自らの感情や感覚を殺して立場や役割を生きる親から暴力を受けて育ったわたしは、やがて「ここにいたら(自分を生きる前に)死んでしまう」と強烈に感じるようになり、親と家族から逃げつづけた。自らの影を投影してわたしを支配したがる母親との関係を断ち切り、彼女から距離を置いた。そうしてわたしは自尊心を取り戻した。
思えばわたしは、日本の行政と社会に対しても同じように、「このままでは本望からかけ離れたまま死んでしまう」と感じ、すべてを投げ捨てて、日本社会から脱出したのだった。いや、自分で脱出したというよりも、何もかも放棄したら外部の力によって弾き飛ばされて、気づいたら外に出ていたというのが真実かもしれない。
とはいえ、東京で派遣社員として働いていた頃のわたしは、自分の状態や社会の在り様をそこまではっきりと認識していたわけではなかった。当時のわたしは常に体に不調を抱えており、頻繁に鬱状態に陥った挙句に「もう何もしたくない、少しでも本望でないことをしなければならないなら野垂れ死のう」と思い、立場を含むあらゆることをただ放棄した。
東京で暮らしていた頃は、行政に対して猛烈な怒りを覚えることも多々あった。しかし、自分を殺して役割を生きているが故に自分を持たない人からは関係を切って離れるしかないのと同じく、自分を一人の人間として認めようとしない社会や行政ともまた、きっぱり離れるしかないのだと、後になって気づいた。
その後、わたしはさらに自尊心を取り戻し、属性や立場ではない自分を生きること、つまり自分の感覚や感情になるべく忠実に生きることができるようになった。そうなってから振り返ると、自らを殺して役割や立場だけを生きる人や日本の行政は、実は、自らの価値を認められなかったわたし自身の鏡だった。