人はみなフィクション作家

人はみなフィクション作家

ある書籍のレビューに「専門家が見れば典型的な統合失調症の人の文章、一般人が理解できない無価値な妄想の羅列」とあり、笑ってしまった。著者本人が「誰にでもわかるようには書かない、なるべく象徴は象徴のままにして、好きに書く」「書いていて楽しいかどうかだけ」と言い続けているので、それはそうだろう。

期待していたものが得られないと、相手がおかしい、間違っていると文句を言い、批判するのはよくあることだ。そして改めて、統合失調症だとか躁鬱だとかといった診断・判断は、社会的な都合のためにあるのだなと感じる。もし、社会的には病であっても、本人と周囲が無理なく生きられているなら、少なくともそれは”問題”ではないだろう。

世の中には、自分(たち)が信じている考えからはみ出すものは問題とみなし、ラベルをつけて”影”にするというパターンが蔓延していて、みなそれを自分で自分に繰り返し、他人に対しても当たり前のように繰り返している。件の著者はむしろ、そうした二極化ひいては断片化から抜け出すことについて書いているので、それは”理解できない”となるだろうなと思った。

そもそも、人が語るものは、すべてフィクションであるという視点がないからそうなってしまうのかもしれない。自覚していようといまいと人はみな自分の「おはなし」を作り続ける虚構作家であり、自らの物語から完全に抜け出すことはできないと認識して初めて、”理解”は生じるのではなかろうか。

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