更年期、そして余生はのんびりと

ホットフラッシュと寒気が交互にやってきて、せわしないやら疲れるやら。更年期もいつか終わりが来るとわかってはいるけれど、この不安定な体調に付き合っているだけで疲弊して、他に何も出来ない日々を過ごすのはそう楽ではない。 仕事をしていても頭がすっきりしないので、計算間違いをしていないかとか、何か忘れていないかとか、常に不安がつきまとい、以前のようなスピードで処理することができなくなっている。ホルモンバランスの変化の影響か、OCDも強くなっているので、何をするにも以前よりはるかに時間がかかる。 とはいえ、焦っても自分を追いつめるだけなので、身体の変化だ仕方ないとあきらめて、何事ものんびりやることにしている。一日に一つ家事や用事を済ますことができれば十分だ。絵もあまり描き進められていないが、描けない日々が続いても気にならなくなった。そもそも何かや誰かのために描いているのではないのだ。 夏は家族の命日が続くこともあって、過去を振り返ることが多い。そして、自分がやり遂げてきた事の大きさを再確認する。我ながら実によくやり遂げたと思うし、あれだけ多くの事を一手に終わらせたのだから、今生における地上…

モーリス・ラヴェルを聴きながら昔を思い返す

精神疲労が重なった時や心身の調子がよくない時には、幼少期に繰り返し聴いた音楽が頭の中で流れる。思えば音楽は私にとって自分を守ってくれるシェルターのようなものだった。チェコで暮らし始めてから普段あまり音楽を聴かなくなったのは、シェルターとしての音楽を必要としなくなったのかもしれない。 モーリス・ラヴェルの存在を知ったのは小学校の音楽室だった気がする。音楽室の壁に並んだ著名な音楽家の肖像画/写真を見上げては、彼らの作品を順番に聴いた。その中で特に気に入ったのがラヴェルの楽曲だった。彼の音楽がもたらす色彩が心地よかった。この曲を聴いていると、子ども頃に見ただろうささやかな情景と、その光や色、感触が蘇ってくる。 つい最近、あるDV事件に関する記事の中で、「被害者の精神力は暴力を避けることに費やされるため、虐待から抜け出す方法を考えることが難しくなる」という心理学者の解説を目にした。自分の幼少期から思春期を振り返って、私もまさにその通りだったと実感した。私の人生は長らく、暴力とその恐怖から逃れることのみに費やされた。 18歳で親元を離れた後も、逃げることと自己を回復することに精一杯だっ…

南ボヘミアでの快適な生活

この時期のプラハはメトロもトラムもあちこちが工事中で、路線の一部が運休だったり、駅が閉鎖されていたりして、移動がちょっと大変だ。おかげで今日はいつも以上に疲れた。 プラハに来るたびに、南ボヘミアとは比べものにならないぐらいに人が多いだけでなく、ヴァンダリズムや、路上のゴミや吸殻も多くて、街が荒れているなと感じる。そして、南ボヘミアに帰り着くとほっとして、現在住んでいる街に引越して本当によかったと思う。 思えば、南ボヘミアでの生活は、プラハで暮らした年月よりも長くなった。私が引越したのは、母が亡くなって、さくらをチェコへ連れてくるのを決めたことがきっかけだったので、母の命日が来るたびに、南ボヘミアでの生活も一年ずつ長くなったのを確認している。…

金鉱脈をめぐる旅

6月に訪れたフィンランドのウツヨキやイヴァロ川流域には金(フィンランド語では「Kulta」)採掘の歴史があり、現在でも砂金採取が行われている。今回の旅では、16世紀に最初に金が発見されたというウツヨキで、「Kultala (Gold village)」という名のトナカイから繋がる嬉しい縁にも恵まれた。 昨夜ふと思い立って、9月末に再訪予定の久米島に関する情報をなんとなく検索していたら、久米島にも戦前に金採掘の歴史があったと知って驚いた。久米島は沖縄県で唯一、金鉱山の記録が残っている島らしい。 私が妙に惹かれる土地/居心地がいいと感じる土地には、金にまつわる歴史が残っていることが多いようだ。図らずも金鉱脈をたどる旅をしている。実は、チェコ共和国にもかつては金鉱山があり、現在でも僅かではあるが砂金採取が可能な場所がいくつかある。…

レストラン「御ゆき」

夢の中で、「御ゆき」という昔ながらの喫茶店のようなレストランを訪れた。夢の中ではそこは大阪ということになっていて、「御ゆき」は大きな新しい商業施設に隣接する古いホテルの中にあった。入口には食品サンプルが並んだショーケースとメニューが置いてあり、私はパスタを食べることにした。少し遅い時間だったので、案内係の老婦人にまだ入店できるか尋ねたところ、23時まで営業しているので大丈夫だと言われた。私は、チェコでは材料すら入手できないヴォンゴレを食べようと決めた。 この場面の前に、私は隣の新しい商業施設内のカフェで友人と待ち合わせていた。しかし、とても空腹で何か食べたかったので、友人とは後で合流することにして、混雑した商業施設を抜けて、隣にある古いホテルの中で食事ができる店を探すことにしたのだった。…

故郷の街と、今いる国と

チェコ共和国のペトル・パヴェル大統領が姫路城を訪問し、彼の立ち会いのもと、姫路城とプラハ城との間に姉妹城提携が締結されたそうだ。 姫路城の近くで生まれ育ち、現在はチェコに住んでいる私にとって、これはなかなか奇遇で嬉しいニュースだ。もし私の母や彼女のパートナーがまだ生きていたなら、パヴェル大統領の訪問も、姫路城とプラハ城の姉妹協定締結も、きっと喜んだことだろう。 虐待と依存の連鎖から逃れるため、大学進学を機に故郷を離れて以来、再びあの街で暮らすことはなかった。しかし、約20年をかけて自分自身を回復し、母との関係の再構築に取り組み、最終的に彼女の死を見届けてからは、故郷に対する印象も変化した。今となってはあの街は、強い愛着はないけれど、多くの思い出が残る懐かしい場所だ。 幼少期に母と暮らしたアパートからはいつも城が見えていた。通っていた中学・高校は城のすぐ隣にあったので、通学時には常に城が視界に入っていた。あまりに日常的な光景だったので、これまで強く意識したことはなかったけれど、現在住んでいる国の城とあの城との間に特別なつながりが生まれたのは、喜ばしいことだ。 40歳の頃、日本…

6年ぶりの再会

ブルノに住む友人が訪ねてきてくれたので、街を散策したりお茶をしたりしながらたくさん話をした。どうやら6年ぶりの再会だったようだ。そんなに月日が経ったとは思っていなかったので少し驚いた。 芸術行為そのものを目的として、創作活動に夢中で取り組み、研鑽を続ける中で自ら満たされている人との交流は、実に貴重で愉快だ。自ら創り出すことによって満たされている人は、他者からの承認を必要とせず、単独で循環/成立していて清々しい。 彼にも、私が描いた絵のポストカードの中からいくつか好きなものを選んでもらって手渡した。創造を通じて共振するのはただただ楽しい。いずれは個展などで原画を見てもらえるよう、作品数を増やしていきたい。…