので、それも取り出した。外は肌寒そうなので、オレンジ色のウインドブレーカーを羽織った。階下へ向かう際に、廊下の突き当たりにあるトイレ(実際にはそこは物置だった)から例の女性が出てきたが、わたしは彼女とは目を合わさずに階段を降りた。 1階の台所では、祖父がニコニコしながら何かを食べていた。わたしは「おじいさん、久しぶり、元気そうで嬉しいよ」というようなことを言った。祖父は、わたしの言葉や反応が嬉しいようで、ますます笑顔になって「あんたはええ子やな」というようなことを言った気がする。 玄関では、元夫らしき人が座って靴を履こうとしていた。わたしは彼の…
Morning on the Lake, based on an impression of Symphony No. 5 by Jean Sibelius…
他者の言動や行為に対し、ほぼ機械的ともいえる否定感や強い感情反応がある時、それを「された」と思っている自分もまた、形は異なれど同じことを自分あるいは他者に対して「して」いる。 無自覚な被害者意識の裏には、無自覚な加害者意識がある。無自覚なまま(あるいは意図的に気づかぬふりをしたまま)被害者の立場にとどまり続ける人は、同時に、無自覚なまま自分や他者への加害も続けている。 我々は気を抜くとすぐ自己同一化しがちで、自分自身に幻想を見がちである。そうして自分に対して過剰な期待や願望を持ち、自分自身の暴力性や醜さからは目を背けたがる。しかし、内なる“認めたくない自分=影”は、他者を通して実現され続ける。強い否定や許せなさを感じる他者は、実は自分の中にいる。…