ターコイズブルーの海と空に開いた黄色い花

今朝の夢の旅先はとても美しい海が見える街だった。岩場の向こうに広がる鮮やかなターコイズブルーの海をはっきりと覚えている。わたしは濡れてもいいように水着に着替えてから、カメラを持って海辺へ向かおうとしていた。 背後から射す陽の光も美しかった。太陽の周りに大きな黄色い花びらのようなものがいくつも広がり、まるで空に巨大な花が開いているかのようだった。わたしはあまりに見事な光景に感嘆し、歩きながら何度も何度も空を見上げた。…

たくさんの白鳥と白鳥使いの女性たち

旅先で知らない街を歩いていた。石畳の広い通りには大きな街路樹が並び、すぐそばには大きな川が流れていたと思う。夕暮れが近いようで、空は美しいグラデーションを描いていた。突然、数十羽の白鳥が空を羽ばたき、規則正しい動きで旋回したかと思うと、ひとつの木に集まった。わたしはあまりに見事な光景に感嘆した。 近づくと、そこには白鳥たちに指示を出している女性たちがいた。白鳥たちは彼女たちによって訓練されているようだった。わたしは、“白鳥使い”たちに話しかけた。彼女たちは、白鳥たちを連れて移動しているようで、滞在先と思われる場所へわたしを招き入れてくれた。 そこでどんな話をしていたかは思い出せないが、わたしはたくさんの白鳥に囲まれてリラックスしていた。白鳥たちはみな穏やかで、その体はふわふわとして温かく、触っても嫌がることはなかった。…

時計通りに

夢の中で食べたたらこスパゲティ夢の中で食べたたらこスパゲティが美味しかった。 超高速で走る新幹線のような乗り物で移動し、駅で降りた後はやたらと広い道路を歩いて空港へ移動した。滞在先らしいホテルの部屋で、前日に用意されていたたらこスパゲティを食べた。飲み物はバッグに入っていた水とミルクティー。コーラが飲みたかったが、乗り物に置き忘れてしまったようだ。 乗り物を降りる時には地図が同時に見えていた。思いのほか早く到着したので、慌てて降りた。空港は2つあり、そのうちの1つにはブラジル国旗のようなものが見えていた。辿りついたホテルの部屋は超高層階の近未来的空間で、窓の外にはたくさんの星が見えていた。 わたしは、ブランケットの上に直接盛られた大量のたらこスパゲティをパクパク食べながら、左上方に浮かぶホログラムの中の誰かと会話をしていた。わたしたちは言葉を発することなく、脳内伝達でやり取りをしているようだった。わたしは、何かプロジェクトの進捗状況の報告を受け取っていた。その途中にドナルド・トランプの顔が浮かんだのを覚えている。 追記 ブラジル国旗には27の星が描かれている。描かれているのはプロキオン…

下なるものは上なるもののごとく、上なるものは下なるもののごとし

わたしはもう、社会的自我レベルの"運勢"を占うことに全く興味はないけれど、世界の動向や情勢と天体配置を照らし合わせたり、過去のサイクルを遡って調べたりすることに飽きてはいない。 昨年11月に冥王星が水瓶座に移動した。ここから約20年かけて冥王星は水瓶座を運行する。冥王星は占星術において、徹底的な破壊と再生を象徴する惑星だ。そして、今年は3月末に海王星が牡羊座へ移動し、5月には土星が牡羊座へ移動する。また、7月には天王星が双子座に移動する。外惑星と呼ばれるこれら天体の星座間移動が続く今年は、一言でいえば「大変」である。正直なところ、いよいよとんでもない時代がやってきたなと思っている。そして、この「大変」は今年だけでは済まず、少なくともこの先数年は続くだろう。多くのフィールドにおいて大きなパニックが発生するのではないかと予想している。ちょっと高尚な言い方をするならば、意志(さらに言うなら魂レベルの意図)が揺さぶられ試される時代だ。 地上で何が起きているのかを俯瞰し、且つ地上で生き延びていくために、いよいよ重い腰を上げてマンディーン占星術と金融占星術の基礎知識を学習しようと思っている次第…

北方志向

もう何年も前のこと。極北の先住民族と彼らを取り巻く自然を大判カメラで撮影し続けているある写真家に、「なぜあなたはそんなにも極北に惹かれるのか」と尋ねたことがあった。どうして彼が身の危険すら冒してまで過酷な環境に出向くのか、その衝動の基にあるものが一体なんなのか、単純に興味を覚えたからだった。 彼は、おそらく彼自身も端的に言語化できるものではない自らの衝動についてなんとか説明しようとしてくれたが、最終的には「多分、僕は北方志向なんだよ」と言ったことをよく覚えている。 まるでその中に悠久の時が流れているような彼の素晴らしい写真作品はもちろんのこと、彼から聴いた先住民族の間で語り継がれる神話や古事も魅力的だった。また、彼自身が極北で味わったさまざまな体験も興味深いものだった。 わたしは以前から北方の画家や音楽家の作品に惹かれることが多かったが、自ら絵を描くようになってからは、その傾向はより強まった。やがては、北極圏を訪ねてみたい、その光と色、自然を見てみたいと思うようになった。また最近は、サーミ人の文化に興味を持ち始めている。 そうして今となっては、かつて写真家が自らについて言った「…

自然の中へ

夏に訪れる予定のラップランド(本当はサーミ・ランドあるいはSápmiと呼びたいが)では、まさに"wirderness"という表現がふさわしい北極圏の大自然を味わえる国立公園や自然保護区を歩きたいと思っている。今回わたしが訪れるあたりの山の標高はそう高くはないけれど、それでも片道10~15kmは歩くことになりそうなので、足馴しはしておきたい。レンタルバイクもあるようなので、マウンテンバイクで走るのもよさそうだ。 しばらくハイキングからは遠ざかっていたので、今年はチェコでもたくさん歩こうと思う。また、せっかく広範囲に渡ってサイクリングルートが整備されている南ボヘミアに暮らしているので、そろそろ自転車を入手して、Vítの実家があるTřeboňskoの辺りを走ってみたいとも思う。 わたしの母は昔から身体を動かすことが好きで、毎日のようにジムへ通い、毎週どこかへゴルフに出かけるだけでなく、50歳も半ばを過ぎてから登山まではじめた。当時、都会暮らしに浸かっていたわたしは、そんな母の様子を「元気だなあ」とただ眺めるだけだった。 40歳を過ぎてから思いもよらず移住したこの国で、初めて「近所への散…

地球の外へ飛び出すには

物質的な肉体は地球に属しており、地球の外へ飛び出すようには出来ていない。そうしたごく限られた範囲でしか通用しない肉体ごと他の惑星に移動したいというのは、新しくもなんともなくて、むしろ古い(頭の固い)考えだよな、とふと思った。肉体は地球からの借り物なので、それは地球に置いたまま、意識が移動/移住すればいい。 ロバート・モンローなどが探究していたのもそういうことだし、おそらく古代文明においてもそのために様々な取り組みが成されていたのではないかと思うので、肉体は地球に置いたまま意識のみ地球外へ移動/移住するというのも、そう新しい考えではないけれど。しかし、物質的肉体ごと地球外へ移動することに執着するよりは、進歩的な気がする。 結局、肉体とその属性だけが「自分」だと思っているから、地球の外まで物質的肉体を連れて行きたいと考えるのだろう。脆く儚い物質的肉体とそれに付随する小さな自分に執着すること自体が、わたしにとっては古い(頭が固い)と感じられるのだな。…

記憶の中の風景

13~4年ほど前に受けたヒプノセラピーの中で、「過去の記憶」として見た風景と場面を今でもよく覚えている。わたしはどうやら男性で、民族衣装のようなものを身につけ、小さな白い馬を連れて旅をしていた。そこは人の生活の気配などまったくない広大な荒野で、はるか彼方にはそれほど高くはない山稜が見えていた。 わたしが属する部族の間では、ある種の人々は定期的に生活の場(村)を離れ、一人で荒野に出て静寂を過ごさなければならないという伝統があった。それは、自然と一体化し、また自分自身に還るために必要な儀式だった。 自然にできたと思われる大きな岩の中の洞窟のような空間に横たわり、岩の隙間から見える夜空を見上げていた場面が特に印象に残っている。空には無数の星が輝いていた。自然と一体化し、自分自身に還るとは、星と繋がることでもあった。旅の友である白い馬は傍らで静かに佇んでいた。ただただ静かで安らかだった。 後になって、あれはいったいどこだったのだろうと思い、アメリカやカナダの荒野の写真を探してみたことがある。しかし、わたしが見たはるか遠くの山の稜線はそれほど高いものではなかった。今日になってふと、ラップラ…