陰謀論は個人の内的な不満や怒りと共振しやすい

陰謀論は個人の内的な不満や怒りと共振しやすい

ロシアによるウクライナ侵攻後、自分の友人や知人がロシア政府系メディアが発信する情報を鵜呑みにし、陰謀論ともいえる情報をSNS上に投稿しはじめたことに、少しショックを受けていた。

とはいえ、わたし自身も以前はロシア政府が発信するプロパガンダや意図的に嘘が織り込まれた情報をすっかり信じていたので、それらがいかに広く深く浸透しているかはよくわかる。

実のところ、わたしは割と最近まで、自分が事実だと思っていた情報についてチェコやロシア出身の人たちから「それはロシア政府のプロパガンダだよ」と言われても、納得できないことが何度もあった。

わたしが自分が知っている情報を疑い始めたのは、ロシアの野党指導者ナヴァルニー氏の毒殺未遂事件と、チェコで起きたヴルビェティツェ弾薬庫爆発事件にロシアの特殊部隊が関与していたというニュース(チェコ政府はこの事件にロシア連邦軍参謀本部情報総局の特殊部隊29155部隊が関与した証拠があるとしてロシアの外交官18人に国外退去を命じた)を目にしてからだった。

それからわたしは、ロシアと中東欧諸国の歴史を調べはじめ、現地で生まれ育った人々から話を聞き、各国のメディアが発信する情報を比較することを繰り返すようになった。そうして最近になってようやく、自分がロシア側からの情報を一方的に鵜呑みにしていたことに気づいた。それほどまでに、チェコに来てから見聞きした事がショッキングだったということでもある。

もしもわたしがチェコに移住しておらず、日本で暮らし、日本語で書かれたSNS上の情報だけを目にしていたなら、今もまだ嘘が織り込まれた情報や陰謀論をすっかり信じこんでいたかもしれない。そう思えるだけに、前述した友人知人の言動には複雑な気持ちを抱いている。

わたしが自分自身の経験を通して気づいたのは、自覚していようといまいと、自分の中に何かしら不満や怒りを抱えていると、陰謀論やロシア政府のプロパガンダに代表されるような”意図的に嘘を混ぜ込んだ情報”を信じやすくなるということだ。

不満や怒りは実は自分の内側で起きている(自分で自分を抑圧して自分で自分に怒っている)のだが、それを直視できないでいると、人はその怒りを外側へ投影する。そうして、自分を取り巻く人々や社会、政府、果ては国に対して不信感を抱くようになる。そして、いわゆる”メインストリーム”が信用できなくなり、SNSやYou Tubeなどで流布される根拠が疑わしい情報を信じてしまう。

これはまた、ロシア国内において政府のプロパガンダが驚くほど強く信じられていることにも通じるだろう。常に抑圧された中で忍耐や我慢を強いられ不満を抱えている人々にとって、わかりやすい“外敵”を提示されることは最も容易い逃避になる。そうして人は「あれもこれもすべて敵が悪い」という感情で連帯するようになるのだと思う。

今日、Redditで繰り広げられたある質問と議論を読んだ。そのテーマは、長い間ロシア政府のプロパガンダを信じ、「プーチンはロシア経済を引き上げ、アメリカの帝国主義を阻止し、ロシア国民を保証し支援する存在だ」と信じていたチェコ人男性が、なぜそれらが事実ではないと気づき、いかにして所謂「親露バブル」から離れたかというものだった。

そうしてやはり、何かを強く信じている/思いこんでいる人の視点と思考を第三者が変えることは不可能だと思った。人は自分が信じたい“物語”にとって都合のいい情報だけを集めようとする。つまり、見たいようにしか見ないし、見たいものしか見ない。そして、その“見たいもの”とは、自分の内的状態に大いに左右される。わたしたちは、自分が認めたくないものから目を背けるために、見たいものだけを見て、都合のいい情報だけを集める。

陰謀論やロシア政府のプロパガンダは突き詰めるほどに辻褄が合わなくなるのだが、それは“都合のいい情報”だけを部分的に抜き取って組み合わせたものだからなのだろう。

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