ポルトガルで過ごした七日間

ポルトガル北部~中部沿岸地域での一週間は、心身ともにとても快適で、のびのびと寛ぐことのできるいい時間だった。 何を食べても口にあうだけでなく、湿潤な気候は肌や髪にもよくあっているようだった。出発前から睡眠不足気味だったにも関わらず、滞在中は常に食欲旺盛で、PMSや月経の症状も軽く、身体の調子はずっとよかった。 また、人々は親切でホスピタリティに溢れ、しっかりとコミュニケーションを図ろうとしてくれることが多く、どこへ行ってもリラックスしていられた。そして、物価がチェコと近い点も気が楽だった。 2014年に初めてポルトガルを訪れた時には、英語でのコミュニケーションですら躓くことが多く、欧州の文化・風習にも慣れておらず、何もかもわからないことだらけで、現地に住む友人に頼りっぱなしだった。しかし、チェコでの生活が長くなり、チェコ語と英語に囲まれて暮らしているためか、今回は同じ欧州文化圏という理解と安心感に加え、ポルトガル語への順応も思いのほかスムースだった。 それにしても、大西洋の眺めはすばらしい。あの海をいつでも眺められるなんて、現地で暮らす人々が実にうらやましい。今後は定期的にポル…

Transcend yourself

何であれ、やり続け、積み重ねていくことが重要なのは当然として、ただ漫然と機械のように繰り返しているだけでは何も生まれない。その過程で自ら気づき、自身の歪みや狭さを発見し、変化・変容していくこと、つまり自己想起し、自己を拡大していくことこそが重要なのではないかと、改めて思う。 それがセンチメンタリズムであれ、ノスタルジーであれ、小さな自己の機械的反応(自己同一化)の殻の中で繰り返される創作物には、時(命)が宿っておらず、破壊も再生も起こらなくて、残念だなと感じる。 反対に、おもしろいな、魅力的だなと感じる作品とは、作り手がそのような小さな自己の殻の外に自我を置いている/置こうとしていると言えるのかもしれない。そしてそれは、技術や技巧の優劣、モチーフの種類といった条件とはまったく別のことだ。 継続し積み重ねていく過程の中で、自己に何度も気づいては、自己想起と自己変容を繰り返していくことによってこそ、独自性は自然発生的に現れるのかもしれない。…

凍りついた海

夢の中で凍った海を眺めていた。遠くから波がいくつもこちら側に向かって寄せてきたが、すべて波の形を残したまま凍りついていった。不思議な光景だった。海の色はとても深く、辺りは薄暗かった。 わたしは集団で旅をしていたような気がする。一度は他の人たちと共に海を離れて建物の中に戻ったが、波が波の形のまま凍りつく光景をもう一度見たくて、一人で海に向かって歩いた。しかし、海はすっかり遠くなっていて、かなり歩かなければならなかった。わたしは工場や煙突、鉄塔が立ち並ぶ地域を歩いていた。…

11年前、ポルトガルへの旅

約11年前、東京で派遣社員として貯金など不可能な倹約生活を送っていたわたしの元に、思いがけないお金が舞い込んだ。わたしはそれを全て費やして、生まれて初めての海外一人旅を実行した。行先はポルトガル。現地では、ポルトガルに長く住んでいる友人にお世話になった。 滞在は5、6日と短いものだったが、その間にわたしの中で大きな癒しと変容が始まった。それまでの人生で初めて、「自分は何者にもならなくていい、何者でもないままただ存在していてもいいのだ」と感じた。滞在最終日の夜、友人の車の中で、不意にラジオから流れてきたマイケル・ジャクソンの『Heal the World』を聴きながら、車窓越しに流れていくオレンジ色の街灯を眺めていたときの感覚を、今でもよく覚えている。 旅から戻った後、わたしは以前と同じ生活は送れなくなった。仕事、副業、所有物、人間関係、生活のほぼすべてが自己欺瞞であることに気づいて、鬱状態に陥った。やがて仕事を辞め、すべてを放棄し、野垂れ死にでいいと腹を括った。そうして思いがけない展開に運ばれてチェコにたどり着いた。 11年前のあのポルトガルへの旅は、わたしにとって、人生の大きな…

春が来るたびに

毎年春が近づくにつれ、チェコに移住する直前、実家で母とさくらと一緒に暮らした数ヶ月(城の周りや桜並木を毎日一緒に歩いたあの日々)と、COVIDによるロックダウンで身動きが取れない中、母の死が確実に近づいているのを察知していた頃のことを思い出す。…

このよ

「ぼくたちはこんなところでいったいなにをしているのでしょうね」 「ぼくたち、ぬけだすことのできないわなにとらわれているようですね」 「いつかじょうはつするひまで、たえるしかないのでしょうか」 「きっといつかじょうはつするひまで」 「それまでぼくたち、なんとかやっていきましょう」 「なんとかやっていきましょう」…

父が暮らしている場所を訪ねる夢

夢の中で父が住んでいるらしい場所を訪れた。見たこともない建物で、玄関を開けるとすぐに部屋があり、玄関の左側には上階へと続く階段があった。階段は真っ白で、樹脂や陶器のような滑らかな素材でできていた。一番下の段は一見すると洋式トイレのような形をしていたが、トイレとして使われてはいないようだった。 階段からも上階からも人が暮らしている気配は感じられず、まるで別世界のようだった。しかし、玄関を入ってすぐの部屋にはテレビがあり、6缶パックのビールや新聞紙、雑誌などが散乱していて、生活感が漂っていた。父は風呂に入っているようで、シャワーの音が聞こえていた。 目が覚めてから、今日はちょうど彼岸の中日だと気づいた。昨年8月に亡くなった父が風呂に入っていたのは、そろそろ彼も地上の人格や個体性、物質的存在性を脱いで洗い落としている頃なのかもしれない。…