個としての自分と、集合体の一部としての自分

個としての自分と、集合体の一部としての自分

わたしが、現在所属している企業のはじまりからこれまでの動きを眺めるたびにおもしろいなと思うのは、この組織が、個人の都合や目的を超える“何か”の意志によって動かされているように感じられる点だ。

もちろん、最初に発案者がいて、そこに参加し協働したい人々が集まってきて現在の状態があるわけだが、その最初のアイデアすら、“見えないどこか”からもたらされたもののように思える。アイデアそのものがまず在って、それ自体が発案者を通して発現することを選んだという風に見える。

そして、そのアイデア自体が、その時々の必要を選んで引き寄せ、課題や変化の機会をもたらし、用が済んだものは手放していく。まるで姿の見えない赤子が中心にいて、その赤子の意志がすべてを動かしているようだ。わたしもまた、その意志によって呼び寄せられ、自発的にその展開に巻き込まれている。

だから、わたしは、自ら望んでこの組織に所属していると自覚すると同時に、“個を超える大きな意志をもつ何か”が、わたしをその一部分として選んでここに配置し、機能させているとはっきり実感している。

どんな組織も実は似たようなもので、それぞれに集合体としての意図があり、そこに参加/所属する人々は、その一部分として呼び寄せられて機能している。当然ながら、集合体としての意図が、個の都合にはそぐわないこともある。

そして、当たり前だが、集合体の意図は個よりもはるかに大きい。だから、その大きな意図と個の目的や都合がそぐわなければ、個が無理な負担を抱えることになり、無理を続ければ個は壊れる。とはいえ、壊れることによって、実はその“都合”が相対的自我の思い込みでしかなかったと気づくこともあるが。

自分が個であると同時に集合体の一部であると自覚しておくといろいろスムースだ。それは、組織であれ、国であれ、世界であれ、太陽系であれ、はては恒星(魂)であれ、規模は違えど同じだ。

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