“Happy is not the right word.”

幸せという言葉はあるけれど、幸せとは果たしてどういうことなのかを考えると、答えは見つからないような気がするし、体のいい空言がいくらでも作れそうな気もする。振り返ると、私にとって人生は常に苦痛(suffering)の連続であり、地球上に人として存在しなければならないこと自体が苦悩なのだと思っている。 とはいえ、今現在の自分自身には満足しているので、昔に比べれば苦悩の重さは格段に軽減した。もしかすると今のこの状態は、形は変われども苦痛が消えることはないと諦め、生きている限り生きるしかないことを受け入れて、ようやく辿り着いた一つの段階なのかもしれない。 そんなことを一人で考えていたら、アンドレイ・タルコフスキーの言葉を思い出した。 “Happy is not the right word. This world is not a place where we can be happy. It wasn’t created for man’s happiness, though many believe this is the…

夏の記憶

夏季休暇中の友人たちから届くメッセージからも、SNSに流れてくる文章や写真からも、お盆を迎えた日本の雰囲気が伝わってくる。日本特有の行事や風習の時期が来ると、今はもうない昔のことや場所が思い出されて、懐かしいような切ないような気持になる。 不意に蘇る日本の記憶に夏の風景が多いのは、幼少期や思春期に長い夏休みがあり、何かと行事も多かったからだろうか。アパートの窓から味わった夏の早朝の気配、商工会議所で行われた盆踊りの練習、母や祖父母と車で旅に出た時に見た景色。様々な記憶の断片がやってきては流れていく。…

静かな生活

友人が、あるポッドキャストを聞いて私のことを思い出したと、その番組を紹介してくれた。私自身も以前から興味を抱いている人の番組だったので、早速聞いてみたのだが、体調が優れないためかじっと聞いているのが辛くて、序盤早々に止めてしまった。 最近は、音声を聞きながら何か他のことをするのが以前にも増して困難になった。特に、人の「語り」を聞くには、その声のみに集中する必要がある。そして、聴覚に集中し、聞き取った言葉を理解するには体力を要する。だから、身体の調子が優れない時には、誰かの話を聞くのは難しい。 また、日本語の「話し言葉」を耳にする機会が殆どない生活が長くなり、音声だけで日本語を聞いて理解することが以前よりも難しくなっている気もする。対面で話を聞く場合には支障を感じないが(そもそもそんな機会が滅多にないのだが)、日本語特有の音やリズム、抑揚に、馴染みが薄れてきているのかもしれない。私は元々、読むことに比べて、聞くだけで物事を理解するのが難しい傾向があるので、なおさら聞き取りが難しいのだろう。 とはいえ、件のポッドキャストに興味はあるので、もう少し身体の状態が楽な時に再び聞いてみようと…

更年期、そして余生はのんびりと

ホットフラッシュと寒気が交互にやってきて、せわしないやら疲れるやら。更年期もいつか終わりが来るとわかってはいるけれど、この不安定な体調に付き合っているだけで疲弊して、他に何も出来ない日々を過ごすのはそう楽ではない。 仕事をしていても頭がすっきりしないので、計算間違いをしていないかとか、何か忘れていないかとか、常に不安がつきまとい、以前のようなスピードで処理することができなくなっている。ホルモンバランスの変化の影響か、OCDも強くなっているので、何をするにも以前よりはるかに時間がかかる。 とはいえ、焦っても自分を追いつめるだけなので、身体の変化だ仕方ないとあきらめて、何事ものんびりやることにしている。一日に一つ家事や用事を済ますことができれば十分だ。絵もあまり描き進められていないが、描けない日々が続いても気にならなくなった。そもそも何かや誰かのために描いているのではないのだ。 夏は家族の命日が続くこともあって、過去を振り返ることが多い。そして、自分がやり遂げてきた事の大きさを再確認する。我ながら実によくやり遂げたと思うし、あれだけ多くの事を一手に終わらせたのだから、今生における地上…

モーリス・ラヴェルを聴きながら昔を思い返す

精神疲労が重なった時や心身の調子がよくない時には、幼少期に繰り返し聴いた音楽が頭の中で流れる。思えば音楽は私にとって自分を守ってくれるシェルターのようなものだった。チェコで暮らし始めてから普段あまり音楽を聴かなくなったのは、シェルターとしての音楽を必要としなくなったのかもしれない。 モーリス・ラヴェルの存在を知ったのは小学校の音楽室だった気がする。音楽室の壁に並んだ著名な音楽家の肖像画/写真を見上げては、彼らの作品を順番に聴いた。その中で特に気に入ったのがラヴェルの楽曲だった。彼の音楽がもたらす色彩が心地よかった。この曲を聴いていると、子ども頃に見ただろうささやかな情景と、その光や色、感触が蘇ってくる。 つい最近、あるDV事件に関する記事の中で、「被害者の精神力は暴力を避けることに費やされるため、虐待から抜け出す方法を考えることが難しくなる」という心理学者の解説を目にした。自分の幼少期から思春期を振り返って、私もまさにその通りだったと実感した。私の人生は長らく、暴力とその恐怖から逃れることのみに費やされた。 18歳で親元を離れた後も、逃げることと自己を回復することに精一杯だっ…

南ボヘミアでの快適な生活

この時期のプラハはメトロもトラムもあちこちが工事中で、路線の一部が運休だったり、駅が閉鎖されていたりして、移動がちょっと大変だ。おかげで今日はいつも以上に疲れた。 プラハに来るたびに、南ボヘミアとは比べものにならないぐらいに人が多いだけでなく、ヴァンダリズムや、路上のゴミや吸殻も多くて、街が荒れているなと感じる。そして、南ボヘミアに帰り着くとほっとして、現在住んでいる街に引越して本当によかったと思う。 思えば、南ボヘミアでの生活は、プラハで暮らした年月よりも長くなった。私が引越したのは、母が亡くなって、さくらをチェコへ連れてくるのを決めたことがきっかけだったので、母の命日が来るたびに、南ボヘミアでの生活も一年ずつ長くなったのを確認している。…

金鉱脈をめぐる旅

6月に訪れたフィンランドのウツヨキやイヴァロ川流域には金(フィンランド語では「Kulta」)採掘の歴史があり、現在でも砂金採取が行われている。今回の旅では、16世紀に最初に金が発見されたというウツヨキで、「Kultala (Gold village)」という名のトナカイから繋がる嬉しい縁にも恵まれた。 昨夜ふと思い立って、9月末に再訪予定の久米島に関する情報をなんとなく検索していたら、久米島にも戦前に金採掘の歴史があったと知って驚いた。久米島は沖縄県で唯一、金鉱山の記録が残っている島らしい。 私が妙に惹かれる土地/居心地がいいと感じる土地には、金にまつわる歴史が残っていることが多いようだ。図らずも金鉱脈をたどる旅をしている。実は、チェコ共和国にもかつては金鉱山があり、現在でも僅かではあるが砂金採取が可能な場所がいくつかある。…

レストラン「御ゆき」

夢の中で、「御ゆき」という昔ながらの喫茶店のようなレストランを訪れた。夢の中ではそこは大阪ということになっていて、「御ゆき」は大きな新しい商業施設に隣接する古いホテルの中にあった。入口には食品サンプルが並んだショーケースとメニューが置いてあり、私はパスタを食べることにした。少し遅い時間だったので、案内係の老婦人にまだ入店できるか尋ねたところ、23時まで営業しているので大丈夫だと言われた。私は、チェコでは材料すら入手できないヴォンゴレを食べようと決めた。 この場面の前に、私は隣の新しい商業施設内のカフェで友人と待ち合わせていた。しかし、とても空腹で何か食べたかったので、友人とは後で合流することにして、混雑した商業施設を抜けて、隣にある古いホテルの中で食事ができる店を探すことにしたのだった。…